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ゆきのまちシリーズ

グレイの手

作者: 謎村ノン
掲載日:2026/02/20

 僕は、知らない町を一人で歩くのが好きだ。

 学会に出席するためヨーロッパの都市を訪れて、明日は日本に帰るという日に、僕は、研究室の同僚とは別行動で、ぶらぶらと旧市街を散策していた。

 季節は、夏から秋へと移り変わりそうな時期で、少し肌寒いくらいだったけど、日差しが強い。

 旧市街はカラフルな屋根の古い木造建築が並んでいて、白い壁とのコントラストに、まるでおとぎの国に迷い込んだような気分になった。

 ツーリスト・インフォメーションで貰った地図を片手に、川沿いを歩いていると、脇の広場でフリーマーケットをやっていた。

 引き寄せられるように立ち寄って、様々な雑貨、衣料、古本を眺めながら歩いていると、一つの店で声をかけられた。

「オニイサン、いらっしゃい。おもしろいものがアルヨ」

 声をかけてきたのは、現地人らしい女の人だった。毛糸のポンチョのような上着、編んだ黒髪、緑っぽい瞳で、年齢不詳な感じだ。

「……あ、日本語できるんですか?」

 異国で旅行者に日本語で話しかけてくる人は、大抵は怪しい人だと分かっているものの、その女の人の独特の雰囲気に、つい返事をしてしまった。

「そうヨ、昔、東北に留学していたネ。オニイサンは、アタシが留学していたときに世話になったセンセイにソックリ。だから、特別サービスするヨ」

 皺があまりないものの、なぜか貫禄の感じられる女の人は、にこやかな笑みを浮かべている。

 なんと応えたらいいか分からず、つい額の汗を拭ってしまう。

「はあ……」

「アタシのグッズは、皆ホンモノ。なにせ、アタシは十七代続いた魔法使いの家系の出なのヨ」

 僕は、彼女の小屋に並べられている品物を眺めた。

 屋根のあるブースには、クリスタルのお守り風のアクセサリー、曼荼羅のようにサイケデリックな模様が描かれたお札、ニューエイジ風の絵のポスターなどが処狭しと陳列されていた。

 すべてが、いかにもな怪しい雰囲気を醸しだしていた。

「あー、このフリーマーケットには、たまたま寄っただけで……」

「そうそう、オニイサンには、スペシャルなモノがあるヨ」

 女の人は手を振って僕の言葉を遮ると、テーブルの下の袋をごそごそと探って、何かを取りだした。

 それは――灰色っぽいミニチュアの手の干物のように見えるものだった。

「猿の手って知ってル?」

「えーっと、とんでもない方法で願いを三つ叶えるというものですか?」

 ゴシックホラーで、お金が欲しいとその『手』に願った婦人が、息子を事故で亡くして見舞金を得るというような話だったような……。

「そう! アレ作ったのはアタシの家系の魔法使いヨ。アレは、願いに一番近い蓋然性の未来を選択するための魔法プロダクツ。元々は、アラビアのカリフに贈ったのが、流れに流れてイギリスまで行ったネ。デモ、オブザヴェーションされる未来を変えるのは、サイド・エフェクト大きいネ。そこで、アタシは考えタ。過去を選択して変えるなら、問題ナッシング! そして、このグレイの手を作ったヨ」

「つまり、これは過去を願ったものにする、猿の手、っぽいものということですか?」

 僕は、それほど暑くないのに、更に額から汗が流れてきたような気がして、ハンカチを取り出して額を拭った。

 女の人の方は、我が意を得たりという感じなのか、にんまりと笑った。

「そうダヨ! 過去は変えるケド、それを願った時の現実は、まったく変わらないネ!」

「えーと……お金持ちだった過去を願ったら?」

「タブン、今はお金使い果たしているコトになるヨ」

「それって、意味あるんですか……?」

「欲しかった思い出がゲットできるネ! たとえば、お金使って、ジャンジャン酒池肉林とか。思い出して良い気分に浸れるネ でも、今は変わらないカラ、何も問題ナッシングネ」

「……でも、過去を変えてしまって、大丈夫なんですか?」

 この人は、妙な単語を知っているなあと思った。

 そういえば、偽りの記憶を売るというような小説を以前読んだことがあったたような気がする。しかし、記憶ではなく、本当に現実が変わるのだろうか……?

