20.意外な決着
複雑な気持ちを抱えながらも無事に目当てのネックレスを手に入れた私は、令嬢たちからの連絡をじっと待っていた。彼女たちは私を招くと言っていたし、いずれ呼び出しがかかるはずだ。
どうにも気が重くて町に出かける気にもならなかったし、遊びに来てくれたエリックとの話もあまり弾まなかった。
彼は私が何か問題を抱えていることはすぐに察してくれたようだったが、「俺に手伝えることがあったら、いつでも言ってくれ」とだけ言って、あとはそっとしておいてくれた。その気遣いはとても嬉しかった。けれどやはり、彼にも何も言えなかった。これは私とメグの問題なのだし、彼を巻き込みたくはなかったから。
そうして待つこと十日ほど、ついに令嬢たちからのお招きがあった。前にアンドレア様が開いたお茶会のように、たくさんの令嬢を呼ぶらしい。私だけを呼びつければ、妙な具合に目立ってしまうかもしれない。おそらく彼女たちは、そう考えたのだろう。
お茶会の当日、私はごく普通のよそ行きのドレスに着替え、馬車に乗って令嬢のもとに向かっていった。あのネックレスを収めた箱を、しっかりと両手に抱えて。
そうして出席したお茶会は、この前のアンドレア様のお茶会に比べて遥かに居心地の悪いものだった。
私がここに呼び出された理由を悟られないように精いっぱい明るい表情を作りながら、この前と同じように他の令嬢たちと談笑する。
「あら、ごきげんようマーガレット。あなたも招待されていたのですね」
驚いたことに、アンドレア様までもが顔を出していた。
「はい。今回お茶会を開いた方とは、旧知の仲ですから」
旧知というよりも悪縁のたぐいだけれど、という言葉をぐっと飲みこむ。
「そうでしたのね。私は、この前のお茶会のお返しとして招待されましたの」
アンドレア様はそう言って、にっこりと微笑む。純粋に、知り合いが増えるのが嬉しいといった表情だ。
無邪気に笑っていられるアンドレア様がうらやましい。彼女は、過去の自分の罪を清算しなくてはならないという目にあったことなどないだろう。私だって、メグさえいなければ。
「どうなさいましたの? なんだか顔色が優れないようですが」
「いえ、少し疲れてしまっただけです。心配いていただき、ありがとうございます」
うっかり考え込んでしまった私に、アンドレア様がそう声をかけてきた。なんでもないのだと笑いかけても、彼女はまだ腑に落ちないような顔をしていた。
適当に話を切り上げて、アンドレア様の傍を離れる。とても、みじめな気分だった。
それからはできるだけ誰とも関わらないように気を付けながら、会場の片隅でじっとその時を待っていた。やがて、あの三人の令嬢が揃ってやってきた。けれど彼女たちは私に声をかけることなく、遠くに突っ立ったままそっと手招きをした。そうしてそのまま、その場を離れていく。
胸がずしんと重くなるのを感じながら、ゆるゆると彼女たちの後を追う。そうしてたどり着いたのは、人気のない廊下の一角だった。
彼女たちは誰もついてきていないことを確認してから、前と同じようにねちねちと嫌味をぶつけ始めた。私がおとなしくしているからなのか、彼女たちはすっかり態度が大きくなっている。
生意気だと思われないように精いっぱいしおらしい態度を取って、彼女たちの罵詈雑言に耐える。その時私の耳に、妙な言葉が引っ掛かってきた。
「ほんと、不愉快ですよね。あなたの家はちょっとばかり金がある以外、なにも取り柄がないくせに」
「そうそう。伯爵家って言ったところで、歴史の浅い成金でしかないじゃない」
「よそにお金を貸して、それで恩を売りつけるだなんて、浅ましいわ」
「だから私たち、みなさまに教えてあげたのよ。あのお家は偉ぶったただの成金だから、関わり合いにならないほうがいいわよ、って」
「噂はあっという間に広まったのに、あなたも両親も平然としていて。ちょっと、腹立たしかったわ」
「ええ。お前たちみたいな貧乏人にどう思われようと構わないんだ、みたいな顔をされていて。ほんっと、生意気」
「しかも報復だとばかりに、下らない嫌がらせまで始めてきて」
「だから私たちにも、ちょっとくらい反撃する権利があると思うんですよ」
思わず耳を疑いながら、今聞いたことを必死に整理する。どうやら彼女たちは、私と私の家についての悪い噂を流していたらしい。
