073 裏切者【リリアナ視点】
空から響く声に、リリアナは思わず目を凝らした。
見上げた先にいたのは、彼女が決して忘れることのできない人物。
黒に染まった翼を大きく広げ、そこに佇むのは、かつて使用人として彼女の近くにいたジュリアンその人だった。
「貴方は……ジュリアンで、合っていますか?」
「ええ。お久しぶりです、リリアナお嬢様」
思わず口にした問いに対し、彼は丁寧に頭を下げて返す。
声こそ変わらないものの、その姿は以前とは大きく異なっていた。
落ち着いた物腰と、優しげな表情を浮かべる使用人。
そんなかつての印象とは相反するように、今の彼は背中からは巨大な漆黒の翼が生やし、まるで異形の存在と化していた。
人間の領域を超えた存在――それすなわち、魔族の特徴に他ならない。
(いったい、なぜ……)
悩むリリアナを見下ろすように、ジュリアンは愉快げな声音で語り始めた。
「不思議そうな表情を浮かべるリリアナお嬢様に、特別に経緯をお教えしましょう。自分はかねてより、とある方の命を受けアイスフェルト皇国に潜り込んでおりました。目的はリリアナお嬢様の暗殺。そのための準備として、あのマジックアイテムをお渡ししたのです」
それを聞いたリリアナは、かねてより気になっていたことを問いかける。
「貴方が私を殺めたかったことは把握しました……しかし、分からないことがあります。その言い分だと、私たちが予想していた皇位継承権を巡っての動機ではないようですが、それなら一体どうして……」
「おや、まさかそのような低俗なものに興味を持っての犯行だと思われていたとは、心外ですね……」
「っ、皇位継承権が、低俗だと……?」
「ええ、我々の崇高なる目的に比べれば」
リリアナの信念に関わる事柄を何でもないことのように投げ捨てた後、ジュリアンは続ける。
「話を戻しましょう。マジックアイテムをお渡しし、悪魔を召喚できたところまでは私の計画通りだったのですが……どういうわけか、残念ながら作戦は失敗に終わり、私は処分を覚悟しました……しかし、あのお方は自分を罰するどころか、新たな力を授けてくださった! そうして私は生まれ変わったのです!」
荘厳とも狂気とも取れる声色で、ジュリアンは自身の経緯を語る。
その言葉の端々から滲み出る尋常ならざる気配に、リリアナは背筋が凍るのを感じていた。
(人間を魔族に変えるほどの力……いったい、背後にはどれほどの存在が……)
想像を絶する力の存在に戦慄する彼女に対し、ジュリアンはさらに言葉を重ねる。
「再び機会をいただけた私は、今度こそ確実に、自分自身の手でリリアナお嬢様を処分するため、この場にまで足を運びました。古竜がこの地に眠っており、襲い掛かってきたことは想定外でしたが――結果は見ての通り。お嬢様を殺す前に、自らの力を再確認する良い機会となりましたよ」
冷たい笑みを浮かべながら、彼は地面に転がる古竜の首を見やる。
その余裕の態度に、リリアナは一つの疑問を投げかけずにはいられなかった。
「……もしや、この結界も貴方の仕業ですか?」
彼女の問いに、ジュリアンは一瞬の沈黙を挟んだ後、ゆっくりと頷く。
「……ええ、もちろんです。支配権を奪い、改良したものを展開させていただきました。魔力を持つ存在は結界を通ることはできないため、貴女たちがここから逃げることはできません」
「しかし、外にいる教師の方々は既にこの異常に気付いているはずですが」
冷静を装いつつ、リリアナは反論する。
だが、その言葉に対してジュリアンは不敵な笑みを浮かべた。
「そちらについても抜かりはありません。この結界は私たちの特注品。学園長が不在の今、結界の守りを打ち破れる者などアカデミーにはいないでしょう」
その言葉に、リリアナは思わず目を見開く。
まさか、そこまで内部の事情を把握しているとは。
「どこで、そんな情報を……」
「こちらにも色々と、入手手段はあるのですよ」
