17.とあるお茶会
慈善活動に精を出したり、エリックやレベッカと話したり。それなりに充実した日々を送っていたある日、私は父の部屋に呼び出された。何事だろうと足を運ぶと、そこには両親が揃って私を待ち構えていた。
「マーガレット、公爵家のアンドレア様からお前あてに招待状が来ているぞ」
「アンドレア様は、第一王子のセドリック様と婚約が正式に決まったお祝いに、年の近い令嬢たちを集めて大きなお茶会を開くんですって」
「これも何かのご縁だ、楽しんでおいで」
上機嫌の両親が、ため息が出るほど見事な装飾のされた封筒を差し出してくる。中の招待状には、手本にしたくなるような美しい文字が並んでいた。きっと、アンドレア様の直筆なのだろう。
両親の口ぶりからすると、おそらくメグはアンドレア様とは面識がない。彼女が私をお茶会に招待するのは、たぶん今回が初めてだ。そもそも公爵家の、しかも王家と婚約できるほどの家の令嬢なんて、メグや私からすれば遥か雲の上の存在でしかない。
これなら、メグのことを気にせずにお茶会を楽しめそうだ。そう思ったら、つい笑顔がこぼれてしまっていた。両親もそれを見て、さらに笑みを深くする。
そのまま両親は、当日のドレスや装飾品について熱心に話し始める。たまにはこんな話題もいいものだと、そんなことを思いながら二人の言葉に耳を傾けていた。
そうしてお茶会の当日、私は目いっぱいめかしこんでアンドレア様の屋敷に向かっていた。華やかな桃色のドレスとそれに合わせた装飾品はこの日のために新調したものだし、髪形も流行の最先端の、とても華やかなものだ。
思わぬ招待に舞い上がってしまった両親が少々張り切りすぎた結果、少しばかり気合の入りすぎた装いになってしまったのだ。私があわてて口を挟まなければ、もっとずっと豪華になってしまっていただろう。
ばっちりと着飾った自分の姿を鏡で見た時にまず私が思ったのは、お茶会で悪目立ちしてしまったらどうしようということだった。こんな感想、とても両親には聞かせられない。二人は私のためを思って、この豪華な装いを用意してくれたのだから。
けれどありがたいことに、そんな心配は杞憂に終わった。初めて見るアンドレア様の屋敷はとても立派で豪華な、とても素敵な場所だったのだ。きらきらしく着飾った私ですら問題なく受け入れてしまうような、懐の広さが感じられる屋敷だった。
エリックの屋敷に行った時も思ったけれど、家の格というものは屋敷のたたずまいにも表れるのかもしれない。そういう意味では、うちの屋敷はちょっとだけ品に欠けているように思える。うなるほどお金があるということだけは、一目で分かるのだけれど。
「それにしても、本当に素敵なお屋敷……この置物もあっちの装飾も、本当に品があって……しかも、それらがとても良く調和しているし」
お茶会の会場はこの先の中庭だ。けれど、人がたくさんいるところにいきなり踏み込んでいくのは少しためらわれた。もともと私が人見知りなのか、それともメグに振り回されたせいで、他人の目を気にする癖がついてしまったのか。
そんな訳で、私は屋敷の廊下で一人のんびりと辺りを眺めていたのだった。どうせ誰も聞いていないのだからと思ったことをつぶやきつつ、ほうと感嘆のため息をもらす。そうしていたら、後ろからいきなり声をかけられた。
「お褒めいただいて嬉しいわ。その飾り物は、この家にずっと伝わっているものですのよ」
鈴を転がすような可憐で上品な声に振り向くと、そこにはひときわ優雅に着飾った令嬢が立っていた。少し古風なドレスが、驚くほど良く似合っている。
彼女が名乗るよりも先に、私は確信していた。彼女が、このお茶会の主人であるアンドレア様だ。その威厳のあるたたずまいも、慈愛に満ちた微笑みも、未来の王妃と呼ぶにふさわしい。しかしそれでいて彼女はとても愛らしく、これっぽっちもお高く止まったところはなかった。
礼儀も忘れて彼女に見とれていると、彼女はドレスのスカートを軽く持ち上げてお辞儀をした。令嬢の見本のような、とても美しい仕草だった。
「あら、驚かせてしまいましたかしら。初めまして、私がアンドレアですわ」
「この度はお招きいただきありがとうございます、マーガレットと申します」
私の名前を聞いたとたん、アンドレア様はわずかに眉を動かした。そのまま何かを考えるような目つきになって、慎重に口を開く。
「……あなたの噂は、前から耳にしておりますわ」
前の私の噂、つまりそれはメグの噂だろう。血の気が引くのを感じながら、彼女の言葉を待つ。少しの沈黙の後、ひどく静かな声が淡々とこちらに投げかけられる。
「きつい言葉になってしまうのを先にお詫びさせてくださいませ。以前のあなたについては、良い噂を聞きませんでしたの」
「……はい」
