第百十九話
エルザ達が繋いで生み出した魔法陣の発動。それは離れた場所にいるレオ達を巻き込みはしなかったが、天井や壁を飲み込むほど巨大な物。改良したことで小さくはなったが、それでもこの大きさである。
青い球体の魔法陣に取り囲まれたシアンは翼を生やして落下速度を落とし、ゆっくりと下降しながら周りを見回した。
「……これは、魔法陣の部屋かな? すっごく面倒そうな創り」
そして、地面に降り立ったシアンはじっくりと魔法陣を見詰める。
魔族でも瞬時に展開できる人は居るが、ここまで細かく調整して重ね合わせるような人は少ない。ここまで来ればもはや趣味の範囲になるだろう。
「確かに綺麗ね、見事って言っても良いかも」
シアンは歩みを進めて青い魔法陣に近付く。近くで見ればより細かく描かれた芸術品だという感想を抱き、それに優しく壊れないよう優雅な手つきで触れて撫でる。
「でもさ……壊れちゃえば一緒でしょっ」
だが、右腕を一気に引いて鉤爪を生やすと、そのまま力の限り魔法陣目掛けて突き出した。
そして、その一撃は見事に突き破った。
「……ぇ、んで」
シアンの視線の先にある魔法陣は壊れていない。それどころか突き出したはずの右腕は、魔法陣よりも先が無くなっていたのだ。
唖然としたままシアンがゆっくりと視線を下げれば、自身の腹から突き出した筈の右手が突き出ていたのである。痛みは感じていた。だがそれよりも驚きが勝っている。闇に取り込んだ他の生物を身代わりに出来ていないからだ。
「魔法陣の中に居るモノは全てが一つの生命体となりますので、魔法陣を内部から破壊することは、そのまま己を内部から傷付けることになりますの」
エルザはリリーの許へと走り、代わりにパーラが前へと出てくる。魔法陣には絶対の自信を持っていても、両手に剣を持ち気は抜いていない。むしろ以前に受けた側であるレオの方が、気を緩めているようにも見える。
「そして、その魔法陣はどうやら世界を形成しているらしい。だから壊すには星雲を纏めて破壊出来るだけの威力が必要なんだが、壊そうと魔法陣に触れた瞬間にお前の身体が内部から吹き飛ぶ……まぁ、えげつない魔法だな」
前世の戦いでレオも色々と手を尽くした上での結論。更には魔界でも議論が行われ、結局は発動させない方向でしか進められなかったのだ。魔界の実力者たちを知っているレオだからこそ、そう思うのも当然と言えた。
「ぐっ、こんなの」
シアンが腕を引き抜けば腹から突き出た手も引っ込み、完全に腕が戻った後で闇を纏いその場から転移を試みた。
しかし、姿を一度は消してみても、再び現れたのは同じ場所だった。
「無駄、その世界からは逃げられない」
エルザの肩を借りながら、リリーがこの戦いで始めて前線に出て来る。つまりこの魔法陣が破られるはず無いと、絶対の自信があるということだ。
「随分な自信ね」
クスリと笑って見せたシアンは、リリーの言葉や態度を不愉快に感じてはいなかった。むしろそこまで言えるだけの物を創り上げた事に好感すら持っているようだ。
しかし、それはそれとしてこのまま黙って事の成り行きを見ているような性格でもない。
今度は身体の一部ではなく全体を霧へと変える。無理やり強引に破るのではなく、魔法陣に溶け込んで通り抜けるつもりなのだ。
しかし、それも無意味。
向こう側の見える薄い魔法陣でしかないが、そこを抜けようとしても硬い壁ではなく、延々と終わり無い道を進んでいる感覚にシアンは陥る。向こう側が見えているのにも係わらずだ。
「貴方がカカイでやった事は聞いている。それが魔界で悪いことだということも……」
再び口を開いたリリーだが、先ほど受けた爆発の痛みとは別種の苦悶の表情を浮かべている。
「魔界に帰って罪を償うつもりはある?」
「何を言うのかと思えば。自分たちが優位に立ったと思ったらお説教? 残念でしょうけど、悪い事したつもりなんて全くないから」
自身満々に顔を上げて答えたシアンに対して、リリーはより物悲しげに顔を伏せる。
「……そう、残念」
言葉を交わせるということは、意思疎通が出来るということ。しかし、だからといって分かり合える保障は無かった。
