第二十四話
料理に腹を満たし、暖かくふかふかなベッドで一夜を明かしたレオ達は、アゼラウィルを出発する前にグウィードとの別れを済ませるため、朝から城に訪れていた。
昨日と変わらずベッドで横になっているグウィードの姿は、怪我も治りただ眠っているだけのようにしか見えない。
ただ、眠り続けて既に一週間近く。身体に繋がった管が現状を理解させる。
そのグウィードの姿に、それぞれが己の胸のうちを打ち明ける。まるで、必ず成し遂げるという誓いを立てるが如く。
(グウィードさん、私もっと強くなる。戦闘で足を引っ張らないように、皆が心配しないように、グウィードさんが安心して治療できるように強くなるから)
マリアはエルザと誓ったように、これから強くなることを。
(ね、グウィードさん。身体と違って心はどうやって鍛えるんだろ? ま、とりあえずは私もマリアに近づけるよう、滝にでも打たれてみるよ)
エルザもマリアと同じく強くなること、ただしそこは鍛え方の分からない心。
(すまない……と謝るのは止めておく、余りしつこいと怒りそうだからな。今度会った時はゆっくり酒でも飲もう)
レオは再び会えることを。
(貴方が抜けた穴は非常に大きい。僕にグウィードさんの代わりは務まらないでしょう。ですが、僕は僕なりに皆をしっかりとサポートしていきますよ)
タウノは他の仲間を支えていくことを。
(父上……私は父上に頼りすぎていたのかもしれない。だから、私も思慮を得られるように、何があってもマリアや仲間も人々も護ってみせます)
そしてイーリスは、今までの考えを改めた。
今までは、巫女になろうとしたのも四聖会に入ったのも、グウィードの助けになれば、セラーノ家に少しでも恩返しが出来ればという思いからだった。
マリアと出会ってからは、マリアのためというのも大事な理由となったが、この間まではそれが全てだったのだ。
しかしグウィードが倒れ、己の弱さを痛感し、その弱点をウィズに指摘されたイーリスは、自身が何も考えずにグウィードの娘と言っていたことを、恥じた。
戸籍上は義理でも何でもない、居候に過ぎないイーリスを、グウィード達は娘だ姉だと言ってくれる。そこに甘えていたのだと。
イーリスはそっとベッドに近寄り、眠るグウィードの左手を両手で握る。
(私を育て見守ってくださった、もう一人のお父さん。貴方の娘だと胸を張って言えるように)
だからイーリスはグウィードの娘だと名乗っても恥ずかしくない、いやグウィードが誇れるような人間になると誓う。
そしてそれは、大陽の巫女となった義理の妹バネッサとも同じ考え。
それぞれが、それぞれの想いをグウィードに誓い目蓋を開けると、誰とも無く笑いが零れる。
しかし、それを不思議に思うのは、机に向かっているユレルミだけ。
ならば全員が聞いたのだろう、グウィードの彼らしい物言いを。
『俺は墓標じゃねぇ、生きてんだ。長ったらしく祈ってねぇで、さっさと行きやがれ』
それが幻聴か本当に聞こえたのかは、どうでも良いこと。
グウィードが起きていたならそう言うだろうし、確かにそうだと納得した以上、ここに居る理由はない。
マリア達はユレルミと二、三言葉を交わして、最後にグウィードを見る。
「行ってきます」
『おう、行ってこいや』
別れの表情は以前と比べても明るく、どこか前向きに捉えているかのよう。
グウィードが抜けたとはいえ、マリア達の旅はまだ始まったばかり。
これからの不安を全て払拭することは無理だろうが、それでもマリア達との会話のおかげか夢見が良いのか、グウィードの表情は安心したように笑って見えた。
◇◇◇
ナイドリス村、人の行き来の難しい山間部にあり、そこで独自に作られてきた織物は、王侯貴族にも贈り物として重宝されている。村全体が家族のような繋がりで結ばれ、そこそこ裕福で温かい平和な村……だった。