「元々、未来だけでなく過去も、不確定性原理で常に揺らいでいるヨ。ヒトが時々、記憶違いと思うことがあるのは、実際に過去が変わっているからだヨ。このグレイの手は、ソノ原理をインクリーズするだけだから、問題ナッシング!」

「はあ……」

「オニイサンには、特別に十ユーロで売ってあげるネ。今ここだけ、滅多にないセール・プライス。オープン・セサミ!」

「うーん……」

 僕は、その小さな『手』を眺めてみた。一見、本物の生物の干物のように見えたが、指が六本もあって、関節の付き方が変だった――どう見ても、実在の地球上の生物のものではない。

 僕が不審に思っているのを感じたのか、女の人が解説する。

「猿の手は、未来を変えるために、過去の祖先である猿の手を使ったヨ。このグレイの手は、過去を変えるために、ヒューチャーで三番目くらいにアースリングとコンタクトした異星人(グレイ)の手を使ったダヨ」

「その宇宙人というのは、どこの星の人なんですか?」

「……えーと、アンドロンメダとか、何かから来た人だったヨ。定期的に触手が抜け変わるトカで、落ちたのを譲ってもらったダヨ」

 僕は、その『手』を眺めた。付け根の部分は滑らかで、萎びた大根の切断面のような模様があった。

「ふむ――分かりました、いただきます」

 これは、作り物としては微妙だが、話のネタには面白いと思った。値段も、この妙な精巧さからすれば、リーズナブルな感じだ。パーティーグッズか何かとして使えるだろう。

 私は、十ユーロ紙幣を財布から出して、女の人に渡した。

「マイドアリ! アタシ、ウェブ通販もしてるネ。カード入れておくよ」

 女の人は、その小さな手のようなモノを包装すると、名刺大のカードと一緒にして、袋に入れ、私に差しだした。

「ありがとう」

「マイドゴヒイキニ」

 妙な単語で挨拶する女の人に手を振って、旧市街の道に戻った。

 その後、ぶらぶらと町を歩いてホテルに戻り、帰国の準備をした。

 ――日本に戻った次の日から、別の学会の準備に忙しくなって、その謎の手のことを思いだしたのは、一週間ほど経ってからだった。


***


 その日は、特に用事が入っておらず、完全な休日だった。

 僕は、連日の仕事で疲れ果てていて、一人暮らしのマンションの部屋を片づける気にもならず、朝起きてから、ただぼーっとして過ごしていた。

 昼食を取り、机の中くらいは整理しようかと思いついたとき、一番下の引き出しに放り混んだままになっていた、例の『手』が入っている袋を発見した。

 机の上で、その袋を開けて、手に取ってみる。

「やはり、かなり精巧にできてるな」

 思わず呟く。それは革のようなプラスチックのような素材でできていて、皺がリアルだった。爪や毛穴はないものの、生物のような感じがよくでていた。

「まあ、試しに何かお願いでもしてみるか」

 まったく期待はしていなかったものの、その日は暇だったので、そんな気になった。

「うーん、何にしようかな……」

 何か、思い出して良い気分に浸れるような過去の記憶、とは何があるだろうか?

 僕は、お金には、あまり執着しない性格(たち)だ。僕は、もう三十代の後半になるところだが、それまでの青春を全て研究に捧げてきた。中高一貫の男子校出身で、工学系の学部に進学し、大学の卒業研究で実験をやって、面白く感じられたのが運の尽きで、研究の魅力に取り憑かれ、そのまま大学の研究室入りして、その後もずっと研究一筋の人生を歩んできたのだ。気がついたら、研究者としてはそれなりに充実しているものの、それ以外は全て人生のレールの外に置き去りにしてきた、ような気がする。もう中年と呼べる年齢かもしれないのに、女の人とつき合ったこともなく、当然、独身だった。そもそも僕の研究分野では、女の人の研究者も少なく、数少ない研究室の女の人も、あまり異性を感じさせるような人がいなかったし、そもそも、僕は、元々、コミュニケーション能力が人と比べて高くはなく……。

 一瞬、落ち込みそうになり、はたと気がついた。

「うーん、そうだな、昔恋人がいました……的な過去があったら、少し良い気分とやらに浸れるかな?」

 研究生活そのものは充実している。しかし、最近、何となく空しさを感じるようになってきたのも事実だ。だからといって、何か行動を起こすのも、日常が忙しすぎておっくうなのだ。せめて、何か思い出があれば、現状を変えようと重い腰を上げるキッカケになるかもしれない、と思った。恋人がこれまでまったくいない「0」を「1」にするのは大変だが、元いたという「1」を「2」にするのは、心情的には楽だろうと思ったのだ。