メグの日記に書かれていたことを思い出す。彼女たちは陰でこそこそと良からぬことを話していて、そのことにメグは腹を立てていたようだった。
もしかすると、令嬢たちがメグの悪い噂を流したのが先で、メグがそれに報復する形で嫌がらせを始めたのだとしたら。
ほんのちょっとだけ、メグの気持ちが分かったような気がした。自分にはどうしようもないことで陰口を叩かれて、悪い噂まで流されて。気の強いメグなら、つい反撃したくなるのも無理もなかったかもしれない。決して、彼女の行いを肯定したいとは思わないけれど。
ひとしきり私をいびり倒した令嬢たちは、疲れたのかふうと息を吐き、にやりと笑った。それは令嬢らしからぬ、どうにも下卑た笑いだった。
「それじゃあ、約束のものを渡してもらおうかしら。持ってきているんでしょう、マーガレット?」
「あれを差し出せば、あなたの以前の行いを水に流す。そういう約束ですものね」
「……ええ」
深々とため息をつきながら、ずっと手に携えていた包みを掲げる。かぶせていた布を外し箱を開くと、そこにはサファイアと瑠璃の青いきらめきが踊っていた。
「まあ、きれい……」
「本当に持ってくるなんて……」
彼女たちは私の手から箱を奪うと、目を輝かせてネックレスに見入っていた。もう誰も、私の方を見てはいない。
「よくやったわ、マーガレット。約束通り、あなたの謝罪を受け入れるわ」
「もちろん、このことは内緒にね? もし一言でもばらしたら、私たちは一生あなたのことを許さないわ」
そう言いながら、彼女たちはこちらをちらりと見る。しかしそれは一瞬のことで、またすぐにネックレスに熱い視線を注いでいる。
「一つ、聞いていいかしら。……そのネックレスを、あなたたちはどうするの?」
暗い声で私が尋ねると、彼女たちはうきうきと弾んだ声で答えた。
「口の堅い商人あたりに売り飛ばしてしまおうかと思ったんだけど……」
「これだけ見事だと、手放すのもちょっともったいないかもね」
「ほとぼりが冷めるまで取っておいて、それから考えましょうか」
「ばらしてしまって、山分けにするのはどう? それならみんな、この美しい宝石を手にできるわ」
「あら、それもいいわね」
きゃあきゃあとはしゃいでいる彼女たちを、私は何も言えずにただじっと見ていることしかできなかった。
母様やお祖母様、それより以前の女性たちと共にあって、我が家の歴史を見てきたネックレス。メグの愚行のせいで、そしてそれを許してもらいたいと安易に思ってしまった私のせいで、いずれは無残な姿になってしまうのだろう。
泣きたいのをこらえていた時、予想もしない人物の声が軽やかに割り込んできた。
「お話は、全て聞かせてもらいましたわ」
凛とした声でそんなことを言い放ちながら私たちの前に姿を現したのは、何とアンドレア様だった。令嬢たちが一斉に息を呑み、青ざめる。
「ごきげんよう、みなさま。こんな素敵な日に、何とも似つかわしくないお話でしたわね」
令嬢たちは顔を寄せ合って、どうしてアンドレア様が、とうろたえている。
「私がここにいるのが意外でした? 実は、前に私が開いたお茶会で、あなた方が何やら不穏な動きをしていたのだと、使用人たちからそう報告を受けていましたの。それに」
アンドレア様は私を見てにっこりと笑う。
「先日、お茶会から帰る時のマーガレットがひどく沈んだ顔をしていたのが、気になっていたんですの。今日も、様子がおかしいようでしたし」
彼女が私のことを気にかけてくれていた。そう実感したとたん、さっきまでとは違う温かい涙がにじむ。
「そうしたら先ほど、あなた方が彼女を連れてどこかに行くのが見えてしまって。ああ、きっとこれはなにかあるな、と思いましたの」
いつも通りに穏やかに話しているアンドレア様とは対照的に、令嬢たちはみるみる青ざめていく。
「ですから私、あなたたちをこっそりとつけることにしました。はしたないとは思いましたけれど、放っておくのも良くないと思いまして」
アンドレア様はいたずらっぽく笑いながら、手にした靴をそっと掲げてみせた。驚いたことに、気配を消すために裸足で私たちの後をつけていたらしい。未来の王妃とは思えないおてんばな振る舞いだというのに、不思議と彼女に嫌悪感は抱かなかった。むしろ、その逆だった。
「それにしても、ひどいお話でしたわ。マーガレットをゆすって金品を巻き上げようとしただけでなく、以前から彼女のお家の悪い噂を流していたんですって?」
