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19.娘の事情と甘い親

 アンドレア様のお茶会に出席したその日の夜も、私は疲れた体を引きずって日記を読んでいた。昼間メグのせいで散々な目にあったばかりだったし、できることならこんなものはどこかに放り捨てて、きれいさっぱり忘れ去ってやりたかった。


 それでもこの日記を読むのはもう私の日課になってしまっていたし、一度読むのをやめてしまえばまた、この日記帳のことが怖くなってしまう気がしたのだ。


「私は逃げたりしないわ。メグ、私はあなたについて全部知って、その上で文句を言ってやるんだから。覚悟しなさいね」


 日記帳に向かってそう宣言し、一つ深呼吸してからページをめくる。けれど今日の私は、これっぽっちも日記に集中できなかった。昼間に令嬢たちから突きつけられた要求、あれが心に重くのしかかっていたのだ。


 彼女たちがどのネックレスのことを言っているのかはすぐに分かった。サファイアと瑠璃の両方を使ったネックレスは一つしかない。我が家の当主やその妻に代々受け継がれている、由緒ある品の一つだ。


 問題は、そのネックレスは私のものではなく母のものだということだった。私に甘い母のことだから、頼み込めばすぐに譲ってくれるだろう。そこについては特に不安はなかった。


 しかしその後、きっと母は聞くに違いない。あのネックレスはどうしたの、せっかくだからあなたが身に着けたところを見たいわ、と。


 まさか、他の令嬢にあげてしまったんですと素直に言う訳にもいかないだろう。あれは彼女たちが目をつけるだけあって、かなり高価なものだ。裕福な両親からすればはした金だろうが、それでも気軽に他人に譲ってしまっていいようなものでもない。それにあのネックレスを渡すに至った経緯を、うまくごまかしきれる自信もない。


 ああ、どうしよう。気がつくと私は、机に両肘をついて頭を抱えていた。そのまま髪をかきむしると、ゆるくまとめられた耳の上の髪が崩れて、はらりと日記帳にこぼれ落ちた。


 メグのものと何一つ変わらない手入れの行き届いた一房の髪を見つめていると、ため息が出るのをどうにも止められなかった。






 丸一日悩み続けて、ついに私は決意した。両親には何も話さずに、私一人でこの事態に対処しようと。


 両親を巻き込んでしまったら、間違いなく話がややこしくなる。あの令嬢たちが私から高価なネックレスを巻き上げようとしていることを知ったら、私に甘い両親が何をするか分からない。


 彼女たちの親は私の家に借金をしていて、うちの父には頭が上がらない。父が本気を出せば、彼女たちを家ごと破滅させることも可能かもしれない。今の私が彼女たちの行いに苦しめられているのは確かだったが、だからといって彼女たちをひどい目に合わせたい訳ではない。


 そんなこんなで不本意ながら、私は忍び足で母の部屋に向かっていた。今の時間なら、母は父と一緒に中庭でお茶にしている。見つからずにネックレスをくすねるには、今しかない。


 もちろん、無事にネックレスをくすねることに成功したとしても、いずれネックレスがなくなっていることに誰かが気づくだろう。もしかしたら、そのことで使用人の誰かが責められるかもしれない。


 そうなったら、私が全力で両親の気を引くしかない。お母様、それよりも新しいネックレスを作りましょうよ。もっとお母様に似合うものにしましょう。そんなことを言いながら笑いかけて甘えてみせれば、きっと両親はネックレスのことなどころりと忘れてくれる。


 なんとも馬鹿げた話だとは思うけれど、それでうまくいくだろうと私は確信していた。今までの両親の甘々な振る舞いからすれば、十分にあり得る展開だった。何せ両親は、蜂蜜に砂糖をまぶしたような甘さで私に接し続けている。


 甘やかされている本人が言うのもなんだが、それでいいのだろうか。頭を打って今の自分になってから幾度となく繰り返した疑問はいったん横に置くことにして、私はゆっくりと母の部屋の扉に手をかけた。この奥の衣裳部屋のどこかに、あのネックレスはしまわれている。


 できるだけ音をさせないように衣裳部屋に入り込み、ゆっくりと、それでいて大急ぎで探し物をする。幸い、目当ての品は割とすぐに見つかった。ネックレスを箱ごと持ちだし、他の箱の位置を少しずつ動かす。こうしておけば、多少なりとも時間が稼げるだろう。


 目当てのネックレスが入った箱をスカートの下に隠し、スカート越しに箱をつかむ。そうしてから、また大急ぎで部屋を飛び出した。


「あら、どうしたのマーガレット。私に用だったの?」


 けれどそうして部屋を出たところで、運悪く母に出くわしてしまった。その後ろには父の姿も見える。とっさに取りつくろうように笑って、出まかせを口にした。


「いえ、ちょっとお母様とお話がしたくて」


「そうだったの? だったら庭に来てくれればよかったのに。そうだわ、あなたも一緒にもう一度お茶にしましょうか?」


 上機嫌にそんなことを言っている母を見ながら、どうすればこの場をやりすごせるだろうかと必死に考える。スカートの中に隠しているものを、一刻も早く自室まで運んでしまいたい。


 焦ったのが悪かったらしく、手が滑って箱を取り落とした。私の足元に、上等のビロードが張られた箱が転がり落ちる。その拍子に箱が開き、青く輝く美しいネックレスが露わになった。両親の目が、その輝きに吸い寄せられる。


 そうして二人は、とても不思議そうな顔で私を見た。


「ねえマーガレット、どうしてネックレスを黙って持ち出そうとしたの? 言ってくれたら貸してあげたのに。なんなら、あなたのものにしてもいいのよ」


「そうだぞ。どうせなら、もっと素晴らしいものを作らせようか」


「それはいい考えね、あなた。マーガレットには紫が合うかしら。緑もいいわね」


「この前は桃色を基調にしたし、今度はがらっと違う色というのもいいな」


 思った通り、両親は私を少しも責めはしなかった。それどころか、さらに甘やかそうとしている。


 その態度にほっとしながらも、同時に何ともやりきれないものを感じていた。私がしたことは、客観的に見て大変良くないことだ。親の部屋に忍び込み、こっそりと高価な私物をくすねようとしたのだから。


 けれど両親は何もとがめようとしない。普通ならこういう時は事情を聞いて、ことによれば叱ったり罰を与えたりするものなのではないだろうか。実際、ゲオルグはそうやって子供たちを諭していた。子供たちを叱る時の彼の目は、こちらの胸まで温かくなるような愛情にあふれていた。


 もしかすると私は、両親にちゃんと愛されていないのかもしれない。


「……あの、お父様、お母様」


 そんなことを思ったら、つい口を開いてしまっていた。両親が話をやめてこちらを見る。墓穴を掘ろうとしているような気がしたが、もう自分を止めることができなかった。


「どうして……どうしてお父様とお母様は、そんなにも私に甘いのですか。自分たちの感覚がおかしいとは、思わないのですか」


 しかし勇気を振り絞った私の問いは、あっさりと肩透かしをくらってしまった。


「甘いかしら? 普通だと思うわよ」


「私もだ。可愛い一人娘を大切にすることの、どこに問題があるというのだ」


 ああ、私の言いたいことはきっとこの人たちには通じない。そんなもどかしさを感じながら、私はネックレスが入った箱をしっかりと握りしめた。目の前で微笑んでいる両親から、意識をそらすように。

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