 僕は、仮定として、いたらよかったなあ――と思う恋人の姿を想像した。あまり最近すぎると面倒そうだから、かなり昔の話にしておくのがよいだろう。名前は、『星子』にする。好きなアニメのキャラクター名から取ったものだ。性格も、そのキャラと同じにするかな、などと考える。

 僕は、その小さな『手』を握って、持ち上げて言う。

「えー、昔彼女がいたことにしてください――ウっ!」

 言い終えた瞬間、感電したような衝撃が全身に走った。思わず、その『手』を取り落としそうになる。

 確かに、何かが変わった、ということが明確に分かった。あの自称魔法使いの言葉など、まったく、いや、ほとんど信じていなかったのだが……。

 私は、はやる気持ちを抑えて、押入れを開ける。そして、最奥まで首をつっこんだ。すると、そこには、本来は、仕舞ったはずのない段ボール箱があった。

 本来……?

 その箱のことを『思いだし』そうになるのを押しとどめつつ、引っ張りだす。

 ずっしりと重いその箱には、彼女との思い出が詰まっていることが分かっていた。

 僕の性格として、現状は別れたことになっているはずであっても、彼女との記念の品を捨てるはずがないのだ。

 べりべりと箱のガムテープの封印を解いて開ける。すると、一番手前にあったのは、本来、見覚えがないはずのアルバムだった。

 一瞬躊躇したが、開いてみる。

 最初のページには、煉瓦倉庫の横に立つ高校生くらいの頃の僕と、隣に立った同じくらいの年齢の女の子の写真が貼られていた。

「ああ、これは……」

 その写真を見たとたん、本来は、いなかったはずの彼女との思い出が、どっと脳裏に浮かんできた。これは、私と彼女が、二人で最初に横浜の港に行ったときの写真だ。

 彼女、星子とは同じ高校に入ってからの付き合いだった。中学でクラスが同じだったものの、まるっきり接点がなかったのだが、入試の帰りになんとなく声をかけて親しくなり……。

「えーと、あー……うーん……そうだよな……」

 あれ、僕は、中高一貫制の高校に進学したのではなかったか? いや、元々中高一貫だったけど、隣の女子校と合併して、女子が入ってきたのだっけ……?

 本来ないはずの記憶が、本当にあったような気がして、かなり混乱した。いや、過去が変わっているのだから、こっちの方が『本当』になっているはずだという確信があった。しかし、本来の『ずっと彼女いない歴=年齢』の記憶や、例の異星人の『手』を買ったときのことも、はっきり思いだせた。

 しばらく頭をかかえていたものの、落ち着くと、心の底からむくむくと嬉しい気分がわき上がってきた。

「……なるほど、これは本物だ!」

 僕は思わず携帯電話を取り出して、大学以来の唯一の友人である岡原君に電話をかけた。岡原君は、大学を出た後、美大に入り直して、実家でフリーランスのデザイナーをしている、という変わった経歴の友人だ。

 しばらくコールした後、岡原君がでた。

「よう、元気? 実は、部屋の整理をしていて、昔の彼女のアルバムを見つけてさ」

「ん? そういえば、高校時代に、付き合ってた彼女がいたんだっけ?」

 こういった突然の電話でも、すぐ話が通じるのが、彼のよいところだ。

「いや、違うんだ。実は、この間、学会で出張に行ったときに……」

 ……僕は、これまでの経緯を説明した。

「――それ、新しい小説のネタ? 君は昔から、元カノのことは封印している、って言ってたじゃん」

「え?」

 岡原君とは、大学の時借りていた下宿で、飲みながら理想の彼女論を語り合っていた記憶はある。が――そんなことを話した記憶は、『僕』にはない。

 いや、これは、過去が変わったから岡原君の記憶も変わったのだろうか? そういえば、『私』の方は、確かに彼にそんな話を……。

「……あ、いや、そういう訳ではなくて」

「でも、面白いな。そういうことにしておいてやるよ。付き合ってたのは高校の間で、大学に入る前に別れたんだっけ?」

「それは……」

 岡原君が知らないとなると、そうなるはずだ。しかし、大学に入る前の彼女の記憶を思いだそうとすると、なぜか霧がかかったように思いだせな……い……。あれ、どうしたんだろう……これは……何故…………。