それはそうだろう、と同意したい思いと、自分の過去を改めて突きつけられた痛みが頭の中を駆け巡る。ろくに答えを返すこともできないまま、ただ拳をぎゅっと握りしめた。毛足の長い絨毯をにらみつけるようにして、じっと耐える。
「その噂は、おそらく真実を伝えているものです。かつての私は……噂通りの、最低最悪の人間でしたから」
沈黙が痛くて、そんな言葉を口にする。アンドレア様はそんな私の様子を、ただ黙って見ているようだった。やがて彼女はゆっくりとこちらに一歩近づき、さらに声をかけてきた。
「けれど、不思議ですわね。こうして実際に会ったあなたは、噂で聞いた人物とはまるで違っているように思えますわ」
驚いて顔を上げると、にっこりと笑ったアンドレア様と目が合った。その優しい目を見ていると、ひとりでに思わぬ言葉がこぼれ出てくる。
「……今の私は、前の私とは違うのです」
「まあ、そうでしたの?」
「あることがきっかけで、私はほとんどの記憶を失ったのです。そして過去の自分がしてきたことを知り、変わりたいと思ったのです。変われるように、努力しているところなのです」
どうして私は、初対面の彼女にこんなことを語ってしまっているのだろう。こんな途方もないことを聞かされて、きっと彼女は呆れてしまうに違いない。
けれどアンドレア様の反応は、私の予想を裏切っていた。彼女は痛ましげに眉を寄せると、優雅に一礼したのだ。
「辛いことを聞いてしまったようですわね、ごめんなさい。でもそういうことでしたら、あなたは立派に変わられたと思いますわ」
彼女は何を根拠に、そんなことを言っているのだろう。戸惑う私に、彼女はにっこりと笑いかけてきた。
「あなたは最近、慈善事業に力を入れられているのでしょう? 私のところにまで、噂は届いていますわ」
その言葉に、思わず目を見開いた。メグのことだけでなく、今の私のこともまた噂として、彼女の耳に届いている。私が頑張っていることは、ちゃんと結果を残し始めていたのだ。
「領地に住まう者たちの暮らしを守るのは、貴族たるものの務めだと思いましたので……私は、当然のことをしたまでです」
喜びに震えそうになるのをこらえながら、平静を装ってそう答える。けれどその時唐突に、違う、そうじゃない、という思いが胸をよぎった。ふわふわと浮き立っていた心が、すっと冷たくなる。
だって私が慈善活動に手を出した理由は、もっと自分勝手なものなのだから。
町の人たちに疎んじられていることが寂しくて、悲しかった。どうにかして、そんな現状を変えたいと思っていた。たまたま出会ったゲオルグの窮状を目にして、彼に良くすることで町の人からの印象も変えられるのではないかと、そんなことを思ってしまったのだ。そんな目論見がうまくいったから、さらに町の人たちに親切にしただけなのだ。アンドレア様に褒められる資格なんて、私にはない。
けれどこのまま黙って微笑んでいれば、アンドレア様は私のことを良い人間だと思ってくれる。私が望んでいるまっとうな生き方に、また一歩近づける。
しばし悩み、ゆっくりと口を開く。やはり私は、彼女をあざむきたくはない。そう思ったのだ。
「……いえ、本当は……違うのです。かつての私は傲慢に振る舞い、民たちに恐れられていました。今の私はそんな評判を少しでも変えたくて、彼らに少しでも好かれたくて、援助をしているだけなのです」
そう告白してうつむく私に、アンドレア様はひときわ優しい声で語りかけた。
「顔を上げて、マーガレット。……やっぱり、あなたは立派な方だと思うわ」
そんなことは、と言いかけた私を制するようにして、彼女はにこりと笑った。
「他者から良く思われたいというのは、とても自然な望みだと思いますわ。あなたは、その望みをちゃんと自覚できているのでしょう?」
私の内心を見透かすような目で、アンドレア様が笑う。彼女は私とそう年も違わないだろうに、なんという格の違いだろうか。
「さあ、堅苦しい話はこれくらいにしましょう。今日のお茶会はとびきりたくさんの方を招いていますのよ。きっとあなたも、楽しめると思うわ」
まだ少し呆けたままの私を元気づけるように、それは明るくアンドレア様が言った。子供がはしゃいでいるような無邪気なその仕草に、笑みが浮かんでしまう。それを見て、彼女がまた嬉しそうに笑った。
アンドレア様が言っていたように、お茶会はとても楽しかった。大きな庭のあちこちにお茶やお菓子の並んだテーブルが置かれ、招かれた令嬢たちはそれらを口にしながら庭のあちこちをそぞろ歩き、お喋りに花を咲かせていた。
メグはそもそも友達がいないようだったし、私は相変わらず記憶がない。うまく他の令嬢と交流できるか少しだけ心配だったのだが、蓋を開けてみれば何の問題もなかった。
新たな知り合いが何人もできたし、アンドレア様も何かと気にかけてくれた。今まで頑張ってきたことが、一度に報われたような気がしていた。
お茶会も半ばを過ぎた頃、見覚えのある顔に呼び出されるまでは。