第一話
空を割り太陽に挑まんとするほど天高く、大地を割き海底よりも尚深くにまで造られた建物はそこにあった。
風がほとんど吹かず無風国家とも呼ばれる国の一角。周囲を見回しても岩石のみで、人の手が加わった後も緑深い木々も見られず、まるでその場の時が止められたようなそんなところに……。
外観は四角いレンガを積み重ねただけで、その巨大さ以外に目立つことはないが、建造から数百年は経った今も劣化することなく存在していた。塔の名は『シプラス測量塔』、通称『エーデルの塔』である。
天才発明家と呼ばれたエーデル・バッセンが造った最高傑作と謳われ、大気中や地中のシプラスと呼ばれる物質の量を測ることが出来る建物だ。
塔の内壁には芸術の華やかさと共に不気味な雰囲気の漂う事細かな紋様『魔法陣』が描かれ、それは最上階から最下層にまで及ぶ。塔の中央部にはそれら魔法陣とチューブの様なものが集まった台座の上に、一つの水晶玉が大事そうに置かれていた。
普通は透明なはずの水晶玉であるが、今は赤く点滅しており、更には危険を知らせるかのように甲高い音まで出している。
「宝玉が反応する程シプラスの量が激減するとは……我々の時代か」
「ああ、やはりここ数年立て続けに起こった災厄は、この前兆だったということか」
それを憎らしげに見つめているのは二人の男性。
頭までをすっぽりと隠すような黒いローブを身にまとい、水晶玉以外に明かりの無いこの部屋では顔の判別は出来ない。
男たちは赤く点滅する水晶玉とは別の水晶玉を取り出し、何処かへと連絡を取り始めた。
「全ての神殿に通達だ。あの憎き魔王が現れたと……」
◇◇◇
かつて大老賢者ヒューズは石版にこう記した。
――――――――――――――――――――――
世界を絶望の色が染め上げし時
遠方より来たりしモノたち
姿形ヒトと違えど、恐れること怯えることなかれ
彼らこそ神の使わした最後の希望なり
――――――――――――――――――――――
この記述は数千年という時を越えて実現することになる。
後の第一魔王『アデス』の登場で、人間界を救った四人の女性たちのことである。
彼女らは純白の翼を生やし人とは違う姿をしていたが、全ての生物の為に世界の為に死力の限りを用いてアデスと戦い、見事に魔王を退治たのだ。
そして、彼女たちは人類に戦う術を教えると、何の礼を受け取ることなく天界へと帰っていった。
人は彼女らを女神と称え崇め、彼女らに祈りを捧げる巫女という役割を誕生させた。
――自由と変化を司る風の女神『イシュア』を崇める大空の巫女――
――再生と繁栄を司る火の女神『 ハル 』を崇める大陽の巫女――
――誕生と輪廻を司る水の女神『メティー』を崇める大海の巫女――
――成長と進化を司る土の女神『 ワイズ 』 を崇める 大地 の巫女――
巫女は女神を模したように人を想い、清らかで強くなければならない。それを証するように、以後の魔王討伐は巫女の仕事となった。
いや、むしろ巫女とは最初から魔王を倒す役割を担っていたのだ。
◇◇◇
うっそうと生い茂る木々が開けた場所、近くの街までも数時間を要する場所にある学園『クロノセイド』。食料や衣類もこの学園内で揃うため、学園都市といえるほどの規模である。
ここでは一般教養はもちろん戦闘術や魔術などを教える、学園の歴史もそこそこある学校なのだが、組織の重要なポストに就けるほど優秀な卒業生はいなかった。
しかし、ここ十数年では数人ほどがさまざまな所で活躍をしており、少しずつではあるが他の国からも認識されはじめた学校である。
今、この広大な敷地内の大きな木の上で一人の少年が眠そうに大きな欠伸をしている。
彼の名はレオ・テスティ。アイスブルーの髪を肩辺りまで伸ばし、百獣の王を思わせる金色の瞳は日当たり加減からか、今は眠そうに瞼の裏に隠れる数が多い。
レオはクロノセイドの二学生で成績は中の上。実技も筆記もそこそこ得意で、教師たちはおろか生徒たちからも印象の薄い生徒だろう。
手に持った紙袋をガサゴソと漁ると、レオは良い焼け具合のパンを取り出し食べ始めた。今は昼休み、睡眠か食事かで悩んだレオだったが、まずは空いた腹を鎮めることにしたらしい。
