第十九話
翌日、マリア達は早めの昼食をとり終え、身だしなみを整えて城からの迎えを待っていた。
やってきたのは身だしなみの整い立派なあごひげを蓄えた初老の男性。
「マリア様方には王の招待を受けてくださり、まことに有り難うございます。私、この度ご案内を務めさせていただく……」
長々と話し続ける案内役の男性に辟易しながらも、マリアは何とか笑って頷き話を聞いていたが、いざ馬車へ向かおうとする時になり、男は困惑気味にマリアに確認を取る。
「あの、そちらのお二人もご一緒なされるのですか?」
男が言っているのは、もちろんレオとエルザのこと。
巫女であるマリア達の仲間に加わったという話はそれなりに広まっているが、その役目は荷物持ちや身の回りの世話などと言われていた。
王家側も当然その話は知っていて、王としては特に何も言ってなかったのだが、この案内人からすれば王との謁見には相応しくないと考えたのだろう。
ただ、その言い分にマリアは苛立ちを抑えきれなくなる。
「エルザさんもレオさんも私たちの大事な仲間、当たり前でしょう。それとも、連れて行ってはいけない理由でもあるのですか?」
グウィードが心配、戦いの疲れ、ダナトのこと、ヨーセフからの質問攻め、城に行きたいのに無駄話……苛立ちの理由はいろいろあったが、レオ達のことで言葉が刺々しくなってしまったのだ。
いつもなら、それとなく咎めるイーリスも何も言わない。
もちろん、マリアも巫女として激高するようなことは無いが、それでも案内人には怒りが伝わったのだろう。
巫女を怒らせた恐怖か後悔かで身体をビクつかせると、急いで城へと向かうために馬車へと案内した。
◇
聖王国アゼラウィル。この国は世界中で『女神様が降臨された場所』と自称している国の一つである。もちろん、各国ともそれなりの根拠や証拠などあるが、ここアゼラウィルはその中でも有力とされる一国。
謁見の間には一段高い所に真っ赤な三つの大きな椅子があり、その中央に座っている男こそアゼラウィルの王、アンセルム・オーヴェ・ファーゲルホルム。
その左右の椅子に座っているのは、王妃ヨランダと王女メロディ。
「お久しぶりですアンセルム様、それにヨランダ様とメロディ様も。この間の誕生パーティ以来ですね」
マリアは三人それぞれに話しかける。
巫女が王族などのパーティに招かれるのはよくある事で、その時に知り合ったマリアとメロディは歳も近いとあって、何度か話したことのある仲だった。
巫女であるマリアの話が途切れると、今度はアンセルム王からマリアに話しかける。
「マリア様、今回のエンザーグドラゴンの討伐に関して、先ずは感謝の言葉を述べさせていただきたい。本当に有難うございました」
椅子に座ったままではあるが、王族三人が深く頭を下げた。
「我が国と致しましても、エンザーグは何とかせねばと思っておりました。しかし、相手が相手。かなりの犠牲も考慮しての編成を行っていた矢先、ヨーセフ殿がマリア様に依頼なされたと聞き、勝手ではありますが倒してくださればと期待しておりました」
鎮痛な面持ちで先ほどよりも深く頭を下げる。
一国の王とはいえ、世間一般からの地位では巫女の方が上であり、むしろ巫女以上の存在は表向き居ない。
それゆえ王族でも巫女には敬語で話し、少しでも自国を良く見てもらおうと四聖会に貢物を送ったりしているのだ。
マリアとセリーナが友人とまで言えない理由は、彼女が王族であることが最大の理由だろう。
「それとエンザーグに関して、一つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、構いません」
今までよりさらに真剣に表情を引き締めたアンセルムに、マリアは何を聞かれるのか疑問に思いながら頷く。
「あのエンザーグは人語を話せたと聞きました。それで、奴自身から何故ダザンに居たのかなど聞いていませんか? 些細なことでもよろしいのです」
「何故、ですか……。あのエンザーグは生まれて、まだ一ヶ月程度だったそうです」
一度考えてから語り始めたマリアの一言に、その場に居た兵士や大臣が驚きの声をおもわず上げてしまった。
その理由としては、今までその年齢のエンザーグドラゴンを確認していない事や、調査を行った時の被害などからだろう。