村までやってきたフォルカーが目にしたのは、今までに見たことの無い生物が村を闊歩する姿。
視界に入った範囲でも数十体はいて、その全ての見た目が違っていた。
肌の色は灰色か茶色など暗い色、腕は四本あったり頭が二つある獣など、種類は違うだろうが、見える範囲全ての生き物が魔者である。
そして当然ではあるが、彼ら魔者に共通することは、人間に襲い掛かってくること。
「ちぃっ、何だよコイツらっ」
襲ってくる魔者を蹴散らし続けること半日、槍で目の前の敵を貫きながら愚痴を零すフォルカーには、疲れの色が見え隠れしている。
だが、それも仕方の無いことで、山を登ってきて休む間もなく徹夜で戦闘。
しかも、この魔者には痛覚が無いのか、明らかに骨が砕けようが槍や剣で貫こうが、その命が尽きるまで襲い掛かってくるのだ。
「陽姫殿、ここは一度引いた方が良いのではなかろうか?」
乱戦に持ち込まれた以上、詠唱が長く威力の強い魔法を使えないダルマツィオは、他の三人に護ってもらいながら、敵後方への攻撃や仲間の補助などを行っている。
「でもダルお爺様、この周辺には結界が……」
ピアの言うとおり、この村の周囲には結界が張られていて、敵から距離を取ることも出来ないのだ。
しかも、魔者の姿を見つけたフォルカーに、バネッサ達が駆け寄ってから結界が発動。全員が結界の中に囚われた状態なのである。
これは事前に結界の魔法陣を描いていた上で、魔者の中にいる術者が発動させたのか、周囲の人間が範囲に入ったことで自動に発動したのかと考えられた。
そんな状況を嘆く暇すら与えず、結界を背にしているバネッサ達を取り囲もうと、魔者が前面側面から襲い掛かる。
陣形は中央のダルマツィオから見て、前面にバネッサ、左にフォルカーで右にピア。
この陣形で前衛であるバネッサとフォルカーは問題ない。
バネッサは自慢の大剣で衝撃波を放ちつつ、近付く敵は二、三体まとめて吹き飛ばし、フォルカーは頭や胸を貫いても効果が無いと分かると、肩や足の付け根などを狙い四肢を切り落とすように戦う。
そして、ダルマツィオと同じく魔術師に属する後衛のピア。
だが、ピアは純粋な魔術師というわけではなく、魔力の弾を放つ魔銃や他の魔道具を扱っている。
今も襲い掛かる魔者を魔銃で二体、弾き飛ばしたところである。
グウィードと同じように、魔力を物質に影響させることの出来る武器、魔銃。
ただ、魔法を放つことは出来ず、AAと同じように魔力の消費量が多く、痛覚のある敵なら一発でも当てれば時間が稼げるのだが、この魔者にはほとんど意味がなかった。
「【サンダーレイン】」
左手に持った杖で地面に何かを描きながら、右手で胸に術印を描いて無詠唱術印魔法を放つ。
使われたのは雷属性中級魔法、術者の周囲に雷の雨を降らせる魔法。もちろん、それがバネッサ達に当たるようなことはしない。
「仕方ないダル爺っ、緊急事態だ、頼めるかッ」
再び接近してきた敵を薙ぎ払い、バネッサは焦った声でダルマツィオに何事か頼むが、それはダルマツィオとて予測していたこと。
「うむ、勝手ではあるが準備は進めておった。もう少々、時間を――」
「へぇー、すごいねお姉さんたち」
爆音や雄叫びなどとは程遠い、戦場には似つかわしくないほどおっとりとして澄んだ子供の声が、その場の全ての音の隙間を縫うように響き渡る。
「ここに入ったのって半日ぐらい前でしょ? その時は寝てたから曖昧だけど、今まで生きてるなんて……」
そして、魔者の群れも動きを止めて、振り上げた拳も下げると群れの一箇所が割れ、そこから一人の子供がバネッサ達の前に歩み出た。
短く整えられた水色の髪と、柔和な笑顔を浮かべる顔にはそれよりも濃い青い瞳。見た目はまだあどけなさの残る子供。
「ただのガキじゃなさそうだな」
もっとも、それは見た目だけの話し。
直前の魔者の動きや自然と零れる魔力の量から、少年が人間でないことは想像が付き、バネッサ達は周囲も警戒しながら少年に武器を向ける。
