4.始まりの朝
中学3年生の5月、前野湊の通う中学校に転校生がやってくる。龍崎空という、小柄で可愛らしい女の子だ。雨の日、傘を忘れた空に、湊が小さな折り畳み傘を差し出したところから、2人の距離は近づいていく。
お互いに悩みを抱えながらも、お互いを大切に思い、そして「小さな嘘」をつく。
第一章では、湊の目線から物語が進み、第二章では、空の目線から物語が回収されていく。
中学生という、大人でも子供でもない、そんな2人に起こる、心温まる奇跡の物語。
5月のある朝、そう、いつもと変わりない朝が始まる。
「湊、プリント持った? 」
「持ったよ」
「やった! 今日の給食、牛肉でるって! しかも、ヨーグルトもだぁ! 」
母さんが声を弾ませて言った。
母さんはいつも、自分が食べる訳でもないのに、自分の好きなメニューだと、テンションがなぜか上がる。
冷蔵庫の側面には、給食の献立表が貼ってあって、小学校も中学校も、同じメニューになっている。
ちなみに、冷蔵庫の表には、大事なプリントが貼られている。参観日のお知らせや、進路面談のプリントなど、学校のお知らせがほとんどで、日付けが近いものから重ねて貼ってあった。
「彩、夏、ご飯終わりー! 歯磨きー!! 」
朝は、戦場だ。母さんのこれが、耳をキンキンさせる。
「今日ぉ、雨降るぅ? 」
夏芽が歯ブラシをくわえながら、もごもご聞いた。
「夕方、もしかしたら降るかも。朝は降らんけぇ、降ったら置き傘使いー 」
僕と彩芽は、基本折りたたみ傘を学校に置いているから心配はない。夏芽も、折りたたみ傘を持って行きたがるが、上手くしまえないからと、なんとなく低学年の子には、持たせないらしい。
「GO GO GO〜♪ 」
スマホのアラームが鳴った。
母さんお得意の、そろそろ出発だよアラームだ。
僕が物心ついた時には、すでにこの子供向けアニメのテーマソングが、我が家では毎日のように流れていた。
「パパ〜、ランドセル〜 」
父さんが、ピンクと紫のランドセルを抱えて、階段を眠たそうに降りてくる。父さんは、妹達を玄関で見送り、母さんは、パジャマのまま妹2人と一緒に外に出て、庭で見送る。
小学校より中学校の方が遠いが、基本自転車通学の僕は、妹達より15分はゆっくりできる。
僕の出発時間にも、母さんは外に出て、なんとなく庭のブルーベリーに水をやりながら、僕が自転車を出すのを待っている。
僕は毎朝、
「わざわざ、外まで出なくても、玄関でいいのに……」
と、心の中で思う。
でも、あえてその言葉を口にしないのは、やっぱり嬉しいからなのかもしれない。
その日は、6月にしては蒸し暑く、学校に着くともう、汗が滲んでいた。
「湊、おっはよー 」
先に着いていた、慎が声をかけた。
「俺さ、さっき職員室に入ってく子みたんだわ、あれきっと転校生だね。しかも、板センと話してたから、きっと同クラだわ! 」
「マジか? 可愛かったか? 」
「うーん、下向いてたし、良く見えなかったけど、たぶん……それなり 」
ガラガラ〜、教室のドアが開いた。板センの後から、小柄な女の子が入ってきた。慎と僕は、急いで席に着いて、前を見た。
「バカ言うな、それなりぢゃねーだろ」
思わず声が漏れた。
賑わう教室の中、彼女は落ち着いた様子で、少しうつむいている。少し茶色がかった肩までの髪が、ふわっとしていて、色素が薄い小動物のような、華奢な女の子だった。
僕は、彼女から目が離せなくなったが、
「やべぇ」と思って、目を逸らした。
「自己紹介、出来るか? 」
板センが聞いた。
「龍崎 空です。よろしくお願いします」
彼女は、少し前を向くと、小さな声で言い、そしてまた、少し俯いた。
「龍崎 空さんだ、みんな色々教えてやってくれな! 」
板センはそう言うと、1番後の空いてる窓側の席を指差した。
ホームルームか終わると、彼女の前に人だかりが出来ていて、彼女は座ったまま質問に答えていた。どうやら、隣の県からやってきたらしく、今は祖母の家で暮らしているようだった。
僕は教科書を準備しながら、3つ先の彼女の席に、聞き耳を立てていた。
中学生にもなると、みんな色々察して話す事が出来るようになる。こんな中途半端な時期に、しかも中3で受験生。そんな時に引っ越してきて、おばあちゃんと暮らしているとなると、おそらく親の離婚だろう。今時珍しいことではないし、だれもその話には触れていない様子だった。
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