第2話 運命のいたずら
四月も半ばになって、新しいクラスの空気にもだいぶ慣れてきた。
入学したての一年生じゃないんだし、緊張なんてみんなすぐにほぐれるとはわかっていたけれど、思った以上に話しかけられる回数が増えている。
廊下を歩けば、男子が振り返る。体育の授業ではリレーのアンカーに推され、女子たちからは髪型を真似したいなんて言われる。――正直、ちょっとしたアイドル扱いだ。
それが嬉しくないわけじゃないけど、ときどき窮屈に感じる。だってあたしは、ただの中二女子。
ツインテールが似合うと自分でも思ってるし、少しだけ自信もあるけど……まだ胸のことだって気になるし、女の子として完璧じゃない。そんなの、誰にも見せられない本音だ。
夜。夕食を終えて宿題をしていると、リビングからお母さんの声がした。
「陽奈ー、クラスの子から電話よ」
電話? こんな時間に?
少し首をかしげながら受話器を受け取る。相手は……誰だろう。クラスで親しくなった子は何人かいるけど、電話をかけてくるほどの仲じゃないはず。
「……はい、高瀬です」
受話器から返ってきたのは、少し固い男の子の声だった。
「あの、こんばんは、真鍋です」
真鍋……あ、隣の席の。名字だけじゃピンと来なかったけど、すぐに顔が浮かぶ。ちょっと猫背で、声が控えめで――でもノートを取る字はきれいだな、って思ったことがある。
「こんばんは」
そう言いかけた瞬間、彼の声が重なった。
「それで、連絡網なんだけどね、陽奈ちゃん――」
…………え?
思わず言葉を失った。今、なんて?
陽奈ちゃん?
女子からそう呼ばれることはもちろんある。一年生から同じクラスだった子には呼び捨てにされたりもする。だけど、ついこのあいだ席が隣になっただけの男子が“ちゃん付け”で呼んでくるなんて、さすがに初めてかも。
でもどうしてだろう、不思議と嫌な気はしなかった。むしろ耳の奥にじんわり残って、頬が熱くなる。
彼が慌てて用件を告げてくる。そうか、連絡網ね。
「うん、わかった。ありがと」
できるだけ平静を装って返事をするけど、心臓が変に跳ねている。なんでこんなにくすぐったいの。受話器を置いても、その余韻は消えなかった。
布団に入ってからも、思い出すたびに顔が熱くなる。あの真鍋くんが、あたしに「陽奈ちゃん」って……。寝返りを打っても、ドキドキが収まらなかった。
翌朝、教室に入ると、もうすっかりみんなの輪の中心にいるのが自分だと実感する。友達に話しかけられ、笑い合いながら席に着くと、隣の彼がちらちらとこちらを見ているのが分かった。
――やっぱり昨日の電話のこと、気にしてるんだ。
彼が勇気を出したように声をかけようとするのを見て、思わず先に口を開いた。ちょっとしたいたずら心のつもりだった。
「ねえ、昨日みたいに呼んでよ」
わざと少し意地悪っぽく笑ってみせる。
彼は「い、いや……」とすぐに慌て出した。そういう反応がまた可愛い。
机に身を寄せ、ツインテールを揺らしながら顔を近づけてみる。ちょっとあざといかな。
「いいでしょ?」
そう言ったとき、彼の視線が一瞬あたしの髪に吸い寄せられた気がした。くすっと笑いながら待っていると、やっと彼の口から――
「……ひ、陽奈ちゃん」
しどろもどろながら呼んでくれた。
胸の奥がじんわり熱くなりながら、嬉しさを隠すように微笑む。
「そうそう。じゃあ、ずっとそう呼んでね。――朋希くん」
調子に乗って、あたしも彼の名前を口にしてみた。昨日よりもぐっと距離が近づいた気がして、心臓がドキンと跳ねた。
そのとき、後ろから声が飛ぶ。
「おーいおーい、隣同士で名前呼びかよ!」
「新婚さんみたいじゃん!」
教室のあちこちから冷やかしが広がり、笑い声が響く。あたしは思わず笑いながら振り返った。
「なにそれ、みんなひやかしすぎ!」
わざと明るく返すと、周りはさらに盛り上がる。でも、その中で一番熱を帯びていたのは、たぶんあたし自身の頬だった。
――朋希くん。
こう呼んでいいんだって思うと、心がちょっとくすぐったくて。
彼の隣の席が、急に特別な場所に思えた。
「第3話 受け取った想い」は、9/19(金) 12:00に公開予定です。
(日曜の夜・金曜の昼に更新)