第百十五話
巫女と魔王たちはシアンによってそれぞれが戦うべき相手と共に、または待ち構える場所へと跳ばされた。
レオ達が跳ばされたのは、空間は広いものの壁や天井のある室内で、そこに見覚えのあったレオは魔城にある訓練場だと気付いたのである。
そして、戦闘は始まったのだがレオ達が直ぐに動く事はなく、隙を窺っているわけでも慎重になっているという感じでもなかった。その事を疑問に思ったシアンが挑発気味に話しかける。
「どうした、掛かってこないのか?」
「……ねぇ、シアンって言ったわよね。貴方このまま本来の姿に戻らないで、私達と戦うつもりなの?」
今のシアンの風体は学者のようなものだが、彼は幾つもの容姿を変えている。どれが彼本来の姿なのかは分からない。エルザの言葉にシアンは軽く自分の両手や身体に視線を送り、肩を竦めて呆れたようにため息をこぼす。
「本体を表に出し、それさえやれば殺せるとでも思っているのか?」
「さてな、そうだったら簡単で良いが」
シアンの本体を表に出したいのは、倒せる確立を上げるという理由もあるが、実はそれだけではない。
実は例の魔法陣の展開事態は一瞬で済むのだが、そこにエルザ達各属性の魔力を流すのに時間が掛かるのだ。相手に何をしているのか悟らせない為にも、今は両手で覆ったリリーの小さな手の中で魔法陣を作り、それを肥大化させる方法を取ったのだった。
今はヘルヴィがリリーの背中に手を当てて、その作業の最中である。
「確かに全ての巫女と魔王、我輩たちとその他が戦う最終局面であれば、そちらの方が相応しいかもしれぬな」
腕組みをしながらニヤリと笑うシアンは、レオ達をそれほど脅威だとは感じていないのだろう。だからと言って、レオ達の思惑通りに動きたくないのがシアンだった。
「だが、それはそなた等の実力次第であろう。我輩の姿を見せるのに相応しいかどうか、自らの力を示してみるべきではないのか。それに――」
組んでいた腕を解くと右手をレオ達に、正確には最後尾で護られているリリーに向け空気の弾丸を放った。
だが、今回のは牽制程度の意味合いなのだろう、威力の無い弾丸はエルザが簡単に打ち落とすことが出来た。
「何やらコソコソと動いているようにも見えるが?」
「――ッ、やっぱ魔の者って言うだけあって、人間とかなり違うわね」
何をしているのか知っているレオ達でも気付きにくい魔力の流れだが、魔者はそれらを察知する能力が人間以上に高いのだ。万が一の場合その場から飛び退くためにと、抱き上げたリリーを下ろしながらヘルヴィが毒づく。
「我輩対策の魔法か何かか? くくっ、残念だが我輩はヘイムと違い、真正面からそれを食らってやろうとは考えぬぞ」
戦う事に自信があり、楽しめればそれで良かったヘイムと違い、シアンは自分の力量を理解し戦闘向けではないと分かっている。だからこそ慎重になり、戦い難さという点ではヘイム以上だろう。
エルザは気合を入れるように、フッと強く息を吐き出す。
「ならこっちから動くしかないか……行くよっ」
そして、二振りのショートソードを抜いて、シアンへと襲い掛かる。初手ということもあって何の小細工もなく真正面から心臓目掛けて突いた一撃だったが、それはエルザの目の前に突然現れた闇によって難なく受け止められてしまう。
一撃を放って直ぐに飛び退くエルザと入れ替わるように、パーラとレオも後に続いて攻撃を仕掛ける。下がるエルザを基点に二人が交差して位置を入れ替え、シアンとすれ違い際に左右の脇腹を斬りつけたのだ。
しかし、こちらも左右同時に展開された闇によって防がれてしまった。
「ふん、その程度の刃では我輩には届かぬな」
エルザは正面、レオとパーラは左右の斜め後ろからシアンの様子を窺うが、シアンはエルザとその背後で何かをしているリリー達から視線を外すことは無かった厄介そうなのが誰なのか、既にある程度の検討をつけているのだろう。
「アリージボルト」
シアンが放つ魔法は魔界のものではなく、人間界のものなのでエルザ達にもどういった効果か分かり、即座に対処することが出来る。
エルザは網の目のように広がる雷の網を、巨大なアースシールドを作り出して防ぐ。攻撃を防ぐほどの強度は無いが、網を防いでその隙間から逃げること位は出来たのだ。
「レオっ」