「……」

「おい、どうした? 泣いているのか? おい?」

 僕は、気がついたら、携帯を握りしめながら、その場にしゃがみ込んでいた。確かに、頬に涙が伝っているようだ。

 自分の感情に、訳が分からず動転した。

「……悪い。今度、おみやげ渡すわ。じゃあまた」

 私……僕は、強引に電話を切ると、ティッシュで涙を拭った。本来ないはずの記憶が、こんな激情を生み出すとは驚きだ――これは、無理して思い出さないほうがよいと思った。大学より前といえば、遠い昔の出来事のはずなのだが……まだこの過去の記憶は精神的外傷(トラウマ)になっているというのだろうか?

 ――過去を変えるという行為を、少し安易に考えすぎていたかもしれない、と思った。僕は、背筋に冷水を流されたような心地がした。先程までの高揚感は、完全になくなっていた。

 

 次の日、職場に行きデスクに鞄を置くと、学生の高井君が近づいてきて、印刷された紙を差しだした。

「送別会の場所と時間です。こちらになります」

「え、誰の?」

「いやだなあ、とぼけないでくださいよ」

「あ、私……」

 唐突に私は気がついた。今の私は、東北の大学から出向していることになっていたのだ。出向期間が終わり、元の大学に戻る期限が、ちょうど一週間後に迫っていた。

 いや、元々の『僕』は、この研究所の正職員だったはずだ……確かに、そうだった……。

「ごめん。ちょっと気分が悪くなったので、今日は帰る。先生によろしく言っておいて」

 ――両足が、雪解けのぬかるみに、ずぶずぶとはまり込んでしまったような気がした。あれ、そもそもそんな深い雪など経験したことがあったっけ……?

「え、あ? お大事に」

 高井君は、僕の言葉に驚いたようだったが、かくかくと頷いた。僕は、よっぽど顔色をなくしているのだろうと、頭の片隅で思った。

 逃げるように職場からでて、すぐ先の地下鉄の駅まで歩き、電車に飛び乗った。

「……なんなんだ……現在は変わらないんじゃなかったのか……何なんだ……?」

 通勤時間を過ぎているので、空いている電車の座席に座りながら、額をなでつつ、一人ごちる。

「……考えろ。いったい、なにが起こったんだ?」

 声に出してみると、焦りつつも、思考が働くのがわかる。

 そうだ。よく考えれば――確かに、願いを望んだその時点では何も変わらなかったのかもしれない。

 しかし、元々の僕の過去を『A』とすると、本来は、


 (過去A)->(現在A’)->(未来A’’)


 と流れるはずだった過去が、唐突に『B』に変化したのだ。

 ということは、変わってしまった過去から無理矢理、A’に現在が流れたとしても、その先の未来は、


 (過去B)->(現在A’)->(未来B’A’’)


 のようになるのかもしれない。

 つまり、現在がピン留めされていても、勢いがついた物体がなかなか止まらないのと同じように、事象の移り変わりの連鎖が残るはずなのだ。

 そもそも、小さい変化の積み重ねが、カオスとして連鎖的に作用し、時間が経つと、とんでもなく大きくなるという事態も考えられる。いわゆる、バタフライ・エフェクトが起こるのだ。

「なんで……その可能性に、思い至らなかったんだ……」

 私は頭を抱えた。しかし、そもそも、あの『異星人の手』とかいう物体に、本当の意味での魔法が掛けられているなんて、まったく信じていなかったのだ。

「でも、まだ、二回、願いが残っていたっけ……」

 いや、単純にあの願いを『無かったこと』にしてもよいものだろうか?

 例の『猿の手』のことを考えると、それもリスクがあるような気がする……。

「そうだ!」

 私は、唐突にあの売り子の女が、連絡先だとかいうカードを入れていたことを思いだした。まだ、あの物体の袋は捨てていない。あの魔法使いとやらに、善後策を直接尋ねられるはずだ。

 彼女は、こうなることを、おそらく知っていて売ったに違いない。困らせておいて、後で、お金か何かを吹っかけるつもりだろうか? だとしたら、何とか交渉するしかないだろう……。

