28.メグの隠し事
「あっ、いけない」
メグの思いを知って、彼女を理解できた嬉しさに浸ってしまっていたが、今はそれどころではないのだ。一刻も早く彼女とグレン様についての情報を探し出し、側室だとかいうとんでもない話をどうにかしなくてはならない。
気を取り直して、また日記を読む作業に戻る。もう、手の震えは治まっていた。じきに、目当ての文章を見つけることができた。こちらもまた、糊付けされて閉じられたページの中から見つかった。
『グレン様が、わたくしをおそばに置いてくださることになりました。もっとも、正式にわたくしを側室として召し上げるのにはしばらくかかるのだそうです。あと半年ほどは内密にしていて欲しいと、そうおっしゃっていました』
浮かれたようなメグの文字に、状況をはっきりと理解する。ああ、やっぱりメグの言う『あの方』とは、グレン様のことだったのだ。
グレン様は母君の地位が低いとかで、王宮では冷遇されているお方なのだそうだ。離れで一人暮らしているエリックとちょっと似ているかもしれないと、そんなことを思う。
そんなグレン様と、メグはたまたまどこぞのお茶会で知り合ったらしい。そうしてメグはグレン様に興味を持ち、声をかけた。
幾度となく顔を合わせ言葉を交わすうちに、二人は惹かれ合った。しかし冷遇されているとはいえ、グレン様はれっきとした王子だ。歴史の浅い伯爵家の娘でしかないメグと婚約するのは、とうてい無理な話だった。
だから二人は、誰にも見つからないようにこっそりと会っていたのだ。二人の関係が周囲にばれてしまえば、きっと引き離されてしまうだろうから。
グレン様と親しくなったメグは、今までの自分の行いについて黙っているのが苦しくなったらしい。嫌われる覚悟をして打ち明けたところ、グレン様はちゃんとメグのことを叱ってくれたのだそうだ。しかも彼は、それでも彼女への思いが変わることはないと断言してくれたのだと、メグはとても嬉しそうに語っていた。
「……良かったわね、メグ」
私はグレン様のことをこれっぽっちも知らない。けれど日記帳の中のメグとグレン様は、とても幸せそうだった。けれどメグはもういない。私はメグで、メグは私だけれど、メグが抱いていたグレン様への思いは、私の中には残っていない。
頭を振って、暗くなりそうな気持ちをいったん忘れる。今はとにかく、メグとグレン様の情報を集めるのが最優先だ。
メグはグレン様との関係が周囲にばれないように、今まで通りのわがまま三昧の振る舞いを続けていたらしい。そして万が一誰かに日記帳を見られても大丈夫なように、彼女はグレン様に関係のあるページを糊付けしたのだった。
少々努力の方向が迷走しているような気がしないでもないが、彼女なりに必死だったのだろう。
けれど二人がずっと秘密にしていた幸せな時間は、長くは続かなかった。何も知らない両親が、メグとエリックとの婚約を決めてしまったのだ。メグは何日もふさぎ込んだ後、ある決断を下した。
『わたくしの身分では、グレン様の正妻にはなれない。だから側室として、グレン様のもとに上がろうと考えた』
そう宣言したメグの文字は、かすかに震えていた。
『もちろんグレン様は、好き好んでそんな立場になるものではない、といって止めてくれた。けれどわたくしはもう決めたの。どんな手を使ってでも、グレン様の傍にいるって。そう主張したら、ようやくグレン様も折れてくれたわ』
メグの思いの強さに圧倒され、唇を噛みしめる。そんな風にひたむきに誰かを思えるメグに、また少し嫉妬する。
深々とため息をついていると、こんこんという扉を叩く音が聞こえてきた。レベッカに人払いを頼んだ筈なのに、いったい誰だろう。あわてて日記帳をしまい込んだその時、扉の向こうから父の声がした。
「マーガレット、またお前に手紙だ。……今度は、グレン様からの」
すぐに立ち上がり、扉に向かう。相変わらず顔色の悪い父から手紙を受け取り、一人っきりになってから慎重に封を切った。
『親愛なるマーガレット、そろそろ正式な知らせがそちらに届いている頃だと思う。側室という立場ではあるけれど、私は君を一生大切にすると誓おう。私は君以外、誰もめとりはしない』
上品で繊細な、とても優しげな文字。これは私宛の手紙だけれど、同時に私に宛てられたものではない。私が読んでもいいのだろうかと、ためらいを感じながらもゆっくりと読み進める。
挨拶と誓いの言葉から始まった手紙は、やがて思い出話を語り始めた。
『あれは、多くの令息や令嬢が集まるお茶会のことだったね。私と友達になってくれませんか、と突然言われた時は耳を疑ったよ』
私が知らない二人のなれそめ、それは私がエリックにかけた言葉とよく似ていた。居心地の悪さに、そっと身じろぎする。
『それ以来、君はことあるごとに私を探し出しては、幾度も同じ願いを口にしていた……その君の熱心さに私はほだされ、そして次第に惹かれていった』
グレン様の言葉は熱を帯びている。けれどその言葉を受け取るべき相手は、もうどこにもいない。そのことがもどかしく、申し訳なく思えてならない。
『私はこの立場ゆえに、愛だ恋だを軽率に口にすることはできない。だから代わりに、この言葉を君に贈ろう。マーガレット、私は君が来てくれるのを、今か今かと待っている』
そんな言葉で締めくくられた手紙を前に、私はもう一度深くため息をついた。できることなら、彼の思いに応えてやりたい。そんなことを考えてしまいそうになるくらい、グレン様の手紙には深い思いがこもっていた。
けれど私には、エリックがいる。私の最初のお友達で、私の婚約者である彼が。私たちのおかげであの家を出られるのだと言って感謝していた彼の顔が、彼と過ごした楽しい時間の数々が、次々とよみがえってくる。
やっぱり駄目だ。エリックを捨てて、グレン様のところに行くなんてできない。やはりどうにかして、側室の話をなかったことにしてもらうほかない。
私が側室として召されるまで、まだ日にちがある。それまでにどうにかしてグレン様に直接会い、事情を話すしかないだろう。第一王子の婚約者であるアンドレア様にお願いすれば、力を貸してもらえるかもしれない。図々しいとは思うが、今は他にすがれるものがない。
心を決め、机の中から真っ白な便箋を取り出す。そうして大急ぎで、手紙を書いた。グレン様にではなく、アンドレア様にあてて。