令嬢たちは震えながら互いの手を取り合って、壁際で小さくなっている。アンドレア様は彼女たちに近づき、にっこりと笑いながら手を差し出した。
「さあ、それを返してさしあげて? なんなら、私がマーガレットに渡してあげますわ」
相変わらず、令嬢たちは何も言わない。アンドレア様の手にネックレスの箱をそっと乗せると、三人は一斉にうつむいてしまった。
アンドレア様はこちらに向き直り、ネックレスの箱を私に返す。その重みが戻ってきたことに安堵したのもつかの間、アンドレア様の様子に目を見張る。
さっきまで可愛らしく笑っていた彼女は、今はとても静かな目をしていた。女王のように厳かに、彼女は告げる。
「法律に照らせば、彼女たちにはそれなりの罰が下ることになってしまうのだけれど……マーガレット、あなたはそれを望むのかしら?」
淡々とそう告げるアンドレア様に笑いかけ、小さく首を横に振る。
「いえ、そもそもの原因は私にあります。私が彼女たちを虐げたことで彼女たちは不満をため、このようなことになったのです。ですから、どうか寛容なご判断を」
私の言葉に、令嬢たちが信じられないものを見たような顔で目をひんむく。アンドレア様は頬に手を当てて、また可愛らしく小首をかしげていた。
「それは以前の、悪い噂にまみれていたころのあなたの行いですわね。あなたはその行いについて謝罪したいと思うあまりに、彼女たちの言いなりになってしまった。そうなのでしょう?」
「……はい」
「私は、今のあなたのその行いも間違っていたと思いますわ」
その言葉に、思わずアンドレア様をまじまじと見つめる。彼女はまっすぐにこちらを見返し、ゆっくりと言葉を続けた。
「自分の行いを許して欲しいのなら、あなたは彼女たちの浅はかな言葉に乗らず、何度でも辛抱強く謝罪を続けるべきだった。そうですわね?」
「おっしゃる通りです。私は、また……間違えてしまったのですね」
そう答えて、そっと唇を噛みしめる。アンドレア様の言う通りだ。
私はずっと焦っていた。早くメグから解放されたいと、新しい自分として生きていきたいと、そればかりを考えていた。そのせいで、視野が狭くなっていた。彼女たちの言いなりになるほかないのだと、そう思ってしまっていた。
でも、それでは駄目なのだ。本当にメグの過ちを償いたいと思うのなら、その場しのぎの解決策に手を出してはいけないのだ。
私の表情が変わったのに気づいたのだろう、アンドレア様が満足げに笑った。
「……今回のことは表ざたにしない、ただし今後同じようなことがあれば、今回のことと合わせて罪に問うことにする。それでいいかしら、マーガレット?」
その言葉を拒否する理由はなかった。私は令嬢たちに謝罪したかっただけであって、彼女たちが罪に問われることなど望んではいないのだから。
ゆっくり大きくうなずくと、アンドレア様はにっこりと笑ったまま、震えている令嬢たちの方を向いた。
「ですって。良かったですわね。それと、私の方からあなた方の親に話を通しておきますわ。二度とこんな真似をしないように、娘御をきちんとしつけておくことをお勧めいたしますわ、と」
その言葉に、令嬢たちはさらに青ざめた。借金やら何やらのせいで、彼女たちの親は私の親に頭が上がらない。きっと彼女たちは、それぞれの親からしっかりとお説教を食らうことになるのだろう。
「……そして、私から一つお願いがありますの。どうか少しずつでも、今のマーガレットを見て差し上げて。彼女は過去の過ちを悔いて、新しくやり直そうとしているのですから」
アンドレア様がひときわ優しくそう語りかけると、令嬢たちは戸惑いながらもかすかにうなずいた。互いに困惑した顔を見合わせると、誰からともなくそそくさと去っていく。後には、私とアンドレア様だけが残された。
「ねえ、マーガレット」
令嬢たちが去っていった方を呆然と眺めていた私に、アンドレア様がそっとささやきかけてくる。
「私、もっとあなたのことが知りたいですわ」
アンドレア様が優雅な動きで、こちらに向き直った。いつもの悠然とした微笑みではなく、年相応の明るい笑顔を浮かべて。
「あなたさえ良ければ、これからも私と会ってくださらない?」
思いもかけない言葉に、またぽかんとしてしまう。あわてて気を取り直し、深々と頭を下げた。
「はい、こちらこそよろしくお願いしたします」
今の私を見てくれて、今の私を認めてくれた女性は、とても嬉しそうに微笑んでいた。