 そんなことを考えているうちに、いつの間にか自宅に戻っていた。

 靴を脱ぐのももどかしく、デスクの前まで行き、例の物体の袋を取りだして、ひっくり返した。すると、中に一枚のカードが入っていた。

『あなたのホワイト・マジック レム』

 カードには、そういった内容の英語と北欧のルーン文字のような謎文字が書かれており、インターネットのウェブサイトのアドレスが書かれていた。

 私はパソコンを立ち上げると、そのウェブサイトのURLを打ち込んだ。しかし、ブラウザには、『指定のURLに接続できません』の文字が空しく表示されただけだった。

「あれ、打ち間違えたかな?」

 カードの文字を目を大きく開けて見つめ、何度も画面と見返しつつ打ち込むものの、『接続できません』のままだ。

「……なんだよ、あんなに自信満々にウェブ通販とか言っていたくせに!」

 私は、キーボードに、両手を叩きつけた。

 これから、いったいどうしたらよいのだろう? 不安が、心の底からむくむくとわき上がってくる。

 そのときだった、唐突に電話が鳴った。

「もしもし?」

「ご無沙汰しております、星子の母です。もうすぐ、また東北の方に戻ると聞きました。その前に、一度遊びにいらっしゃいませんか?」

 私は、唐突に、封印されていた星子の最後の記憶を思いだしていた。

 彼女は、私も一緒に出かけた卒業旅行に行く途中、バス事故に巻き込まれて亡くなったのだった……。


***


 東京近郊の私鉄沿線にある彼女の実家に行き、お焼香をする。

 仏壇の中には、アルバムで見たのと同じ、星子の笑顔の写真が飾ってあった。

 岡原君と話したときには霧が掛かったようになっていた記憶は、大分、自分のものとして思いだせるようになっていた。

 しかし、まだ、肝心の卒業旅行の事故前後のことが完全には思いだせなかった。

 スキー旅行に向かっていたバスが、横転して火に包まれたような記憶を断片的に思いだせる……事故で、その部分の記憶が飛んだということだろうか?

 そんなことを考えていると、星子の母親から話しかけられた。

「すみませんねぇ、平日だから、留守録に入れておこうかと思ったのだけれど」

「いえいえ、たまたま休みを取っていたので、よかったです」

 ――思いだした過去の記憶によると、星子の実家には、東北の大学から出向してこちらに来たときに、一度、挨拶に伺った以来だった。星子の母親は、その時と比べると、少し髪の毛に白いものが増えて、やつれたようだった。

 これも思いだした今年の年賀状によると、星子の妹は、結婚して家を出たそうだ。そうすると、この新興住宅地の一軒家には、夫婦だけで暮らしているのだろう。『私』の方は、現職場から東北の大学に戻ることを、ハガキを出して知らせていた、ようだ。

 テーブルについて、お茶とお茶菓子を差し出した星子の母親は、僕のことをじっと見つめた。

「ああ、星子が生きていたら、きっとあなたの子供を連れて、会いにきてくれていたろうにねえ。あの子、毎日、あなたのことを嬉しそうに話していたのだもの。でも、あなたは、星子のかわりに、早く良い人を見つけて幸せにならないとダメよ」

「はあ……すみません」

 僕は、何ともいたたまれない気持ちになった。

 いや、元々、この夫婦には、僕と同級生になる星子という女の子はいなかったはずだ、たぶん。なのに、僕が過去を変えてしまったばかりに、本来ないはずの苦悩を背負わせてしまったのだ。

 思い出した記憶によると、この母親は、昔の私にだいぶ良くしてくれたようだった……。

 しばらく、星子の思い出話をした後、僕は席を立った。

「どうも、ありがとうございした、また来ます」

「ええ、今度は、お墓の方にも寄ってあげてね」

 母親に見送られて、私は家をでた。星子の家は、昔の私の実家と、線路を挟んで反対側に建っていた。

 駅まで歩きながら、いろいろなことを考えた。

 ――過去を変えるということは、僕だけでなく、当然のことながら、他の人にも大きな影響を与えてしまうものなのだ。

 僕は、『昔に恋人がいたことにする』と願ったとき、その昔の恋人自体は、どこか遠くで幸せになっていればいいな、などと勝手に思い込んでいた。

 しかし、あのブツを作った女は、サイドエフェクト、つまり副作用を小さくするとか何とか言っていなかったか? つまり、何か過去を改変して、もともといなかった人間が生き続けたら、他の人間に与える影響が大きくなるのだろう。しかし、星子が『生きていない』ように過去を改変すれば、その影響を、少なくすることができるはずだ。死者は語らないのだ。

 いや、たとえそうだったとしても、星子の母親のような近親者は、大きな影響を受けるはずだ。

 ……そこまで考えなければいけなかった。

 仮定に仮定を重ねているとはいえ、この考えは間違っていないという確信めいたものが感じられる。

 でも、あのブツが本物だなんて、これっぽっちも……。

 ……私は、星子の母親に対して、大きな、大きな罪悪感を感じた――元々はいなかった子供の記憶を、ずっと抱えていかなければならないのだから。

 そこまで考えて、はたと気がついた。


 本当に、星子は、『元々いなかった』のだろうか?