「そして翼は怪我をしていたのか、使えない状態でした。私の見解としては、ダザンの近くで怪我をして療養中……といったところですが、それも確証はありません」
そこまで言って息を吐き出すと、今度はマリアが小首を傾げてアンセルムに聞き返した。
「しかし、何故その様なことを?」
アンセルムの疑問はマリアも感じたことだったが、既にエンザーグは倒しているのだ。
今さら答えが出たところで、それは知的好奇心を満たすだけとしか思えないが、そう思うには表情が余りに真剣だった。
「……ふむ、ご存知かもしれませんが、我が国にはエンザーグの生息地とされる天山はありません。しかし、テーゼの滅跡や今回のダザンと歴史上でもそれほど姿を現さないエンザーグが、ここ数十年で二度も現れたのです」
アゼラウィルはかなりの大国であり、マリア達の聖大神殿も地理的にはアゼラウィルの中にある。
その分だけ襲来する確立は高いだろうが、同じ大きさの国なら他にもあるのだ。
「これは記録に残っている限り初めてのケースで、そこから何かしらエンザーグの襲来理由が分かるのでは、と考えた次第なのです」
「なるほど、確かにそれは追究する必要がありますね。そうなると、他国との違いなども考えてみれば……」
アンセルムの答えはマリアが最初脳裏に過ったことではなく、エンザーグの脅威を退けられるかもしれない考えだった。
マリアはそんな自分の考えたことに心の中で謝ると、この国特有のものを考えるが、それは直ぐに浮かんでくる。
それは誰もが知っている、聖王国アゼラウィルが『女神降臨の地』と言える理由。
「失礼ながら申し上げます。この国と他国との違いと言えば、神聖樹アゼラウィルのことではないでしょうか」
マリアの後ろに控えていたタウノが言った神聖樹アゼラウィル。
この国の名前の由来ともなったその大樹は、誰が名付けたのか記録にすら残っていないが、この国が建国するよりも前からそう呼ばれていた大樹である。
今現在、アゼラウィルで示すのものは二つあり、国と大樹を言い分けるには頭に「聖王国」か「神聖樹」と付けるか、その二つだけで言うのが一般的だ。
その神聖樹はここから西に二日ほど離れた森の中に存在し、女神降臨の地とは女神が大樹の枝に止まったからとされている。
理由としては、神聖樹が魔を払う不思議な力を持っているからだ。
それ故に女神の力の宿った聖なるものとして、聖王国はもちろん他の国や組織などの儀式にも用いられている。
しかし、その説を否定したのは聖王国の王アンセルム。
「いえ、それは違うでしょう。神聖樹はそれこそ我が国より、はるか昔から存在しています。近年のエンザーグ出現とは……」
そこで何か思い出したのか、アンセルムは俯いていた顔を上げてマリア達を見る。
「神聖樹と言えば、ユレルミ医師から神聖樹の調達をマリア様方に許可して欲しいとのことでした」
側に控えていた兵士に指示し、丸められた洋紙を一歩前に出たイーリスに渡す。
それを受け取ったマリア達に、門番に見せるようアンセルムが説明するが、マリア達の気持ちは既にここに無かった。
それは、アンセルムの「マリア様方に許可」という言葉で、その使い道がユレルミ医師のもとに居るグウィードのためとしか考えられないからである。
魔を払う力を持つ神聖樹が、聖なるものとして儀式に用いられる以外に、高級な薬の材料となるのも有名な話。
「このままでは、グウィード殿がすぐに目覚めることは無いそうです」
「えっ、そんな身体の傷は……この度はユレルミ医師などご助力して頂き、まことにありがとうございました。誠実なるアンセルム王、その臣下の皆様。そして聖王国アゼラウィルの国民にワイズ様のご加護がありますよう」
グウィードのことで驚き、巫女としての役目を忘れそうになったマリアだったが、何とか取り繕い感謝の言葉を伝えることが出来た。
アンセルムもそれを素直に受け取る。
「祝願、承りました。……今回のエンザーグドラゴンの件、まことにありがとうございました。力にはなれませんが、魔王討伐よろしくお願いします」
マリア達がグウィードのことを気にしてるのが分かり、アンセルムは早々に謁見を終わらせることにしたようである。
今回、エンザーグを倒したことに対して、褒美が何も無いのはどうかと思うかもしれないが、それは仕方のないこと。