「さようなら」
「またね」
悲しみの視線と柔らかい眼差しがぶつかる。
そして、青い球体の魔法陣の中に暗闇が広がりシアンの姿を一瞬で覆い隠すと、次の瞬間に目も眩むような眩い光がレオ達にも届く。ただ、魔法陣を越えてレオ達にまで爆発の影響をもたらすことはなかった。
レオ達はただただ、世界の始まりと終わりを印象付けるような、強い煌きを見詰め続けたのである。
戦いは終わった。
リリーは身体の力が抜けるように膝から崩れ落ち、ヘルヴィも苦痛から逃れる為に意識を落とさない程度に薄める。自分たちの戦いは終わったが、他がどうなっているのか分からない以上、直ぐに意識を落とさなかったのだ。
そしてそれは、回復薬を必要とするレオやパーラ達も同じ理由で適切に薬を選んでいた。
「リリー大丈夫?」
先ほどの爆発でリリーの右足は太股から大量の血が流れている。
リリーが回復薬を飲む傍ら、エルザは砂などの汚れを落とすため傷口を水で流していく。痛みで表情を歪めているが我慢である。
「あれ、これって……」
そして大体流し終えた後、水とは違う粘着性のある液体がリリーの肌に纏わり付いて居ることに気付く。ハンカチで拭ってみればそれは微かに動き、布を溶かしながら吸収していた。
当然、嫌な予感しかしない。エルザは少し乱暴にでも、リリーの身体に付いたジェル状の物を拭い取って放り捨て、魔界の知識があるレオを呼び寄せる。
その間にもバラバラに撒き散らされたジェルが集まり、ハンカチや地面などを喰らって大きくなっていく。レオが来る頃には地面を掘り、かなりの大きさになっていた。
「知らない奴だが、良い予感はしない。早く焼いてしまおう」
レオはそれが何であるか知りはしなかったが、焼却する為に魔法の詠唱を始めた。
だが、それよりも早くジェルがレオ達に向かって触手を伸ばして襲い掛かる。警戒はしていたが、避けるにしろ防ぐにしろ出来る一瞬の間。その瞬間にジェルは大きく膨れ上がって人の形を成す。
「はーい、さっき振り」
それは顔や髪肌の色に服装など、先ほどと全く変わり無いシアンの姿。
レオ達は一旦リリーの許に集まり守りを固める。もし魔法陣を発動しても捉えられなかった場合など、シアンが生きていたことも予め想定していた。そして、そうなった時は時間が掛かるだろうが、魔法陣を再び発動させることになっていたのである。
「リリー下がって」
「……うん。でもその人は心配ない、と思う」
「どういう事ですの?」
だからこそ戦いの要であるリリーを護ろうとしたのだが、リリーはレオ達ほど慌ててはいなかった。むしろ重傷の身でありながら戦おうとしているヘルヴィを押し留め、ゆっくり前へと進み出てエルザに止められる。
「あの魔法陣は例え外に分身を置いていても、中の生物と何らかの繋がりが有れば影響が及ぶ。それはあなた自身が良く分かっているはず」
「……」
レオ達はあの魔法陣を身を持って体感しているので、シアンを倒せるという自信を持っているが、リリーはそれに加えて編み出した者として絶対の自信を持っているのだ。
微かに目を細めたシアンは他の面子にも視線を送った後、「ふぅ」と観念したかのように一つ息を吐き出す。
そして、対峙する中の一人目掛けて飛び掛った。
「……っ」
対象として選ばれたのは最前列に居たレオ。
しかし、油断などしていなかったレオは慌てず騒がず、飛び掛ってくるシアンに向けて剣を突き出した。
一撃は見事にシアンの腹部を貫き、二人の影は一つになる。
「……んっ」
だが、シアンは剣を避けることなく、むしろ深く深く突き刺さるように構造を変えていた。それもこれも全ては――
「……っ」
レオは目を見開いて驚く。
至近距離に見えるシアンの顔、彼女とレオの唇は重ね合わさっていたのだ。
「何をっ」
剣を引き抜き飛び退いたレオは口を拭う。呪いや何らかを発動させる為の準備だと考えたのである。
しかし、シアンは唇に指を当て頬を軽く上気させたまま微笑む。そこには少しばかりの気恥ずかしさと、喜びや悲しみが入り混じっているかのような複雑な表情。
