24.当たって砕けろ
ゲオルグは穏やかに林檎の礼を言い、子供たちに引っ張られるようにして席に着いた。エリックが彼に話しかけ、二人は当たり障りのない雑談を始める。
その間中、私はじっとゲオルグの様子を観察し続けていた。彼はもともと落ち着いていて穏やかで、おまけにあまり感情を顔に出さない方だが、それにしても落ち着きすぎている。いっそ腹立たしいほどに。
子供たちが切り終えた林檎をてんでに口に運び、きゃあきゃあと騒ぎ始めた。勧められるままに林檎を一口かじると、ふくよかな香りを裏切らないさわやかな甘さが口にあふれた。おいしい。
一瞬気がそれてしまい、あわててゲオルグに意識を引き戻す。甘い林檎を堪能しながら彼を観察しているうちに、一つの結論に行き着いた。
これはもう、真正面から尋ねるしかなさそうだ。こうやっているうちに彼の方から相談を持ち掛けてくる可能性は、どうやらかなり低いように思える。
なにせ、さっきからエリックがどうにかしてレベッカの話に持ち込もうとしているのに、ゲオルグはのらりくらりとかわし続けているのだ。どうも彼は、私たちの来訪の理由に気づいているのではないかと思う。
ちらりとエリックを見ると、私の視線に気づいたのか彼が小さくうなずいた。たぶん、私と同じようなことを考えているに違いない。だって彼の金緑の目には、呆れたような、苦笑しているような色が浮かんでいたのだから。
仕方ない、今は林檎に集中しよう。おやつが終わってから、子供たち抜きでじっくりゲオルグと話そう。
子供たちと笑い合いながら林檎をしゃくしゃくとかじっていると、悩み事も心配もどこかに飛んでいってしまうように思えた。
こんな風に、レベッカの悩みも無事解決しますように。誰にも聞こえないように、口の中でつぶやいた。
子供たちは林檎を食べ終えて、大きな声で礼を言った。
「マーガレットお姉ちゃん、エリックお兄ちゃん、ありがとうございました」
エリックがお兄ちゃんと呼ばれているのがうらやましいと前に言ったら、子供たちは律義に私のことをお姉ちゃんと呼んでくれるようになったのだ。揃って頭を下げる子供たちを見ていたら、つい顔がにやけてしまう。
「さあ、君たち。おやつの時間はもう終わりだ。勉強に戻りなさい」
ゲオルグの言葉に、子供たちが元気良く一斉に返事をする。そして軽やかな足音をさせながら、あっという間に駆け去ってしまった。ここではゲオルグや大きい子たちが先生となって、子供たちは毎日様々なことを学んでいるのだ。しっかり学ぶことは、将来きっと役に立つというゲオルグの考えに基づいて。
「……さて、それでお二人はどういったご用件でしょうか。私に用があるのだと、そう感じたのですが」
ゲオルグが子供たちを育てる方針は立派だし、尊敬できる。彼はきちんとした、真面目な人物だということも分かっている。しかし一方で、彼は不可解な振る舞いをしてレベッカを悲しませている。そのことについてだけは納得できない。
「どうされましたか、マーガレット様。難しい顔をされておられるようですが」
そこまで考えたところで、ふとある可能性に行き当たる。もしかしたら彼は、ただ単にレベッカのことが苦手になっただけなのかもしれない。だとすると私たちのしていることは、レベッカの傷を余計にえぐってしまいかねない。
「マーガレット様? 顔色が悪いようですが……」
ゲオルグがこちらを見て、心配そうに眉をひそめている。その顔を見たとたん、覚悟が決まった。こうなったら、当たって砕けるまでだ。幸いここにレベッカはいないし、本当に砕けてしまってもどうにかなるだろう。
背筋を伸ばして、大きく息を吸い込む。にっこりと笑って、一気に言った。
「ゲオルグ、どうしてあなたがレベッカを避けているのか、教えてもらえないかしら?」
けれど彼はわずかに目を見開くと、そのまま押し黙ってしまった。居心地の悪い沈黙が、甘酸っぱい香りの残る食堂に漂う。
「最近、レベッカの様子がおかしいのよ。その原因が、どうもあなたにあるみたいなの」
様子をうかがいながら説明を付け加えても、やはりゲオルグは口を堅く引き結んだままだった。ほんの少しだけ、困ったような表情を浮かべたまま。
いい加減にじれったくなってきて、口をとがらせる。そろそろ強い言葉をぶつけるしかないだろうか。そう思い始めたまさにその時、エリックが静かに口を開いた。