巫女個人に援助や褒美、勲章などの贈与は認められていないのだ。
それは巫女が世界中に影響力を持ち、意見の一つで国の力関係が変わる可能性もあるから。
また神聖視される巫女に、接待や賄賂などの言葉が付きまとうの可能性を無くしたいのもあるだろう。
しかし、巫女に直接の贈与はダメなのだが、国や権力者がやっているように四聖会への寄付は受け付けていたりする。
「それでは、失礼致します」
締めの言葉を貰い、マリア達も頭を下げて謁見の間を出て行く。
この時に走らなかったのは幼い頃からの教育の賜物か。
◇◇◇
グウィードが意識不明の重体であるという情報は、直ぐに世界中を駆け巡った。
そして戦った相手や他に重傷者が居ないと知ると、「グウィード一人の犠牲だけでよくエンザーグを倒せた」という意見。
それとごく少数ではあるが「それだけで倒せるならエンザーグも噂ほどではない」という意見が出ていた。
今回の戦闘に関しては主に前者が多数だが、それが傷を負ったグウィードとなるといろいろな憶測が飛び交う。
一つ目は「豪傑な彼は怪我を恐れず戦った」
二つ目は「彼は仲間を助けるために傷を負った」
そして三つ目は「さすがの彼も年には勝てなかった」である。
三つ目の意見は別にグウィードを見下している訳ではなく、ただ純粋に年齢を考えてのこと。
だが、それでもその意見を聞いて怒りを覚える人間は居る。
「バカな、父さんが意識不明の重体、姉さん達が居てもかっ。しかも、年齢に負けた何てありえない噂も立ってるだってッ」
茶色のショートカットにグウィードと同じく海の様に深く蒼い瞳。
女性としては高い身長の背中には、グウィードを真似てか同じように大剣を背負っている。
彼女は自分の感情を隠そうともしないでいきり立つ。
それは彼女が知る限りグウィードとは絶対の強者であり、そして何より「年齢で限界を感じたら直ぐに現役を辞める」という話を、グウィード自身から聞いていたが故に。
「今から父さんのもとに向かうよ」
「そ、それはダメなのです。お姉様にはお務めが……」
「父の、家族の大事に駆け寄らずにいられるかッ」
彼女はグウィードの愛娘でイーリスの義妹。
「落ち着いて下さい、バネッサ様。あなた様が自らの務めを放り出してまで父君のもとへ向かわれて、それで父君が喜ばれるはずがありません」
いつもは「お姉様」と慕う少女が「バネッサ様」と距離を置いたその意味を、彼女はよく理解している。
少女は自らの務めとしてバネッサを止めているのだ。
「ご自重ください、あなた様は大陽の巫女なのですよ」
そう、グウィードの娘であるバネッサ・ハル・セラーノは大陽の巫女。その最重要任務は魔王を討伐すこと。
バネッサはそんな彼女に文句を言おうと口を開きかけたが、小さい腕を精一杯に広げて涙目で訴える姿を見ると、結局は口を閉じて顔を背ける。
そしてアゼラウィルの方角に身体を向けると、膝を折り両手を組んで祈りを捧げる。
「父さんにハル様のご加護ががありますよう」
◇◇◇
医務室にやってきたマリア達が見たのは、運ばれる時と何ら変わりないグウィードの姿。
清潔な服に着替えベッドで横になっている姿は、ただ眠っているようにしか見えず、ベッドの周囲にも特別な機材や魔法的な処置は見当たらない。
「ユレルミ先生、父上の容体はっ」
「イーリス様、落ち着いてください。グウィード様は今すぐどうこうなる訳ではありません」
「……と、言うと?」
ユレルミは駆け寄ってきたイーリスを落ち着かせると、タウノの言葉に頷くとマリア達に椅子に座るよう薦めた。
そして、マリア達を見回すと、今のグウィードの症状を説明し始める。
「グウィード様は他要因による飽魔躯症……つまり、身体に溜め込められる以上に魔力が多すぎる状態です」
魔力が少ないと精神に影響が出ると言ったが、逆に多すぎる場合でも興奮状態になるなどの問題もある。
ただ、普通なら自分の身体の限界以上にまで溜まるということはない。
「他要因、とは?」
「おそらくではありますが……。報告によれば死ぬほどの傷を負ったグウィード様に、エリクサーの失敗薬を投与したそうですね」
ユレルミから出たエリクサーの名で誰もが反応を示す中、特に反応したのはグウィードに使うよう促したエルザと、それを渡したレオの二人。