そして、レオに合図を送ってシアンの懐に飛び込んだが、右腕を振り上げた瞬間にエルザは一歩レオの方向へと位置をずらし、反動を利用して左手で横薙ぎで斬りかかる。
しかし、シアンはそのフェイントに引っ掛かることなく、防御の闇を発生させて防ごうとした。だが次の瞬間、エルザの左腕の後方にいるレオから眩い光が放たれる。炎など発光する攻撃ではなく、単に目を眩ませるような強い光りだった。
「これでえぇぇぇっ」
レオ達がシアンに関して事前に知っていた情報は二つ。普通に倒しても死なないことと、闇で攻撃を防ぐということ。闇の正体が何であるかは分からないが、光を放つことで消えるのではないか、ついでに目潰しにもなればと考えたのだ。
「……やっぱり無理か」
「実に浅はか」
だが当然というべきか、シアンの闇は普通の影のように光の加減で消えることなく、空中に展開したままエルザの小剣を受け止めていた。
ただ、防御に使うものがその程度で消えるはずないと、エルザ達も考えていたので表情に驚きも落胆もなかった。
その間、パーラの中級魔法がシアンを襲うが、そちらを見ようとすらせずに闇で防いでしまう。
「もうっ、これならどうですのっ」
あまりにも呆気なく防がれ、パーラは不愉快そうに鞘に納まったままだったもう一振りの剣を抜くと、剣の柄同士を合わせて弓を射るように刀身を滑らせる。
事前にどういった動作で何の魔法が発動されるのか聞いていたレオは、彼女を補佐するように空気の流れを作った。
「エンブレンスアングラッファ」
そして、魔法発動と同時に二つの剣を剣先から滑らせて離すと、その両剣の開いた幅と同じ大きさの口を持った炎の大蛇が現れた。
大蛇はレオが作った空気を食べてより巨大化しながら、シアンを一飲みにしようと大きく口を開けたまま襲い掛かる。
「ほぅ」
この時になってそれほど警戒していなかった二人の攻撃に、初めてシアンが反応を示して意識を向けた。
エルザを払い除けると、炎の大蛇に向けて両手を広げる。すると闇が広がるのだが、今までは城壁のように侵入を防いでいた不動のものが、今回は揺らいで空間を覆い尽くすように大蛇を飲み込んでいってしまう。
「えっ、後ろ」
最初に気付いたのは、魔力の動きに敏感で一番近いヘルヴィだった。リリーの背中に手を当てたまま振り返ると、そこには闇が広がっていたのである。
嫌な予感しかしない中、ヘルヴィはリリーを抱きかかえてその場から急いで離れると、その後からパーラの放った炎の大蛇が現れたのだ。ただ、既にその場を離れていたので、被害を受ける事無く難を逃れることが出来た。
「……リリーのよりかは展開が遅いみたいね」
「それに見た感じからも分かりやすい?」
リリーが断言することなく小首を傾げているのは、シアンがわざと違う展開の仕方を見せた可能性もあり、完全に言い切ってしまうのは危険だと思ったからだ。どちらにせよ、あの闇には複数の役割があることは分かった。
「そいつは攻撃を防ぐのと、別の空間を繋げる二つの役割があるのか?」
「さてな、確証が持てぬのならば、何度でも試してみれば良いのではないか」
レオの問い掛けにも、含みを持たせて余裕の笑みを浮かべているシアンだが、それも当然と言えるだろう。何せレオ達は戦闘が始まってから、シアンを一歩たりとも動かすことが出来ていないのだ。
「何よその言い方はっ、やってあげようじゃないの」
怒った振りをして挑発にわざと乗ったエルザは、シアン目掛けて一直線に駆け出した。右手に握った小剣の切っ先をシアンの胴体に向けているが、これは囮である。
エルザはシアンが闇を展開するより早く、闘気を高めて左手の小剣を超高速で顔面目掛けて投げつけた。当然これは闇を展開して防がれてしまうが、これがエルザの狙い。効果があるかは分からないが、目隠しである。
「……っ」
そして、爆発させた闘気を一瞬で小さく押さえると、速度を増してシアンの足元へと滑り込み、無防備な足に向かって右手の小剣で薙ぐ……が、これも二ヶ所同時に展開した闇で防がれてしまう。
「ふふっ、甘い――」
だが、勝ち誇るように胸を反らせたシアンの姿がいきなり消える。闇壁を回り込むように出されたエルザの本命の一撃、足払いを跳んでかわしたのである。
この戦いが始まって初めて動かされた攻防。シアンがそのことを感心するよりも早く、先に宙に跳び上がっていたパーラが鋭く剣を振り下ろす。
