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33.二つの思い

「だ、そうですわ。どうなさいますの、グレン様?」


 私たちの沈黙を破ったのは、聞き慣れた上品な声だった。エリックが目を見開いて腕をほどき、私を解放する。そのまま二人揃って、声のした方に向き直った。


「アンドレア様!? それに、グレン様まで」


 部屋の一角から、アンドレア様が姿を現した。その後ろからは、グレン様も顔を出す。この部屋には、あちこちに豪華な衝立が置かれていた。どうやら二人は、その向こうにひそんでいたらしい。


 今の私たちの話を聞いていたのか、アンドレア様は心底呆れたと言わんばかりの顔をしているし、グレン様は何やら考え込んでいる様子だった。


 どうして、ここに二人がいるのだろう。立て続けに起こる予想外の事態に困惑する私に、アンドレア様が優雅に笑いかけてくる。


「実は、エリックに頼まれてしまいましたの。どうしても最後に、あなたに話がしたいのだと。ですから案内の侍女に頼んで、あなたをここに連れてきてもらいました」


「でも私と話がしたいのなら、こんな回りくどいことをしなくても」


 彼が事情を知ってから今日まで、それなりに日にちはあった。話がしたいというのなら、直接私の屋敷に来れば済む話だ。そう思いながらそっとエリックの方を見る。彼はその人懐っこい顔を引き締めて、無言でこちらを見返した。


 アンドレア様がそんな私たちを交互に見て、苦笑する。


「それはあなたが彼に、会いに来ないで、と伝えたからですわ。彼はちゃんと、あなたの願いを聞き届けていたんですのよ。本当に、律義な方ですこと」


 驚きに目を見張りながら、エリックに向き直る。彼は力強く、どこか照れ臭そうにうなずいてきた。


「……それに、あんたのところを訪ねていっても、きっとはぐらかされてしまうと思ったんだ。もしくは、門前払いをくらうかもしれないと」


 彼のその推測は、実は当たっていた。彼に合わせる顔がないと感じていた私は、両親に頼んだのだ。もしエリックが屋敷を訪ねてきても、絶対に中に入れないで、と。


「あんたは全部ひとりで抱え込もうとする。辛いのも悲しいのも、ぎりぎりまで表に出そうとしない。だから今回も、ちょっとやそっとのことでは心の内を明かしてくれないだろうと、そう思った。短い付き合いの俺にだって、それくらいのことは分かる」


「私もそれには同意しますわ、エリック。前のあの事件の時も、そうでしたから」


 アンドレア様は細い首が折れるのではないかと思うほど勢い良く、首を縦に振っていた。けれど彼女はすぐに動きを止め、優雅に一礼する。


「盗み聞きのような真似をしたことを、謝罪させてくださいませ。けれど私たちは、どうしてもあなたたちの本心を知りたかったんですの。そうしなければ、きっと後悔すると思いましたから。ねえ、グレン様?」


 彼女の言葉に、私とエリックが同時にグレン様を見る。彼は黒い目を伏せて、静かに答えた。


「……アンドレアからエリックのことを聞かされた時は驚いた。マーガレットが私の通達を拒もうとしたことに、彼が関係しているかもしれない。そんな疑いを拭い去ることができなかった。きちんと彼の思いを、確かめなければと思ったんだ」


 前はあんなにも甘く愛の言葉をささやいてきた彼の優しい声は、今は憂いに満ちていた。そのことに、ちくりと胸が痛む。


「彼の思いは、確かに見届けた。マーガレットが彼のことを大切に思っている、そのことも」


 そこまで言うと、グレン様はゆっくりと顔を上げた。そのまま近づいてくるグレン様に向かって、エリックが一歩進み出る。


「エリック、君はマーガレットを諦める気はないのかな」


「ありません」


「そのために、たとえ自分が罪を犯すことになっても?」


「はい」


 前とは違って強い言葉を叩きつけるグレン様と、いつになくきっぱりとした口調で断言するエリック。私は二人の顔を交互に見ながら、ただおろおろすることしかできなかった。一方のアンドレア様は、じっと冷静にそんな二人を見つめていた。


「そうか。だが私も、彼女のことを諦めるつもりは毛頭ないんだ」


 グレン様はそう言い放つと、エリックを真正面から見据えた。エリックも負けじと、グレン様を見つめ返す。


「だが、ここで立場に任せて彼女をものにするのも大人げない。まして、彼女の心が揺らいでいると知った今ではなおのことだ。だから私はいったん、引くとしよう」


 かつて私を抱きしめ、あんなにも熱心に引き留めてきたとは思えないほどあっさりと、グレン様はそんなことを口にする。拍子抜けしたのもつかの間、彼はもう一歩踏み出した。私にではなく、エリックに向かって。


「しかしあくまでも、『今は』だよ。こうなったら私はもう一度、彼女を振り向かせてみせる。私と彼女は、かつて将来を誓い合った仲なのだから」


「ですが俺は、彼女と正式に婚約した間柄です。形式上は、あなたが俺たちの間に割り込んできたという扱いになっているんですよ」


「しかし、婚約は解消されたのではないか?」


「実は、まだ保留になっているんです。彼女の父からの申し入れを、こちらは受け入れていませんから」


 二人揃ってにやりと笑いながら、ぽんぽんとそんなことを言い合っている。いっそ楽しそうにも見える光景だったが、放っておくのも良くないように思えた。


 しかしいったい、どうやって止めればいいのだろう。助けを求めてアンドレア様を見たが、彼女も肩をすくめて首を横に振るだけだった。


 仕方なく一歩踏み出し、二人の間に割って入った。


「あの、グレン様、エリック。言い争うのはそれくらいにして……」


「マーガレット、君が記憶を失いさえしなければこんなことにはならなかった。今からでも遅くない、もう一度私とやり直してはくれないか」


「マーガレット、記憶を失って途方に暮れているあんたと最初に友達になったのは俺だよな。それからもずっと、俺はあんたと一緒にいて、力を貸し続けてきた」


「友達、とはまたずいぶんと可愛らしいものだね」


「何事も、段階を踏むのが大切なんですよ」


 どうやらグレン様は、ちくちくとエリックを挑発しているらしい。前に会った時とずいぶん印象が違う。そしてエリックは、むきになって言い返している。いつもの余裕は、見事に消え去っていた。


「そんな悠長なことを言っていていいのかな?」


 グレン様が戸惑う私の右手を取り、その甲に口づける。


「絶対に、渡しませんから」


 エリックがあわてふためく私の左手を取り、両手でしっかりと握りしめた。


「……ひとまず、最悪の事態だけは避けられたのではないかしら?」


 笑顔のままにらみあい火花を飛ばし合う二人を見ながら、アンドレア様が小声でつぶやいた。どこか呆れたような声音だったのは、きっと私の気のせいではなかっただろう。

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