「レーーオーーー、ここに居るのは分かってるのよーーーっ」
だが、どこからか女性の声が聞こえると、急に不機嫌そうに眉を顰めて一欠けらのパンを口に放り込んだ。
女性はレオの居場所が分かるのか、どんどんとその距離を縮めていた。
燃えるような真紅の髪は白いリボンで一本にくびられ、その名の通り尻尾のように左右に揺れている。緑色に輝く目は鋭くつりあがり、まるで親の仇を探しているかのよう。
彼女はエルザ・アニエッリ、レオと同じくクロノセイドに通う二学生である。
レオはエルザの姿が見えると、面倒くさそうにため息を一つ吐き出して木から飛び降りた。
「何の用だエルザ?」
「ここで会ったが百年目、さあ勝負よッ」
左手を腰に当て右手でレオを指差しながら、何の脈絡もなく話を進めるエルザ。
だが、それを聞いてもレオは驚くような顔はしない。それどころか、やっぱりとでも言いたげにため息を吐いて、今まで腰掛けていた木に身体を預けて座り込む。
これから話が長くなるのは経験上分かっているからだ。
「それで、今日は何があった?」
「べ、別に何も無いわよ?」
レオにそう尋ねられると、途端に視線を慌しくキョロキョロと動かし額から汗がにじみ出る。
こんなエルザだが、実は嘘をつくのは得意なのだ。ただ、突然の出来事や想定外のことを突っ込まれると、途端に今のように取り乱す……ある意味、正直者である。
「例えば売店のパンを取り損ねた、とか」
今の時間帯などで思い浮かぶ理由をレオが挙げると、エルザはビクッと身体を反応させ、それを見たレオはこれから繋がるであろう理由も挙げていった。
「そんで、友達に頼んだけど分けて貰えなかった、とか」
更にエルザはビクついて、レオは「またか」とため息を吐いた。
この理由で勝負を挑まれるのは二十回くらいになる。
「そ、それだけじゃな~い。今日はその後で『じゃあ、ダンナにでも相談しな』って言われたのよ。アンタがダンナ……うわぁぁ~~、引いて気持ち悪くなるわッ」
エルザは本当に寒気がするのか、手を身体に回してレオから一歩下がった。
「はぁ~、アホかお前は。何でそう言われた後に俺の所に来たんだ」
レオに呆れられた様に言われてムッとしたエルザだったが、そのれも一瞬のこと。レオの台詞の意味に気付くと「あっ」という声を漏らす。
あの発言の後にレオと所に来たとなれば、そう言われて相談しに行ったとでも言われそうである。
エルザは自分の安直な行動に少しショックを受けたようで、膝に手を置いてがっくりと俯いてしまう。
この二人、この通り周囲が言うような男女の関係ではない。友達と言うのも少し違う気がする。では、一体どんな関係かと言うと……
「馬鹿だな、それでも俺を倒した元巫女かよ」
「へんっ、私たちに倒された元魔王が」
まあ、そんな関係である。倒した者と倒された者。
だがこの二人、元魔王と元巫女とはいえ、それほど関係は悪くない。それこそ周囲から恋人だと勘違いやらからかわれたりする程だ。
エルザはレオに対してよく突っかかるものの、それも遊び半分といったところが大きく、周りからはただじゃれあってる様に見えるのだ。
腐れ縁……二人にはこれが一番合っている様な気がする。
「ほら、これやるよ」
空腹で悲鳴を上げようとするお腹を何とか静めようと必死のエルザを見て、レオは先程の紙袋からパンを一つ取り出すと、エルザに向かって放り投げた。
「あっ、フローラのパンだ。ありがと~~」
エルザはそれを危なげなくキャッチすると、嬉しそうに表情を変えてレオと同じ木に身体を預けパクパクと食べ始める。いつも通りの変わりように、レオは苦笑しながら自分の分のパンを取り出し食べ進めた。
もう一度確認を取っておくが、二人は恋人関係では無い。
「そう言えばさ、今度大地の巫女が旅立つんだってね」
腹の虫も治まったのか、エルザの声は先程と違いだいぶ大人しい。
エルザの言う通り、明日大地の巫女が魔王の討伐に旅立つ。魔王の出現から既に一ヶ月が過ぎ、他の巫女たちは既に出立していて、大地の巫女が最後の出立となる。
この大地の巫女が旅立つことで、民衆は魔王の脅威は終わったものと考えている。理由は特に無い。敢えて言うならば、今までの歴史がそう証明しているからだ。