「ハアアァアアァァァアアアア」
エルザの行動を読んでいたレオとパーラは、それぞれが地面と空中に逃げた時に対処出来るよう動いていたのだ。
「グッ」
その一撃はこの戦いでシアンに初めて傷を付けることに成功した。だが、シアンが咄嗟に身体を捻ったことで、片腕を微かに傷付けた程度でしかない。
そして、壁際に着地したシアンは直ぐに両腕を掲げると、親指大の小さな火の玉を無詠唱で無数に発射する。その動きを見る限り、行動に支障はなさそうだ。
シアンが壁を背にしている以上、レオ達全員が視界に入っていて攻撃範囲である。
エルザは防がれて地面に落ちた小剣を拾ってリリーを護れるように下がり、レオとパーラは詠唱をしながらシアンと同じく壁際へと移動。同じタイミングで壁に手を宛がい、魔法を放った。
「スタンドドラン」
「ケイラキルディオラ」
レオは対象の周囲の壁を変化させ、相手を捕縛しようとする下級魔法。パーラは対象の背後の壁を変化させ、串刺しにする中級魔法。
「ふんっ、何だこれはっ」
シアンが逃げ道に選んだのはレオの下級妨害魔法。左右から自身の腹や足を束縛しようとする壁を殴り壊して壁際から離れたのだ。
その間、リリーの近くにまで下がっていたエルザは、右手に持った小剣に軽く視線を落とす。
「……手応えは有ったんだけどな」
先ほど足元を狙った一撃のことで、その時と同じように空中を薙ぐ。あの時彼女が感じた感触は、鉄や鋼のように固く歯が立たないという感じでは無かった。
「でも、突破出来ないんだよねぇ」
どこか腑に落ちなさそうに眉を顰めている。
最終手段としてリリーの魔法陣を発動させる準備を進めているが、魔界の技術も加わった全く新しい魔法陣は、発動させるリリーよりも必要な魔力を流すエルザ達の方が苦戦していた。
元々発動までの下準備に時間は掛かっていたが、横目で確認してみてもまだヘルヴィが終わりそうにない。
「ま、出来るなら普通に倒しても良いんだし、その為には……」
魔力を流す三人の中で一番時間が掛かるのはエルザで、今からその事を考えると重いため息を吐き出すしかないが、気持ちを切り替えるように小剣を手の平で遊ばせる。そして、順手に持って一気にシアンとの距離を縮めた。
「何度やろうとも同じこと」
「それを確かめるっ」
右へと薙ぎ払った一撃は、闇によって簡単に防がれてしまう。
だが、エルザは振り切ったところで小剣を逆手に持ち替えると、そのまま闇に向かって殴り掛かった。何か有れば咄嗟に手を引くことも考えていたが、右手は手首の辺りまで闇に沈んでいる。
「……中々に思い切ったことをするな」
正体を探るためとは言え、それが何なのか分からない空間に手を突っ込むという行動に、シアンは目を軽く開いて驚きを示す。彼の性分からすると、遊びで同じような事を頼まれても断るだろう。
そして、エルザは表情を変える事無く、直ぐに飛び退いて闇に沈んでいた右拳を見る。そこには剣を通してでは分かり辛かった感触が残っていた。
「……何かにぶつかるまで一瞬の間があったこと、それと殴った時の感じからして……その闇は空間に生物を敷き詰めてるってところかな」
導き出した答えが合っているかどうか、エルザはシアンを見つめるが、答えが合っているかどうかどうでも良い事だった。敵が本当の事を答える保証もなく、本当だったところでどう対処するか思いつかないのだ。
しかし、シアンは腕組みをすると愉快そうに笑いながら何度も頷く。
「ふふっ、なるほどなるほど。さすがに巫女と無関係でありながら、この最終局面に加わっているだけのことはあるか」
そして、軽く握った拳で口元を押さえて笑うと、シアンは自身の背丈と同じ縦長な暗闇を発生させ、両開きの扉を開くようにして中央部分の空間を広げた。すると前方に居るエルザ達からは中の様子が見えてくる。
わざわざ見やすいようにしたのか、やや上空から見下ろす形で広がる光景は深い闇でしかない。しかし、その中でも形こそ分からないが、無数の瞳が強く輝いていた。それは百や二百どころではなく、千や万、或いはそれ以上……。
「……つまりその中にいる奴ら、全員を倒せばいいってことか」
「ふふっ、そなたは一撃でどれだけの魔物を屠れるのだ? 我輩の盾は……あぁ、正確な数は忘れたが、億以上の生物が列を成しているぞ」