 関わりある様々な人間の記憶にあって、どこを調べてもその記録も見つかるということは、事実、星子は存在していたのだ。

 ここは、星子が生きていたという別世界と考えた方がよいのかもしれない。

「そうか……!」

 つまり、元々、本当は、いたのなら、またあの『異星人の手』を使って、生き返らせることはできないだろうか?

 そういえば、例の猿の手でも、息子を亡くした婦人が、二回目の願いで息子の復活を望んだはずだ。たしか、その結果、夜中にドアをどんどんと叩く音が聞こえ……という恐怖の展開になったのだった。

 しかし、あのとき、生きている息子が実際に帰ってきていた可能性もあったのではないだろうか?

 おそらく、息子さんは何らかの陰謀に巻き込まれていて、工場で機械に巻き込まれたのは本当は別の人間で、息子は追っ手から逃げる途中で、最後に家のドアを叩いて別れを言いにきた――などというストーリーの方が、現実的には、尤もありえそうだ。

 そもそも、狐狸妖怪幽霊のたぐいは、通常の物理法則では、存在が許されないはずだ。僕も、霊感のたぐいは、まったくもっていない。

 例のブツの売り手の女も、願いに蓋然性が近い世界が選択される、とか何とか言っていなかったか?

「……そうか、そう願えば良いんだ」

 そこまで考えて、いつの間にか、部屋に着いてしまったことに気がついた。

 私は、また例のブツを取り出して、心の底から願った。

「えー、星子が実は生きていて、幸せに過ごしているようにしてください!」

 そう願った次の瞬間、また稲妻のような感覚が全身を貫いた。たしかに、願いが聞き届けられたことを感じる。

 心の底からよかったと思った。まだ夕方だったが、適当につまみを出してワインを飲んで、寝た。


***


 そのちょうど一週間後、僕は新幹線を降りると、在来線を乗り継いで、大学のある町まで来ていた。

 もう『私』が新しい賃貸マンションの手配をしていたので、引っ越し屋も午後に来る予定だった。僕は、先に大学の方に顔を出すことにした。

 雪のちらつく駅前でタクシーを拾って、大学構内にある僕の『本来の研究室』ということになった部屋に行く。もちろん、記憶はあるので、どこなのかはすぐ思いだせた。

 教授室をノックすると、見知った顔の教授が応接椅子で資料を広げていた。

「今日戻りました」

「ごくろうさん。また来週からがんばってくれよ!」

 教授は、ソファから立ち上がってそう告げた。

 実は、この教授は、過去が変化する前でも、大学の研究室時代に大分世話になった知り合いだった。変化する前はあまり接点がなかったものの、『私』の変化した過去では、彼は、この大学の教授になり、僕を呼んでくれたようだった。これは、確かにあり得べき過去の一つだったかもしれない。

「回路の実験データできたヨ。ちょっと見てクダサイ」

 そこに、女の人が入ってきた。その顔を見て、私は、驚愕した。

「あら、シンさんセンセイ、お久しぶりデス」

 にこにこ微笑んでいたのは、あの異星人の手を売っていた女の人――いや、女の子だった。

 この女の人……留学生のレムには、変化した記憶では、僕が、実験方法を教えたりしていたことを、唐突に思いだした。僕が出向していた間は、教授が直々に教えていたのだろう。