「……くすっ、だってキスぐらい済ませてないと、恥ずかしくて死に切れないじゃない」
今のシアンは戦いの最中に分けた腕分のジェルで、普通ならそれでも完全に復活出来るのだが、今は必要分を喰らっても完全に回復出来ないでいた。そして急速ではないにしろ、細胞が死滅していっている事に気付く。
だからこそリリーに言われるまでも無く、シアンは自分が助からない事を理解していたのだ。
「キスしたあと腕の中で、っていうのも良いかと思ったけど」
自分の身体だけは身持ちの堅いシアンの最初で最後の口付け。
「ルヲーグが心配だから」
「ちょっ、待ちなさいっ」
そして、警戒するレオ達をよそ目に闇を展開すると、エルザの声が届く前に闇の中へと消えていった。後に残されたのは再び戦うことを覚悟していながら、置いていかれたレオ達だけ。
「……どうする」
エルザはレオとパーラの二人に視線を交互に送る。そんな落ちつかない眼差しを受けた二人は、互いを見合ってから同じ人物へ視線を向けた。
「リリー、シアンの魔力は追えまして?」
「準備を整えてから跳びたいんだが」
「……うん、下準備が必要だけど探せると思う」
このままシアンを放置しておく訳にもいかない。
レオ達は傷や魔力の回復、各員の所持する道具の整理をした後、リリーが探索用の魔法陣を発動させてシアンの行方を追うのだった。
◇
そこは荒野だった。元々そうだった訳ではない。元々、魔城近くの霧が晴れた場所で戦っていたので、互いに魔法を放ち地表は剥げ、地中にあった岩が隆起していたのだ。
彼らは全員が傷つき肩で息をしていた。今、戦いが止まっているのは休憩や単なる間などではなく、この場にもう一人姿を現した人物が居たからだ。
「ずいぶんボロボロだね」
「お前が言えた義理か」
それはニライと戦っていたはずのダナト。片目を瞑り全身からは血を流し、動かない片腕を押さえて居る。彼の出現によって、マリア達は迂闊に攻撃を仕掛けることが出来ないでいたのだ。
しかし、そこにもう一人加わることになる。
「私だけじゃなくて、ダナトも負けてたんだ~」
「お前と違って負けちゃいないさ、まあ勝ったとも言い切れないが」
二人の背後に広がった闇から現れたのは、レオ達と戦っていたシアン。ダナトはそちらを向くよりも早く言葉を返したが、シアンを視界に納めると表情を顰めた。
「……お前が一番ヤバイな」
「分かる? 全く、誰よ巫女じゃないから簡単とか言ってたのは」
「誰も言ってないから、自分で思ってただけでしょ」
見た目は傷一つ無い綺麗なままの容姿だが、見る者が見れば既に事切れる寸前なほど、生命力を枯渇していることが分かる。
「ここに来たってことは目的は一緒だな。なら、お前から済ませな」
「それじゃあお先に」
ダナトはマリア達が攻撃してきても防げるよう二人を背後に庇う。
その間にシアンがルヲーグに近付き、小さな肩に手を置いた。それは単に触れただけというよりも、無意識に体重を預けなければならないほどキツイのだ、とルヲーグは感じ取っていた。
「何をする気か知らないが、やらせる気は無いッ」
「はっ、邪魔できるもんならやってみなァ」
ダナトはグウィードの放つ衝撃波を受け止めて時間を稼ぐ。
「それじゃあルヲーグ、私の魔力を吸って。貴方なら私の能力も使えるようになるはずだから」
「えっ、行き成りそんな事言われても、ボクは魔力を吸収するだけでシアンみたいに能力を増やす何てことは――」
「大丈夫、ルヲーグは私達の良い所を受け継ぐように創ったって、お父様から聞いているから。私がその切っ掛けになるよ、きっと」
突然の言葉に驚くルヲーグを安心させるように、シアンは今までの裏で何か企んでいるような笑顔ではなく、弟を勇気付けるような姉らしい微笑を見せる。
彼らダナト一派の四人は第一魔王アデスと血の繋がりはあるが、純粋な子供というよりも様々な種族と配合させて創られた、魔造生物といった方が正しいだろう。
ただ、ダナトの血肉を混ぜてルヲーグが創ったエンザーグのように、後天的に他の種族と混ぜられたのではなく、先天的に遺伝子を操作して生み出された生物である。
「それじゃあ、私疲れたから眠るね」