「あれ? そのお姉さんの格好ってどこかで見たような……あっ、もしかしてお姉さんが巫女だったりするのっ」
だが、腕を組んで頭を傾けながら悩んで、嬉しそうに目を輝かせ期待の眼差しを向ける少年は、ただの無邪気な子供と勘違いしてしまいそうになる。
「そうなのです。このお方こそ、大陽の巫女バネッサ・ハル・セラーノ様なのですよ」
そんな少年の空気を前に、ピアはついいつもの様に胸を張って誇らしげに答えてしまう。
まあ、当の本人や仲間達は、そんなピアに少々呆れてしまうのだが。
「わぁぁ~~、やっぱりだ。じゃあじゃあ、ボクも名乗っておくね。ボクはルヲーグ・グランセットです」
手を叩いて喜んだあと、可愛らしくお辞儀をした。その仕種はどこか良いところ出の、お坊ちゃんかお嬢ちゃんにしか見えない。
ただ、この少年の正体にある程度予想は立てられた。
「お前は魔王の手の者か?」
「うん、正解」
予想は当たったが、バネッサ達は苦々しく表情を歪めると、相手の力量を計るためにルヲーグの動きを注意深く観察する。
だが魔力は別として、動きからは何ら脅威に感じることはない。
ルヲーグを術師系だと考えて、ダルマツィオは戦い方をいくつか組み立てていく。
「あぁーー、その目はボクを弱いと思ってるなぁ」
少しでも気を抜いたのが分かったのか、ルヲーグは手を腰に当てて怒り出す。
「まあ、ボクは戦闘系じゃないから当たり前なんだけど、ボクより強い魔者は他にも居るんだからねっ」
しかし直ぐに怒りを静めると、先ほどのピア以上に胸を張って他の魔者自慢をするが、バネッサ達にはその前の台詞が問題だった。
自称ではあるが戦闘系でないルヲーグですら、一対一では敵わないという事実。
「この村の状況はテメェらのせいか」
「う~ん、言っちゃっても良いのかな? ま、いっか。うん、そうだよ」
予想通り返ってきた肯定の言葉に、バネッサ達は忌々しく顔を歪める。
それはルヲーグが肯定したせいもあるが、その返事の仕方が村の惨状を全く気にしてない、昨日の天気を確認した時のようだったから。
「村の人達を何処にやったのよっ」
ピアの怒りの声を聞いて、ルヲーグは驚いたように目を丸めた。
「えっ、何処って……目の前にいるでしょ?」
そう言われピアは嫌な予感がしながら周囲を見回す。
バネッサ達の目の前にはルヲーグ。いや彼女達を包囲するように陣取っている、名も知らぬ異形の魔者たち。
「生き残ってた人達も、何人かお姉さん達に殺されちゃったけどね」
バネッサ達の周りから音が消えた。
だが、唖然とする時間は一瞬で終わり、次第にふつふつと怒りが込み上げてくる。どんなに純粋な子供のように見えても、やはり魔者なのだ、と。
怒りで爆発しそうな感情を抑え、バネッサはルヲーグに問う。
「なぜ……何故こんなことを」
「なぜって、ただの実験だよ」
「実験?」
「うん、人を魔者に変える実験」
息を飲むバネッサ達に気付く事無く、ルヲーグは近くの魔者を呼び寄せると、その周囲を回りながら身体を触って確認していく。
「ボクの想定だと、ちゃんと意識もあって力の強い魔者になる……はずだったんだけどね。身体が悪かったのか、魔力が悪かったのか、そこは要検証だね」
片膝を付いてしゃがませていた魔者を立たせると、確認が終わったのか視線をバネッサ達に戻す。
「まあ、この人達は失敗作、ダグだから、データを取り終わった後なら殺しても――」
「キサマはッッ」
終始当たり前のことのように話すルヲーグの弁を、これ以上聞いていたくなかったバネッサは、声を荒げて怒鳴り敵を睨み付ける。
「キサマらは人間を何だと思ってるッ」
「人間? うーん、比較的知力が有って脆弱、二足歩行が出来て手は器用だけど、ボクらより能力が劣るし根本的に違う」
笑顔を消して冷静にバネッサ達を観察するルヲーグは、人間をバカにする様子も見下す目つきでもない。