「今、グウィード様の身体からは二種類の魔力が検出され、一つはおそらくグウィード様のもの。そして問題なのが、その魔力を飲み込んでしまいそうなほど黒々しい魔力」
「それなら、僕らも気付くはずでは?」
ユレルミの言う通りなら、今グウィードから流れる魔力に別の魔力を感じられるはず。
それを感じられないことに、タウノは疑問に思いユレルミに訊ねた。
「いくら黒々しいとは言え、まだ身体の内部の奥底で徐々に広まってるところですから」
そう言って視線をグウィードに向ける。
勘違いしてはいけないが、『黒々しい魔力』とは魔力の密度を表しており、別に邪悪などといったことではない。
「グウィード様は今寝込んでいるのは、その魔力の濃さに身体が付いていけず、魔力を薄めようとしている状態……とでも言えばいいですか」
そして視線をマリア達に戻し、一度大きく呼吸をする。
これからが重要なところだからだ。
「しかし、グウィード様の残った魔力をもう一つの魔力が飲み込んでしまった場合、グウィード様は死にます」
このままではグウィードが死ぬ。
そうユレルミに宣告されても、誰もエンザーグとの戦いの時ほど動揺はなかった。
それは、グウィードの助かるすべが分かっているから。
「その為に神聖樹で魔を払うんですね」
「そうです。ですからマリア様方には神聖樹の葉と皮の二つを持ってきてください。量は採りすぎてはいけませんから……」
ユレルミは、用意しておいたバッグを取るため椅子から立ち上がる。
「このバッグに押し込めない程度の葉っぱを詰めてください。それと木の皮はショルダーベルト位の太さと長さの物を一つ」
持ってきたバッグをレオに手渡すが、これはレオとエルザが荷物持ちだという認識があるからだろう。
「それで神聖樹の場所は?」
「それなら神聖樹は有名ですから、この街に住んでいる人なら誰でも知っています。こちらから兵士を出すよりも、ヨーセフ殿のところのウィズさんに案内してもらった方が、マリア様方も気が楽でしょう」
ウィズの都合が分からないとはいえ、その提案はマリア達にとっても嬉しいこと。頷いてみせる。
「こちらから馬車を出す用意もありますし、二、三日で帰ってこれるでしょう。グウィード様の容体は一ヶ月は変わりないと思います」
「分かりました。ユレルミ先生、グウィードをよろしくお願いします」
マリア達はグウィードのことをユレルミに頼むと、ウィズに同行してもらうため、早々に医務室を後にした。
そんなマリア達を見送ったユレルミは、眠り続けるグウィードの横に置いてある椅子に腰掛ける。
「問題は残っていますが、今は先ず神聖樹を集めることが優先ですしね」
どこか困った様子のユレルミだが、いつまでもグウィードを見ている訳にもいかず、普段通りの仕事へと戻っていった。
◇
医務室を出たマリア達は、人気の少ない廊下をマリアを先頭にエルザ、イーリス、タウノと続き、最後にバッグを持ったレオの姿。
ただ、レオの姿はバッグを見つめ、少し元気が無いようにも見える。
「……済まない」
レオから出た謝罪の言葉にマリア達は足を止め振り返るが、その顔に驚きの表情は浮かんでいない。
「グウィードさんのことを気にしてるんですか?」
ユレルミからグウィードが寝込む要因となったのが、エリクサーの失敗作だと聞いてから、レオが気落ちしたように見えたのは誰の目にも明らかだった。
しかし、レオがエリクサー失敗作をヴィアラに渡したことが悪いと、この場の誰も思ってはいない。
「レオさんが気にすること無いよ。私達だってグウィードさんに使う時、こうなるなんて思わなかったし」
「それに、あのエリクサーの失敗作……いや、あの薬が無かったら父上はあの時、息を引き取っていたかもしれないんだ」
「そうです、今生きているのはレオ君のおかげとも言えますね」
誰もがレオを励ます中、エルザは何も言わない。
それは彼女もレオと同じく謝る側だと思っており、しかしあの場にはヴィアラとしていたから。
イーリスはレオの正面に立つと、バッグを持つ手を自分の手で包む。
「これは私もウィズに言われたことなんだが、謝るのなら私達にではなく、目覚めた後の父上に直接謝ることだ」
「……謝ると殴られるか無茶を言われそうだな」
いつもの様子に戻ったレオに安心したマリア達は、グウィードを助けるのに必要な神聖樹アゼラウィルを採るために動きだした。