「……うん、お休み」
肩に置かれた手に手を重ね合わせ、シアンの魔力という精神を吸い取る。本当ならルヲーグは身体に触れたものの魔力を吸い取れるのだが、わざわざ手を重ねたことに彼の無意識の寂しさが現れたのかもしれない。
そして、シアンの身体はボロボロと枯れていく。干乾びるのではなく、脆く砂のように崩れていったと言った方が正しい。最後まで美しい微笑みを浮かべたまま、シアンの身体は完全に崩れ去ってしまった。
「俺の番か。その前にこの剣はお前の物だ」
マリア達の猛攻を防いでいたダナトは、光の剣を出現させてマリア達に一閃。光の粒子が散弾となって襲い掛かっていく。
この剣は長男ヘイム、そして次男ダナトに受け継がれてきたもの。その所有者が三男であるルヲーグへと移る。
「シアンには言いそびれたが、俺の遊びに付き合わせて悪かったな」
「ううん、ボクも楽しかったよ。前は父さんに知らない間に眠らされて、何が何だかって感じだったから」
「俺達もあの天族四人に手も足も出なかったからなぁ。まぁ、親父が俺らの封印にあいつ等の魔力を使ったのは意趣返しだろ、そのおかげで生きてたってバレなかったんだし」
ルヲーグは彼の身長に合うように短くなった光剣を右手に持ち、ダナトの背中に左手を宛がい魔力を吸い取り始めた。その間もマリア達の攻撃は続いているが、ダナトは少しでもルヲーグに与える為に魔力の放出は止め、気を前面に張り攻撃を耐え凌いでいる。
そして、シアンと同じように身体から色が抜け落ち、ボロボロと枯れ崩れていく。
「お前は俺達に合わせていろいろやってくれたからな。次はお前の好きなように生きると良い」
「……そうだね。分かったよ」
ダナトは最後まで余裕の笑みを浮かべて灰になった。
兄と姉の魔力を受け継いだルヲーグだが、容姿やマリア達との戦いで受けた傷、魔力の量も抑えているのか変わりはない。
だが、ダナトの灰を握り締めたまま俯くルヲーグは、隙だらけであっても攻撃を躊躇する何かを感じさせた。
「……」
次の瞬間、ルヲーグを中心に闇が広がる。それは彼だけを囲うのではなく、少し距離のあるマリア達をも飲み込む大きさ。だが、それは一番前に陣取っていたグウィードを拒むように吹き飛ばし、唯一進入を許されたのは巫女であるマリアだけ。
「くぅっ、マリア――」
「姉さん、みんなっ」
闇の中では外の音が消えた。
マリアは未だ変化のないルヲーグを警戒しながら、何とか外へと出る方法を考える。
「ボクもお姉ちゃんもボロボロだね。だから――」
その思考を妨げるようにルヲーグが口を開く。
ルヲーグは知識に飢えていた。シアンは娯楽に飢えていた。ヘイムは戦いに飢えていた。
だが、今回の首謀者であるダナトはその三人と違い、飢えではなく野望があった。それは単なる暇つぶしのように語っていたが、本気でやり遂げたい事なのだとルヲーグは理解していたのである。
「そろそろ最後にしようか」
だからこそ彼は換わる。闇を纏って自らの姿からダナトの姿へと。ダナトの計画ではヘイムの役割だったが、ルヲーグは彼を取り込んでいない。いや、居たとしてもやはりダナトを選んだだろう。
右手にヘイムの光剣を強く握って左腕を横に振るう。
当然マリアは攻撃が来るのを警戒するが、彼女が不利になるどころか有利となる展開が待っていた。
「うわっと」
「うぅ~、何ぃ~」
「……こりゃまた面倒そうだねぇ」
別の場所で戦っていたはずの巫女たち、そして――
「えっ、えっ、どこよここ」
今回魔王として人間界にやってきたクラウの四人が現れたのである。ルヲーグが世界中に散らばった彼女たちの魔力を探知し、シアンの闇によって転移させた。それらを可能としたのはダナトの魔力と能力。
これで四人の巫女と魔王、ダナト一派の最後の一人であるルヲーグが一堂に会する。
「マリアっ、何か知っているか?」
周囲を見回しておらず別の意味で驚いているマリアを見て、最初から居たと察した巫女たちは彼女の許に集まる。またクラウも状況が読み取れない中で、敵対していたダナトよりも巫女との距離を縮めた。
そして、ダナトの姿をしたルヲーグは再び腕を振るう。