「そうか。積もる話もあるだろうが、実験中なので失礼するよ」

 教授は資料をまとめると、女の子と一緒に実験室の方へ出て行った。その途中、女の子(レム)は、私の耳元で囁いた。

「……こうなると思っていたダヨ。月がでている夜に、ホームページにアクセスしてみてクダサイ。ビックリするヨ」

 僕は、まだ驚きから立ち直っていなかったので、頷くことしかできなかった。


 その後、大学からでて、不動産屋から鍵を受けとって、借りたマンションのがらんとした室内に入った。

 トランクを開けて、タブレット端末を取りだし、携帯電話と無線接続する。

 『お気に入り』に登録してあったサイトにアクセスすると、今度はホームページが表示された。

 あのカードと同じ、『あなたのホワイト・マジック レム』と英語で書かれた、英語のサイトだった。

 リンクを辿って閲覧していくと、例の『異星人の手』はなかったものの、あの出店で売っていたような怪しいグッズを販売しているようだ。

 これのどこが驚くことなのだろう? そう思って、またトップページに戻ると、やけに大きなアイコンがあるのに気がついた。

 『ビデオ通話はこちら』

 あの留学生の女の子――レムソワヤ・デメテル、略称レムという名前を思いだせていた――に尋ねなければならないと思い、そのアイコンをタッチする。

 すると、ビデオ通話ソフトが立ち上がり、『しばらくお待ち下さい』の表示がでた後、星子がでた。

「こんにちは、シン。本当に久しぶりね。ついに記憶の封印がとけたのね」

 星子は、なにやら軍服のようなものを着ていた。背景は、機械とスクリーンが並べられた部屋だ。ひょっとして、軍艦か何かの中なのだろうか……?

「星子! 本当に生きていたのか!」

 今日は、驚くことばかりだった。しばらくタイムラグがあって、星子が応えた。

「ごめんなさい、機密任務なので、ずっと連絡ができなかったんです。わたしは、今、月の裏側にある基地で、まだ非公式の国連宇宙軍所属の『恒星船エムズィー』に乗船しています」

「恒星……スターシップ? そんなものが?」

「実は、地球は狙われているのよ。わたし達の事故は、上空での戦いで落下した異星人(グレイ)のUFOを避けようとして、バスの運転手さんが急ハンドルを切ったせいなの」

 ……今、僕は、事故のときの記憶をはっきりと思いだせた。

 あの事故で――窓側に座っていた僕は、たまたま投げ出されて運良く草の上に落ちたので、それほど大怪我はしなかった。

 しかし、彼女は、燃えさかるバスの中にいて、私は、必死で辿り着こうとして気を失った。激しく炎上したバスは、フレームだけ残っていたということだったが……。

「星子! あの炎の中で、大丈夫だったのか?」

「ええ。私は、炎上したバスの中で大やけどを負って脳死状態になったのだけど、異星人の分子機械テクノロジーで蘇生したの。その関係で、今は、国連宇宙軍で働いている、というわけ」

 そういえば、担ぎ込まれた病院は、やけに警備が物々しかったのを覚えている。

「人類は、捕獲した異星人のUFOの技術から、このエムズィーを建造したの。宇宙にいるのは、地球と敵対的な異星人だけじゃないわ。このエムズィーは、友好的な異星人と安全保障条約を締結するための使節として、もうすぐ旅にでる」

「いつまで……?」

「安心して、このエムズィーは、ダークエネルギーによる空間歪曲航法で、見かけ上の光速の壁を突破することができるのよ。まだはっきりとは分からないけど、一年くらいのスパンだと思うわ」

 星子は、画面の中でにっこりと微笑んだ。それは、確かに、僕のよく覚えている星子の笑顔だった。

「しかし――そんな機密情報を、僕なんかに話してくれてよかったのか?」

「大丈夫! あなたも科学技術担当のスカウト要員なのよ。レムは、私達のエージェントの一人だったの。このビデオ通話は、最終面接も兼ねていて、担当官に聞かれているわ。今回の航海は無理だけど、戻ったら、一緒に宇宙で働きましょう」

「うん!」

 僕は、力強く頷いた。

 この結末が、あの異星人の手の魔法によるものなのか、元々仕組まれていたことなのかはよくわからなかった。

 しかし、僕の残りの一つの願いは、もう決まっていた。

 ずっと未来になってから、「二人は、ずっと幸せな生活を送っていたことにしてください」と願うのだ。

 現在は、過去の延長線にあり、未来もまた現在の延長線にあるのだから。


※『猿の手』は、W・W・ジェイコブズの古典的な作品です。


(了)




これも、十酢年前に、今はなき、ゆきのまち幻想文学賞に投稿したものです。未来が揺らいでいるなら、過去も、かな?とふと思ったので考えてみました。本当に、思い違いをするのは、そのせいかもしれませんね(笑)

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