「沈黙は、あんたの美徳なんだろう。だがどうかそこを曲げて、俺たちに話してはもらえないか。あんたが望むなら、聞いたことを口外しないと誓ってもいい」
いつもは軽やかなエリックの声が、とても優しく心にしみわたる。その感覚に、血が上っていた頭が冷えていく。
「思いは、口にしないと伝わらない。相手がどう思っているかも、聞いてみないと分からない。きっとこうだと思っても、実際のところは案外違ったりするもんだ」
ゲオルグがはっとした顔になり、エリックを見つめる。
「黙ったまますれ違ってしまうなんて、ただの悲劇だ。俺たちはそんな悲劇を回避したくて、ここまでやってきた」
エリックはゲオルグに笑いかけ、ゆっくりと言った。
「だから教えて欲しい。あんたの思いを。レベッカに話せなくても、俺たちになら話せることがあるんじゃないか」
「……分かりました。お話ししましょう」
沈痛な声で、ゲオルグがつぶやいた。やった、とはしゃぎそうになるのをこらえて、精いっぱい神妙な顔をして口をつぐむ。やっと彼が話す気になったのだ、邪魔をしてはいけない。
「前にもお話しした通り、私は元をたどればただの流れ者です。今も、貧しい孤児院を運営している、ごく普通の牧師でしかありません」
ゲオルグが手を組み、目を伏せる。小さく息を吐いて、さらに言葉を続けた。
「……レベッカさんの思いには、気がついていました。その思いを、嬉しく思っているのも事実です」
「だったら、どうして」
思わず身を乗り出した私を、エリックが腕を伸ばして制止する。
「彼女は騎士の娘で、しかも伯爵様にお仕えしています。私のような者には、もったいない方です……それに、年も離れていますから。彼女にはもっと若く、身元の確かな男性が似合うでしょう」
何を言っているの、と言いかけた私の口を、エリックがとっさに手でふさぐ。ひどい扱いに反論しようとしても、もごもごという声しか出ない。
ちょっと落ち着け、と私の耳元でささやいてから、エリックが手を放してゲオルグに向き直る。
「あんたはレベッカを思ってる。彼女の将来を心配して、自分から身を引くほどに。でもそれが本当に、彼女のためになるのか?」
「……いずれ彼女も、私の考えが正しかったと、そう気づいてくれるでしょう」
エリックの方を全く見ないまま、ゲオルグが感情のない声でつぶやく。
「現に今、レベッカは苦しんでいる。そのことを、あんたはどう思うんだ」
あくまでも落ち着いた口調で、エリックが問いかける。私にはとてもできない芸当だ。辛抱強い語り掛けに、少しずつゲオルグが肩の力を抜き始めているように思える。
「そのことは、申し訳なく思っています。ですが……」
ゆっくりとゲオルグが、私たちの方を見る。ひどく悲しげな目をして、唇をかすかに震わせながら。
「……かつて私は、思い人を亡くしました。あの時のやり切れない思いを、未だに引きずっているのです。そしてこの孤児院は、私と彼女の二人で始めたもの。ここには……彼女の思い出が多すぎるのです」
「そうか……」
エリックはゲオルグの気持ちが理解できたらしく、そっとため息をついている。だが、私は。
どうしても、納得できなかった。ゲオルグの思い人は既にこの世の者ではない。故人との思い出を大切にして、その思い出にとらわれてしまっているという状況は理解できた。でも、それよりももっと、大切なものがある。私にはそう思えてならなかった。
だから亡き人の思い出と、今を生きるレベッカの思いとを天秤にかけたあげく、思い出を選んでしまったゲオルグに腹が立ってならなかった。
あるいは私は、自分自身を正当化しようとしているのかもしれない。私は、既に存在しないメグを踏みつけにして、彼女の意思や存在を否定しながら生きているのだから。過去を優先されてしまったら、そんな生き方を認めてしまったら、今の私の足元まで揺らいでしまうように思えたのだ。
頭をよぎる後ろめたさに、一瞬だけためらう。けれどすぐにその思いを振り切って、勢い良く立ち上がった。
「ゲオルグ、ちょっと言いたいことがあるのだけど」
二人は弾かれたように、こちらを見た。こうなったら、言いたいことを言ってしまおう。
そう決意して、大きく息を吸った。