今度はこの場の映像をダナトが各地に設置した魔道具へ投影を始めたのである。そして、今のルヲーグなら魔法によって全ての人間に映像を見せることも可能となる。
「巫女と使命を帯びし者よ。俺が勝つか貴様らが勝つか、生き残るのはどちらか一方……」
シアンの能力でダナトに換わったことで彼の思考も分かる。やはりルヲーグの考えていた通り、今回の騒動を起こしたダナトの狙いとは――
「これが最後の戦いだ」
父の偉業に近付きたい。ただ、それだけだった。
彼らの父、アデスの偉業。それは人間界を征服する手前まで行ったことではない。
それは巫女であり女神の存在。
天界ではただの天族でしかない彼女たちが、人間界では女神と崇められ、それが常識とまでなっているのだ。アデスが居たからこそ、ヒトはそれまでの考え方や習慣を変えた。つまりアデスはヒトの常識を征服したのである。
未来永劫語り継がれ、誰もが意識しない支配。それと同じ位の偉業をダナトは成し遂げたかったのだ。
「どうしてこんな事をしてるのよっ」
「はっ、それを聞いてどうなる?」
ルヲーグとの戦いは問答を繰り広げながら始まり、魔王であるはずのクラウも巫女側に付く。
ダナトは自分たちが魔王に成り代わり、彼女を女神と同じ位にまで引き上げる考えだったのだ。
もちろん、始めから戦いで負けるつもりなど無い。勝てばそのまま人間界を物理的に征服し、魔王の真実を語って聞かせた上で天界へ戦いを挑む予定だったのである。常識となったものを破壊するのも、同等程度の偉業だと考えたのだ。
「さすがに連戦はキツイなっ」
「バネッサさん、先ずは回復をっ」
「う~ん、本気で戦ってるっぽいけど、何か演技してるような?」
「罠じゃないんなら、どうでも良いさ」
クラウを含めた全員が今まで戦い続けていて少なくない傷を負っている。特にバネッサは前衛として戦っていたので、他の面子よりも深い傷が多い。それでも彼女達は再び戦いに身を投じていく。
「魔者どもは今も世界中で暴れているからな。早く助けに行かないと、護りたい人間が死んでしまうぞ」
「そんな好き勝手、許すはず無いでしょっ」
しかし、それはルヲーグも同じ事。兄と姉を取り込んだとは言え二人とも消耗した後であり、今の実力では全快時のダナトに及んではいなかった。
「私を信じてくれている人達の為にも、お前を倒すっ」
「私はこの世界が好き、みんなで見て回ったこの世界がっ。だから貴方の好きにはさせない」
「アタシが興味ない物ならどうなっても良いけどねぇ。アンタがアタシの楽しみを奪うってんなら容赦はしないよ」
一緒に戦った経験の無い巫女たちだが、それぞれの特徴や戦い方は把握していて、とても始めてとは思えない連携を見せる。特にこの中ではメーリとイヴの二人が戦巧者だった。
そして、剣戟の音が闇の世界に響き、魔法の明かりが闇の世界を照らす。
「私は自分の見たいもの聞きたいものだけを受け入れて、違う意見は目も耳も閉ざしていた。でも世界は広いんだって、いろんな人がいろんな考え方で生きていて、一方からの視点だけじゃ見えないものも有るんだって教えてくれた人がいた。だから私はもっともっと世界を広げたい」
それは相手の意見を単純に受け入れるのではなく、相手を理解しようとする行為。
自分と反対意見の人が何を考えてそう思っているのか、不愉快で嫌な気分にならない為に遠ざけ、聞こうとも理解しようともしなかったマリアの考えを変えたのはキルルキの存在。
敵味方問わず気力を振り絞って繰り広げられる戦いは、それぞれの実力以上のものを出してぶつかり合う。それは全世界に広がり、ヒトは巫女を見る。
「無理だな、俺が世界を終わらせるッ」
「そんな事はさせない。私はっ、いろんな人と話しをしたいッ」
マリア、バネッサ、メーリ、イヴ、クラウ五人の力を合わせた一撃は、闇の世界を明るい光りで照らし出し、ルヲーグを貫いた。
◇
その頃、闇の空間が広がっている外では、マリアを助けようとイーリス達が攻撃を繰り返していた。目を瞑ればマリア達の戦っている様子が見えるのだから、助けに行くため必死になるのは当然だろう。
