第11話後編 湯けむりにそそる
大浴場の前で振り返ったとき、そこに立っていたのが朋希くんだってわかった瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。
きっと、あたしがキャンプファイアーでぽろっと言っちゃった「お風呂まだなんだ」が気になって来たんだろう。
それでも、あたしはわざと「どうしたの?」って聞いてみた。彼は「いや、その……」ってしどろもどろに視線を泳がせる。そんな彼を見ていると、なんだかおかしくなって、唇が自然とゆるんだ。
「ふふ、やっぱり気にして来てくれたんだ」
彼は真っ赤になって首を横に振る。照れ方がまた可愛くて、胸がちょっと熱くなる。
林間学校は今夜で最後。明日にはバスで帰って、あっという間にいつもの日々に戻る。
どうせなら――と思った。
どうせなら、今日だけの思い出をひとつ増やしたい。だから――。
「ねえ、どうせ誰も来ないよ。一緒に入ろ?」
言った瞬間、自分でも大胆だってわかってる。朋希くんは何を言われたのかわからないという顔。
「な、何言ってるの! そんなの無理に決まってるだろ! だいたい僕はさっき入ったし……」
しばらく固まったあと、当然の反応。そうだよね。そうなんだけどさ。
そこまで全否定されるとなんだか悔しくなってきて、あたしは引き下がれなかった。
「そんなこと言わないの。なんか怖いから、一人じゃ入りたくなかったんだもん」
さっきちらっと見た薄暗い大浴場。べつに本気で怖いわけじゃないけど、一人で入るのはちょっと寂しかったのも事実。
それに、「怖いから」って理由をつけたら断れないんじゃないかって、ちょっとずるい考えもあった。
朋希くんはもちろん大慌て。「え、いや、それは……!」って手を振るけど、あたしはにこっと笑ってその手を引っ張るのだった。
別々の洗い場に座り、あたしたちは背中合わせで身体を洗いはじめた。
広い大浴場に響くのは、桶にお湯を汲む音と、シャワーの水音。普段なら気にもしないその音が、今夜はやけに大きく聞こえる。
髪を洗うためにツインテールもほどいた。湯気で湿った髪が肌に貼りつく感覚で、少しムズムズする。
すぐ背後には朋希くんがいる。連れてきたのはあたしなのに、今になって遅れて恥ずかしさが込み上げてきた。
「ねえ、朋希くん」
緊張を隠すために、背中を向けたまま話しかけてみる。
「……なに?」
「こっち、見てもいいんだよ?」
冗談めかしてそう言うと、向こうでカランと桶を落とす音がした。思わず吹き出しそうになる。
「っ……! み、見ないって!」
「ふふっ、残念。……洗いっこでもしようかなって思ったのに」
「そ、そんなことするわけないだろ!」
裏返った声で真剣に返してくる彼に、笑いがこみあげて仕方ない。
でも、彼の気配がぴたりと止まる。背中越しに、心臓の音まで聞こえそうなくらいの沈黙。
こんなにドキドキしているのに、なんだかほんの少しくすぐったいような、甘いような気持ちになる。
もしかして、いろいろ想像してるのかしら。ちょっと調子に乗っちゃったかな、彼も男の子だもんね。
あたしはふっと笑って、ほどいた髪を洗い始めた。
一通り身体を洗い終えると、バスタオルを胸に巻いて湯船に向かった。
湯気が立ちこめる大浴場の中央で、朋希くんがすでにお湯に浸かっている。あたしも隣に入り、肩をそっと寄せる。
じんわりとお湯の熱が広がって、疲れが溶けていく。
「……髪、下ろしたんだね」
彼に言われて気づいた。髪をほどいて湯気に濡れた姿を見せるのは、これが初めてだって。
「え? あ、これ? 似合わないかな」
「……すごく、きれいだ」
真剣な声に、思わず頬が熱くなる。鎖骨に湯がまとわりつき、背中を伝って流れ落ちる感覚さえも、彼に見られているようでくすぐったい。
(朋希くんに、こんな顔させるなんて……悪い気はしないな)
けれど、その油断がいけなかった。
あたしの、ほんの少し膨らみかけた胸元――。
ふと腕を上げた拍子にバスタオルが緩んで、わずかな隙間ができてしまったのだ。あっ、と思った時にはもう遅かった。
「っ……」
ささやかに自己主張する、あたしの胸の“先端”。
朋希くんの視線が、そこに釘付けになったのを、あたしは敏感に感じ取った。
(見られちゃった……! こんなとこ、誰にも見せたことないのに)
思えば夏祭りのときもそうだった。彼の前ではなぜかガードが緩くなってしまう。しかも、あの時よりもずっとずっと恥ずかしい部分なのに。
胸の奥がどくんと跳ねて、耳まで熱くなる。だけど不思議と……そこまで嫌じゃない。
「……見たでしょ。わかるんだから」
バスタオルを直しながら、あたしは言う。わざと口を尖らせて。
「ち、違っ……!」
「ふふっ。秘密、また増えちゃったね」
あたしは少し身を寄せて、濡れた手で朋希くんの頬をなぞる。指先に触れる体温は熱くて、まるでお湯よりも熱いくらい。彼の心臓の鼓動まで伝わってくる気がした。
「……陽奈ちゃん、ごめん。僕、先に上がるから!」
いたたまれないように立ち上がった朋希くん。そのとき――
(え……?)
腰に巻かれたタオルの隙間から、“何か”がはみ出しているのが見えてしまった。はっきりと。
思わず目を丸くしたけど、次の瞬間には口元がゆるむ。
――あれが、男の子の……あんな風になるんだ。
「……ふふっ」
頬に手をあてる。胸の奥で、さっきよりもずっと大きな鼓動が鳴っていた。
――あたしの身体を見て、朋希くんがあんな風になったんだ。
そう思うと、恥ずかしいのに、ちょっとだけ嬉しくて。
なんだか、また特別な夜の思い出ができちゃった気がする。
林間学校も、悪くはないな。
次回は金曜の12時ごろに投稿予定です。
(日曜の夜・金曜の昼に更新)