「でも何でかな~~。私たちの時って全員で旅したのに」
腕を組み不可思議そうに頭を傾けるエルザ。
一見ただのお頭の弱い子に見えるかもしれないが、これでも前世は大空の巫女。当時の魔王であるレオを退治するために旅立ったのだが、その時は他の巫女三人と一緒に旅立ち冒険したのだ。
それが今では微妙に変わり、巫女とその護衛の合計三人で旅立つことになっている。
「まあ、神殿同士色々あると思うが……お前、何を考えてる?」
エルザの疑問に対して、レオは神殿同士の仲が悪いことを理由の一つとして挙げるも、今度は逆に警戒をしながらエルザに問いかけた。エルザがいきなり何か発言する時は、何か無茶な行動を起こすことが多いからだ。
「えへへ~~。えっとね~」
ニコニコと満面の笑みを浮かべて話そうとするエルザだが、レオからすればこの笑顔は危険な物だった。
エルザがこの笑みを浮かべる時は、周囲がどんな手を使って止めようとしても聞かず、目的の為には手段を選ばない時に出す執行確実な顔だからだ。
まあ、その時にエルザの話に乗ったレオが裏から手助けする事も多かったが。
「大地の巫女に付いていこっかな~って」
「……面白そうだな、それ」
そう言ったエルザの表情は元巫女として人々を心配している、と言うよりは只の野次馬根性の方が強そうである。
そして、レオもエルザと似たような笑みを浮かべて同意した。実は腐れ縁で似た者同士な二人なのだ。
「でしょでしょ、やっぱレオならそう言うと思ってた」
「でもな、学園を休むとなると、お前の両親は大丈夫か?」
同意を得て嬉しそうに身体を乗り出すエルザだったが、その額を片手で押し戻しながらレオが疑問を呈した。
元魔王、元巫女とは言え今は普通の学生。学園に通えば友人も家族も居る。レオは自分の両親が放任主義なので、手紙の一つでも出せば了承して貰えると分かっている。では、エルザはというと。
「ああ、大丈夫大丈夫、うちの両親はそんな事気にしないから」
そうあっけらかんと言い放った。
だが、それも当然と言えるだろう。何せエルザの両親|(主に母親)は旅をしたいが為に、全寮制のクロノセイド学園に通わせたほどだ。もちろん、エルザも特に問題無く同意したので、育児放棄という訳ではない。
レオはその話を聞いて「親まで似た者同士か」と苦笑いを浮かべる。
そして、休学届けは放課後に出すという事にして、二人は暫らくお昼寝タイムを取ることにしたのだった。
◇◇◇
翌日、日も昇らない内からレオとエルザは荷物を纏めてベンチに腰掛けていた。レオもエルザも前回で経験があるのか、荷物は少量に纏められているのだが、何故かエルザのリュックは荷物の量と比べると少し大きい。
レオが聞いた所、何か買う物があるそうだ。
「でも案外簡単に休学って出来るんだね」
昨日の放課後、レオとエルザは二人一緒に職員室で休学届けを出してきたのだが、色々と聞かれるものと思っていた休学も別段何か聞かれる訳でもなく、寧ろ生暖かく送り出される結果になったのだった。
その理由がなんとなく想像のつくレオは、「休学明けには対エルザ専用の組織でも出来てそうだ」と学園側の頑張りに期待しつつ、今は旅立ちのために頭を切り替える。
「最初の目的地だが、オークリィルでいいか?」
世界地図を広げてエルザにそう尋ねるレオだが、その内容は質問と言うよりも確認を取っていると言った方が正しいだろう。
「そだね、大地の巫女が居る聖大神殿からだと、先ずはそこに寄るだろうしね」
エルザはレオと同じ理由で同意した。
別に聖大神殿からの道が一つだけというわけでは無いのだが、近場で大きな街と言えばオークリィルなのだ。
そして、寄贈という形で渡された物の中で要らない物を換金する……かどうかは大地の巫女しだい。
エルザならば真っ先に換金するだろう。
もっとも、それらは全てレオたちの考えでしかなく、巫女達が別の街に移動するという可能性もある。だが、そうなったとしても、二人にしてみれば巫女との追いかけっこを楽しむ予定だ。
「さあ行くわよ。全てを委ねられた世界の救世主、大地の巫女の許へ」
荷物を背負い出発する二人を、まるで勇者の旅立ちの様に朝日が照らし出していた。