その場に居たのはイーリス達だけでなく、他の巫女や魔王の仲間にレオ達が集まっていた。いきなり闇に飲まれた仲間の後を追って転移してきたのだ。
「攻撃も効きませんし結界の類でしょうか」
「あの中に転移も出来ぬしの」
片目を瞑ったタウノとダルマツィオが並び、開いたもう片っ方で闇を見詰めている。
ただ、リュリュとモイセスは両目を瞑って戦いを楽しみ、闇を壊してイヴを助け出そうという気配すら見えなかった。それは戦いが佳境だからというよりも、この二人は最初からこんな様子である。
そして、映像の中でマリア達の放った一撃が世界を白く染めていき、それを最後に映像は消えてしまう。その光が外に漏れ出すように、今までビクともしなかった闇の空間に亀裂が入る。
「……終わったのか」
バラバラと崩壊を始める闇が、重力に逆らうように粒子となりながら天へと昇っていく。それを見つめるレオのような人も居れば、巫女が心配で駆け出す人も居た。
「マリア、大丈夫かっ」
「姉さん……うん、ちょっと疲れたかな」
マリアは少しばかり身体をふら付かせ、イーリスが慌てて手を差し伸べる。しかし、マリアはそれを断った。
「とりあえず今度は世界各地を回ってみないとな」
「あの魔族たちを倒したからといって、ダグが滅びるとは言ってませんでしたからね」
二人の言う通り、まだ戦いは終わっていないのだ。
先ほどの映像を修院が見ていたのなら連絡が入るだろう。だからこそマリア達はルヲーグとの戦いが終わって息を抜いたとしても、気までは抜いていないのである。
「父さんの言う通り、巫女で分担して世界を回ろう」
「はぁ~い」
「これで最後ってんなら、少しは気張ろうかね」
そして巫女たちが各地に散り、街中で暴れるダグや魔者を退治することになる。
「あー、私達はどうしよっか」
居場所が無さそうにしているのは、魔族のクラウ達である。今人間を助けに行っても魔族である以上、逆に怖がられパニックになってしまう恐れもあるのだ。
「クラウさん、良ければ手を貸して下さい。今は少しでも戦力が欲しいんです」
「うーん……分かった。嫌われるって分かった上で人間界に来たんだし、ダグってのだけ倒して回ればいっかな」
マリアの真摯な態度にクラウも頷いて力を貸す事を決めた。彼女もこのまま見過ごしておけるような性格ではないのだ。
これで戦力はかなり上がったのだが、最大戦力であるニライは無理だった。ダナトとの激しい戦いでかなりの深手を負い、それでもダナトの後を追ってここまで来たが、レオが説得して治療に入り今は意識が戻っていないのである。
「それじゃあ」
エルザは一緒に戦ってくれた仲間の顔をしっかりと見つめる。
彼女たちとはここで別れるのだ。
傷の深いパーラとヘルヴィは回復時の痛みがあるため自宅で治療に専念し、リリーはダムスミリィへ跳んでダグ討伐の手伝い、レオとエルザもクロノセイド学園に向かう道中の街を担当することになったのである。
「また必ずお会いしましょう」
「今度はパーラの家に集まってゆっくりしようっ」
「そう、ね」
「……うん。絶対」
しかし、別れの言葉はそれほど多くない。今、どこでどんな名前と顔で生きているのか分かっているのだ。何も知らないまま再会出来た以上、会おうと思えば直ぐにでも会えるという確信が全員にあった。
ただ、別れれば簡単に会えない人達もいる。
「それじゃあなニライ。皆に俺の事を伝えるかはお前の判断に任せる」
意識の戻らないニライにレオが話しかけた。彼女の意識がないので、もう言葉を交わすことは無いだろう。そこに物悲しさを感じるが、本来なら有り得なかった再会である。
レオは首から下げていた宝石をニライの手に持たせた。以前、風の精霊と契約した際に出来た物である。無くしても契約上問題ないとサラサから聞いていたので、精霊に一言断って持たせることにしたのだ。
苦痛に表情を顰めているヘルヴィも笑顔を作り、それぞれが転移魔法で送ってくれる各巫女の許へと向かう。レオとエルザは当然マリア達と一緒である。
