適量睡眠薬と自我崩壊の夢
「休んではいられないんです。ねえ。せんせい。何万人、何千万人のファンが、僕たちの歌を待っているんですよ」
やっと歌手として成功といえるだけのものをつかんだというのに。
ベッドから上半身だけ起こした僕の目に入るのは白いカーテンばかり。
どんなに見上げても医者の首から下しか見えない。
ネクタイ。手帳と万年筆が白衣の胸ポケットをいっぱいにしている。
顔は逆光で黒くぼやけてただのマネキンのように突っ立っているだけだ。
首から下しか用意してないなんて、舞台装置にしてもたいした手抜きだ。
「ねえ。マネージャーさんからも口添えしてもらえませんか。一刻も早く退院できるように。ねえ。」
マネージャーは、ワインカラーに塗り重ねられたネイルを二の腕に食い込ませて顔を背けた。
きつくつかむあまりひしゃげた高級なスーツから拒絶の意志が読み取れて、目の前が暗くなる。
なんてことだ。もう頭の中には次の曲のイメージもできあがっているのに。
一瞬の絶望が過ぎると、周りは元どおり真っ白い空間に戻った。
この記憶が確かなうちに早く書き上げて、収録に移ってしまいたい。
歌。
歌う。
白い。
おかしい。
曲を作って演奏するイメージはできるのに、歌っている自分は想像できなかった。
マイクの前で甘く歌うのは、あいつだ、白髪がトレードマークの、我らがボーカル。
「そうだ。マネージャーさん。あいつは。あいつは何をしているんです。僕たちはあいつの歌を世界に届けるんだ。」
首を振るマネージャーの顔を。
顔。逆光によって、そこだけ用意されていないように黒く塗りつぶされた頭部。
僕は気づいた。
ボーカルは俺だ。
じゃあ、曲を作るのは?曲をつくると息巻いていた今までの僕は?
自分は?
だれ。
だれだれだれ。
誰?
これはいけない。危険だ。
ああ早くめざめないと!私!
危ない夢というものがあります。
根本的なものを壊されたり、二度と目覚めない可能性を孕んでいたり。
戻ってこられたのなら楽しいことを考えて、早く忘れてしまいましょう。
そうして、夢のメカニズムが完璧に解明されるその日を待ちましょう。