「ただ、繁殖力はボクらより優れてるし、人間界にしか生息してないから、実験の結果がどうなるのか楽しみな生き物、かな。でもボクらと同じような遺伝子なら、もっと他の実験にも使えたのに」
残念そうにルヲーグが言い終えるのとほぼ同時に、ピアの銃口から圧縮された魔力が飛び出す。
魔法は放てないが、込める魔力が多ければそれだけで威力は上がり、見た目子供なルヲーグを簡単に吹き飛ばす、それほどの魔力をピアは込めたのだ。
そしてバネッサ達は、怒りの感情のままルヲーグに襲い掛かりたい気持ちを抑え、吹っ飛ばしてから脱出のための時間を稼ぐ……そう考えていた。
「もう、危ないなー」
しかし、ルヲーグはその場から一歩も動くことは無かった。結界を張った訳でも、エンザーグのように魔力を放出してかき消した訳でもない。
「あっ、でもこれ美味しい」
静かに突き出した左手で魔力を喰らったのだ。そして、喰らった魔力がそのままルヲーグの魔力になる。
大抵の魔者は特殊能力を一つを持ち合わせており、ルヲーグの場合は今の魔力吸収がそうなのだろう。
それに対して人間の能力者はごく稀に生まれてくる程度。強い魔者に更に力を与えるという、余りの理不尽に嘆きたくなるバネッサだったが、今の状況ではそんな暇はない。
「ダル爺っ」
「しばし待てッ」
先ほどから地面に描いていた紋様は、バネッサ達全員が入れるほどの大きさになっていた。
杖を両手で持って素早く丁寧に描くそれは、細かい文字や複雑に絡み合った線など、戦闘中に使っている術印ではなく、儀式などに用いられる魔法陣である。
「何をしようとしてるのか知らないけど、そう簡単に思い通りにはさせないよ」
そう言って右手を挙げると、周囲の魔者の中から何対かがバネッサ達目掛けて飛び掛った。それは、正に字の通りに飛んで、である。
「空を飛べる奴もいたのかよっ」
空中に跳んだ標的なら動きを予測できるが、空中に飛んだ場合は途中で動きを変えられるということ。
しかも、大陽の巫女一行の中で、空を飛び回る敵を攻撃するのに適してるのは、魔術師で魔銃を持つピアと魔術師のダルマツィオの二人。
だが、ダルマツィオは魔法陣を描くのに集中しなければならず、実質ピア一人で五体を相手しなければならない。
「ッ、陽姫殿、場所を設定せずに跳ぶぞ」
敵は空の五体だけでなく、包囲している魔者にルヲーグという魔族。分が悪いと感じたダルマツィオは、本来なら必要な部分を省略することをバネッサに伝える。
「それって大丈夫なのっ」
「なに日頃の行いが良ければ、自ずと結果は出るだろうて」
驚きながらもダルマツィオを信頼しているバネッサは、直ぐに許可を出して魔法陣の中に入った。
魔法陣は描くのに手間はかかるが、その後の詠唱はよほど大掛かりな魔術でない限り必要とせず、魔法陣の中央で魔力を高めるだけで発動することが出来るのだ。
ダルマツィオが魔力を高めると、それに呼応するかのように魔法陣が輝きを放つ。ただ、中央近くに描かれた文字は途中で途切れていて、そこは輝きを失っている。
そんな状況にも臆することなく五体のダグは襲い掛かるが、バネッサ達に攻撃する意思は見られない。それよりも少しでも安全に跳ぶ事と、何処に跳ぶか分からない以上着地に、意識を集中しなければならないからだ。
「グオオォォォーー――」
そして閃光が辺りを照らすと、バネッサ達の姿はその場から消えた。ダグ五体も巻き込んで。
「あ~あ、ダナトにしばらく大人しくしてろって言われてたのに……ま、いっか。これはボクのせいじゃなくて、事故だもんねーー」
腕を組んで身体を揺らしながら考えていたルヲーグだったが、直ぐに気持ちと頭を切り替えると、バネッサ達と同じように姿を掻き消すように跳ぶ。
「あっ、データ取りデータ取り~~」
……が、直ぐに戻ってきて、ダグの身体を調べ始めるのであった。