エルザの表情は硬い。嘘か誇張かは分からないが、それと同じほど大変だという予感が走ったのだろう。
そんなエルザとシアンを挟んだ反対側では、合流したパーラからレオが短剣を受け取り、軽く言葉を交わして直ぐに別れていた。
「……っ」
そして、シアンの背後に回ったレオが、無防備な背中目掛けて懐から取り出した短剣を投げつける。しかし、それはエルザの時と同じように闇で防がれ、カランと音を立てて地面に転がった。
レオが動いたことで前方からエルザも動き、どうだとばかりに広げられた闇の空間に向かって魔法を放つ。範囲攻撃が意味を持つのかは分からないが、剣や拳で攻撃するよりも効率が良いだろうと判断したのだ。
「ふふっ、肩の埃を払った程度でしかないな」
しかし、シアンの涼しい表情は変わらない。特にレオの事など気にも留めず、エルザとリリー、視界に入ったパーラに意識が向いていた。
レオと別れて前方に回ったパーラは、エルザと合流はせずに水の縄でシアンを捕縛しようと、彼女にとって大きな輪っかを作り出す。そして、頭上でクルクルと回しながら狙いを付け、シアン目掛けて一直線に水輪を放った。
「そんな物に捕まる――っ」
軽く笑って避けようとするシアンだが、その余裕の笑みが崩れる。
突然感じた脇腹の痛みに手を回せば、そこには先ほど防いだはずの短剣が突き刺さっていたのだ。更に前方から水の輪の片面がシアンの身体を貫通し束縛、引っ張られた身体から短剣が抜かれレオの手元へ戻り、シアンが飛ばされるのは突っ込んでくるエルザの前。
「ハアアアアアァァァーーーー」
重い一撃は闇を展開することなくシアンの頬を捉え、飛んできた方向へと逆戻りで吹き飛ばされ、壁にぶつかり血反吐を吐き出す。
「ごふっ……ぐぅぁ、何の役にも、立たぬ男かと思っていたが」
シアンは胸元や口周りを血で赤く染めながら壁に手を当て、ゆっくりと立ち上がっていく。
「エルザの足払いで回り込めることが分かった。つまり闇による防御は自動ではなく、お前の意思で展開しているということだ。なら、隙を突けば良い」
「くくっ、しかも精霊を使うとはな」
レオの使ったシルフィンスを見て、一発で精霊との繋がりに気付かれてしまった。眉をピクリと反応させたレオだが、それは覚悟の上。短剣を鞘に戻して、再び懐に納めた。
「なるほど、そなたらの事を少々見縊っていたようだ。……良かろう、我輩の本来の姿が見たいのであったなァっ」
叫ぶシアンの足元から発生した闇が全身を覆い尽くす。
レオは他の仲間と合流を目指しつつ、無駄だと分かりながらもシアンに向かって魔法を放つが、当然というべきか闇の壁を突破することは出来ない。
しかも、時間が掛かるのなら魔法陣や小細工の準備が進められたかもしれないが、残念ながらレオ達が合流する程度の時間しか掛からなかった。
「さて、ここからが本番かな」
エルザの視線の先では暗闇が晴れていき――
「えっ、女の子っ」
今までのシアンの姿や行ってきた事を思い返し、パーラが思わず言葉を漏らす。
そこに居たのは、絵画から抜け出たという言葉ですら物足りない、空想上にいるかのように美しい少女。見た目の年齢だけで言えばレオ達と同じ位だろう。
「あの子がわたくしの国を……」
透けるような純白の髪は細く艶やかで、闇を晴らした時の風で舞いふわりと踊っている。
閉じられた目蓋には長いまつ毛が並び、色白な肌が潤んだピンクの唇を目立たせ、スラリと高い鼻だが特別高すぎるということもなく、顔全体のバランスを完璧に整えていた。
そして、豊潤に実った二つの大きな膨らみは、少しばかり空いた服の胸元から谷間を覗かせる。それでいて細く引き締まった腰と、胸と同じく張りの良さそうなお尻から伸びる長い足には、程よい肉付きがあり足首にかけて細くなっていく。
「ん、はぁ」
微かに息を漏らす。それだけにも関わらず、男性のレオだけでなく女性であるエルザ達も思わず性的な興奮を感じてしまった。
そして、彼女がゆっくりと目蓋を開くと、宝石のように澄んで輝く真紅の瞳が潤ませながら姿を現し、レオ達一人一人を見回したあと整った唇で弧を描く。それは聖女のように純粋で娼婦のように誘う、背反していながらも魅力的な微笑み。
「この姿だと初めましてっ、私がシアン・グランセットよ」
レオ達の戦う相手、シアンが本来の姿を見せた。