得意げに告げるジュリアン。
不可解な点は幾つもあるが……最も理解できないのは、それだけの情報をなぜこうして開示するのか。
リリアナは少し眉をひそめながら、ジュリアンに向かって口を開く。
「なるほど……けれど、そのことを私たちに明かしても良かったのですか?」
問いかけると、ジュリアンの表情が一層の笑みを帯びる。
「無論、問題ありません。なぜなら――」
「「「――――――!」」」
瞬間、彼から放たれる気配が一変した。
空気が重く沈み込み、まるで闇そのものが具現化したかのような威圧感が場を支配する。
そんな状況の中、彼は言った。
「リリアナお嬢様を含め――この結界内にいる者は、これより私が全て処分させていただきますから」
宣言と共に、全員が一瞬で身動き一つ取れなくなる。
そんな緊迫した空気を破ったのは、意外にも5人の誰でもなかった。
『ピィ!』
「っ! だめっ、スイ!」
ミクの制服に隠れていた、鳥の姿をした水の下位精霊が、主を守るように羽ばたき始める。
淡い青色の体躯から放たれた水の矢が、幾重にも重なりながらジュリアンへと向かっていく。
だが――
「邪魔ですよ――羽虫風情が」
『ピィッ!?』
「きゃぁっ!」
漆黒の翼によるたった一度の羽ばたきが、精霊の放った矢をことごとく消し去り、さらにはスイとミクの体を吹き飛ばした。
「ミク!」
「なんて力だ……!」
突然の危機的状況に、グレイとトールが困惑の声を上げる。
――そんな中、リリアナは既に動き出していた。
状況は明らかに不利。
しかし、諦めるほど絶望的というわけではないとリリアナは判断する。
(今の攻撃……確かに強力でしたが、以前に戦った悪魔種と比べてもそこまで差はありません。それに、あの時から私も成長しました)
手に魔力を溜めながら、リリアナはジュリアンの下へと移動する。
同時に向かい側では、ユーリも後を追うようにして動き出していた。
目標であるジュリアンはまだ、ミクたちに向けて余裕の笑みを浮かべたまま。
そんなジュリアンの真下で、ユーリの握る長剣と、リリアナの両手から放たれる魔力が強い輝きを放つ。
(この隙に――)
二人は視線を交わすことすらないまま、同時に叫んだ。
「飛翔閃!」
「アイススピア!」
無属性の光を纏った剣閃と、巨大な氷槍。
二人がこの瞬間に繰り出せる最大の火力がジュリアンへと迫る。
「――――」
ジュリアンがようやくこちらに視線を向けたが、もはや避けることは不可能。
光と氷の奔流が彼に直撃し、辺り一帯に爆風が巻き起こった。
戦闘不能には届かずとも、これで大ダメージは与えられたはず――
「「――――!」」
――そう確信した瞬間、リリアナとユーリの瞳が大きく見開かれた。
風が収まった先に広がる光景は、2人の予想を完全に裏切るものだったから。
ジュリアンが負った傷はあまりにも浅く、それすらも黒い靄を生み出しながら、恐るべき速度で修復されていた。
「馬鹿な……!」
「…………!」
この光景に見覚えがある、とリリアナは悟る。
かつてバフォールと対峙した時、彼女が与えたダメージもまた、瞬く間に再生していった。
表情を歪めながら、リリアナは問いかける。
「ジュリアン……貴方は魔族化に伴い、闇属性を獲得したのですか?」
もしそうなら、討伐に必要なのは常識を超えた圧倒的火力。
彼女の奥義である【フロストノヴァ】でさえ、十分とは言えないかもしれない。
(それでも……可能性は、僅かに残されているはず――)
――しかし、そんなリリアナの推測はジュリアンの言葉によって打ち砕かれることとなる。
彼は不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと告げた。
「いいえ、違います。私が賜ったのは闇をも塗りつぶす深き黒――暗黒の加護です」
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