第8話 第六天の名
空玄の導きで、三人は山を越え、里に降りた。
人通りの少ない峠の宿場町――時折、旅人が立ち寄るだけの、小さな集落。
空玄が顔馴染みの寺に話を通し、一夜の宿を借りることとなった。
「……ここでは、“坊主の友達”ということにしておけ。
鬼だの何だのと広まれば、今度こそ焼かれるぞ」
「ほう……わしとハルを、友とな。人聞きが良すぎるのう」
「人聞きだけで世は回る。騙し騙され、まわるもんさ」
信長と空玄が言葉を交わす横で、ハルは小さな子どもたちの姿を見ていた。
楽しげに笑い、丸太に座って団子を食べている。
……あの日、石を投げられた記憶がよみがえる。それでも、足が勝手に動いていた。
「……あれ、いいな……たべてみたい……」
ハルが手を伸ばした、その瞬間だった。
「きゃあっ!」「目が赤い!!」
一人の子どもが叫んだ。
「こいつ! 鬼だ! 鬼が来た!」
大人たちの声が飛ぶ。
「鬼?」「本当に?」「どこだ!?」
――ざわっ。
空気が一変する。
信長が駆けつけようとした、そのとき。
「……やめて……こないで……!」
ハルの手が震えた。
次の瞬間――地面がびしりと裂け、石畳にひびが走った。
突風のような衝撃。木の葉が宙を舞う。
赤い光が、ほんの一瞬、ハルの瞳から閃いた。
人々が後ずさる。恐怖に染まった目で、ハルを見つめていた。
「やはり……あれは、“鬼”だ!」
「化け物を連れてきたのか!?」
「追い出せ!」
信長がハルを抱きしめ、叫ぶ。
「やめい!! あやつは、悪くなどない! ただ、怯えただけじゃ!」
空玄が、村人たちの前に立つ。
「こやつは“鬼”かもしれぬ。だが……おぬしたちは“人”として、恥を知れい」
その声に、しばし村人たちがたじろいだ。
信長は震えるハルの背を、そっと撫でていた。
しばらくの沈黙のあと、空玄がぽつりと呟く。
「……まるで、“第六天”の使いか――」
「……第六天とは?」
信長が顔を上げて問う。
空玄は小さく笑い、答えた。
「第六天魔王。欲界の主。人の欲望に巣くう“王”の名だよ。
……鬼の力を持ち、人のために刃を振るうなら――皮肉にも、そやつがふさわしい」
信長は何も言わなかった。
ただその言葉を、静かに、深く、胸に刻んだ。