他の巫女達が転移していく中、タウノは魔道具を取り出す。彼らの中に転移魔法を使える人が居ないので、大地の聖大神殿に跳べる魔道具を使用し、レオ達はそこから歩いて帰る事になったのだ。
「じゃあな二人とも。落ち着いたら神殿に遊びに来いよ。歓迎するぜ」
あちらに着いたら修院に離されるであろう事は想像出来たので、先にこの場で別れの挨拶を口にするグウィードだったが、レオは眉を顰めて肩を竦めた。
「嫌な歓迎のされ方しか思い浮かばないな」
「ははは、確かにグウィードさんなら、模擬戦の借りを返すとでも言いそうですからね」
「確かバネッサも負けたんだったな。なら今度は私が相手をするべきか」
父と妹が二人に負けたのなら、とイーリスは意気込むように笑う。
「姉さんと二人の模擬戦か……見てみたいかも」
「うわっ、マリアもキツイねー」
マリアも彼らの模擬戦を楽しみにして笑うが、エルザからしてみれば今のイーリスはかなり手強い。それにエルザの今の力を見せた以上、グウィード達のように手加減をしてくれないかもしれないのだ。かなり厳しい戦いになるだろう。
「それじゃあマリア頑張ってっ」
「うん、エルザさんとレオさんも道中気をつけて」
「あぁ、マリア達もな」
そして、短い時間だが言葉を交わし、タウノが魔道具を発動させる為に魔力を込め始めた。
転移した彼らは予想通り、言葉を交わす暇もなく聖大神殿で別れることになった。レオとエルザは汗を流し、傷の治療と身支度を整えて裏口から追い出されてしまう。
裏口は業者や関係者しか出入り出来ず今はレオ達以外の姿は見当たらないものの、魔王討伐と巫女の帰還、ダグ掃討の開始を聞いて表口に集まった市民の歓声が、風に乗って遠くまで運んできていた。
「よーし、それじゃあレオ、次の街にどっちが早く着けるか勝負ねっ」
「久し振りだな、お前と差しで勝負するのも」
「前は団体戦で負けちゃったから、今度こそ私が勝つよ。それじゃあ――」
エルザは楽しそうに笑うと次の街がある方角に向けて指を指し、レオは不敵に笑いながら身体を軽く解す。
「始めっ」
エルザの合図と共に二人は風を切って走り出す。暖かな大陽が出るかは気分屋な大空模様次第だが、大海から打ち寄せる波音が響き大地は悠然とここにあり、道はまだまだどこまでも続いていくのだ。
◇◇◇
こうして魔王を退治した巫女達は世界各地に散り、街中で暴れるダグや魔者の退治へと移っていく。
しかし、今回の魔王襲来ではかなりの被害が出てしまい、人類は認識が甘かったことを痛感したのである。だからこそ、これらを後世への教訓とすべく四聖会は全世界に通知を出した。
そして、これが新たな歴史を紡ぐ一つとして語り継がれていくのだった。
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人類はそれまでの魔王襲来において被害が少ない事から、本来であれば覚悟を持つべき事案を楽観視していたのである。
しかし、それは甘い考えであった。
第七魔王であるダナト・グランセットが猛威を奮ったのだ。魔族が国の中核に入り込み人間を魔者に変え、その被害は全世界規模に広まったのである。
これは魔王への脅威を忘れていた人間への罰なのかもしれない。
だが、天は人々を見捨ててはいなかった。
天界より使わされたクラウ・ブラウゼンが各巫女と接触を図り、巫女を諭して天使クラウを加えた全員が力を合わせて戦うことで、見事に魔王を退治する事が出来たのだ。
これからも魔王を甘く見ることなく、女神様への敬意を忘れず隣人を助けることこそが世界を守る礎となるだろう。
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Elsaleo ~世界を巡る風~ 完
これにてエルザレオ完結です。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
この作品の投稿を始めて3年ほど。完結を目指して書いてきましたが、私にとって初めて完結させられた作品となり、とても感動しています。それもこれも読んで下さった皆様のおかげです。心から感謝しております、本当にありがとうございました。