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11.父という存在

 口を固く引き結んだ父が、ゆったりとした足取りでこちらに向かってくる。その表情は、周囲で咲き誇る美しい花たちとはまるで釣り合わない苦々しいものだった。


 父の姿を見た横のエリックが小さく、げっ、とつぶやく。そういえば、エリックは父の説教から逃げ回っていたのだった。


 幸いなことに、その声は父の耳には届いていないようだった。うっかり聞こえでもしたら、さらにまずいことになっていただろう。


「おや、マーガレット。友人のところを訪ねていると聞いていたのだが、帰っていたのか」


 父は私にいつも通りの甘い笑顔を向けると、一転してエリックに向き直った。そのわずかな間に、また険しい顔に戻っている。見事なまでの変わりようだ。


「エリック殿、少しよろしいか」


 隣のエリックが背筋を伸ばす気配がする。つられて姿勢を正す私たちの前で、父は大きく息を吐いた。


「私は、貴殿がマーガレットの婿となり、私の跡を継ぐということについて異論はありません。ですが」


 ふん、と鼻息も荒く、父がエリックに迫っていった。エリックも真剣な顔で、父の視線を受け止めている。


 けれど彼の口元には、隠し切れなかった苦笑の名残が浮かんでいた。彼はずっと父に説教されていたという話だし、おそらくもう耳にたこができるくらい同じことを聞かされたのだろう。


 父はエリックのそんな表情には気づいていないのか、大きく息を吸うと声を張り上げた。


「マーガレットを危険にさらすような真似は、今後つつしんでもらいたい!」


 屋敷の建物が震えるような大声に、エリックは神妙に顔を伏せた。けれど彼は大胆にも、そのまま私に流し目を寄こしてきた。な、ずっとこんな調子なんだよ。彼の目はそう言っているようだった。


 その間も、顔を真っ赤にした父の説教は続いていた。礼儀正しくはあるもののうんざりするようなその言葉の嵐に、耳をふさぎたくなるのをじっと我慢する。


 もしここにいるのがメグだったら、父と一緒になってエリックを責めたてたかもしれない。でも私はメグではない。そして私にとって、エリックは大切な友達だ。これ以上、彼が悪く言われるのを放っておきたくはない。


 意を決し、ゆっくりと立ち上がる。私の様子にただならぬものを感じたのか、父が戸惑いながらこちらを見た。そんな父の目をまっすぐに見すえ、一言ずつ区切るようにして言い放つ。


「お父様、それ以上エリックを悪く言うのなら、もう口をきいてあげませんから」


 私は両親について多くを知らない。けれどそんな私にも、はっきりと分かっていることがあった。両親は、私が傷つくことと、私に嫌われることを何より恐れている。いっそ病的なくらいに。


 そして思った通り、私の一言は驚くほど効果を発揮した。父はすぐに青ざめると、両手を胸の前で握りしめて哀願してきたのだ。父の目には、もうエリックは映っていないようだった。


「おおマーガレット、私が悪かった。分かった、この件についてはもう何も言わないことにしよう。それでいいか?」


 何が悪いのか、これっぽっちも分かっていないくせに。喉元まで出かかったそんな言葉を飲み込みながら、私は笑ってうなずいた。




 そそくさと父が立ち去ってしばらく経ち、中庭にはまた元の静寂が訪れていた。


「……さっきは助かった。あんたが口をはさんでくれなかったら、いつ終わるか分からなかったからな」


 静寂を乱すのを恐れているかのように、エリックが小声で言った。


「いいえ、こちらこそごめんなさい、うちの父はすぐに暴走するから」


「あんたのことを思ってのことだし、仕方ないだろう」


「それは、分かっているのだけど……私、レベッカがうらやましいわ」


 できることなら、私も憧れたくなるような親が欲しかった。そんな口にしない思いをくみとってくれたのか、エリックはそれ以上何も言わずにただ寄り添っていた。






 次の日、私はレベッカを連れてまた馬車に乗っていた。目指すはエリックの住む屋敷だ。


 昨日エリックは、あの後長居することなく帰ってしまった。そのせいで、少し話し足りなかったのだ。


 いつもは彼が私のところを訪ねてきているけれど、たまにはこちらから出向いていくのもいいかもしれない。一応私たちは婚約しているのだし、特に問題もない筈だ。そう考えての外出だった。


 やがて、馬車の窓越しにエリックの屋敷が見えてきた。今まで見た屋敷の中では一番大きく、古めかしい。私の住む屋敷のようなきらきらしさはないが、年月がかもしだす荘厳さのようなものが感じられた。なるほど、彼の家の方が格上だというのも分かるような気がする。


 馬車が止まると、すぐに執事らしき人物が出迎えてくれた。彼に来訪の理由を告げ、少し待つ。じきに私たちは、ひときわ大きくて豪華な扉の前に案内された。


 てっきりそこにエリックがいるのかと思ったが、扉の向こうにいたのは気難しそうな顔をした中年の男性だった。身なりや態度からすると、おそらくは彼がここの当主にしてエリックの父なのだろう。しかしそれにしては、彼とエリックはちっとも似ていない。


「ああ、わざわざ君が出向いてくれたのか。うちの愚息のために、済まないな」


 書類を読んで署名する手を少しも緩めることなく、エリックの父はそう言った。その態度には、何とはなしに薄ら寒いものを感じる。ひたすらに礼儀正しいが、人間味が少しも感じられないのだ。少々ざっくばらんで人懐っこさを漂わせているエリックとは大違いだ。


「あいつは離れにいる。君が来たと聞けば喜ぶだろう」


 そうして彼とほとんど口を利くこともなく、私は追い出されるようにして部屋を出た。すぐに部屋から出てきた私を、きょとんとした顔のレベッカが出迎える。


 けれど私たちが何か言うよりも早く、ここまで私たちを案内してきた執事が口を開いた。


「それでは、どうぞこちらへ。エリック様が待っておられます」


 どうにも落ち着かないものを感じながら、私たちはただ流されるようにして歩き出した。






「あんたの方から来てくれるとは思わなかった。まあ、座ってくれ」


 驚いたことに、エリックがいる離れというのはとても小さな建物だった。小さい、といってもそこらの平民の家よりはずっと大きくて豪華なのだが、それでも母屋の荘厳さと比べると大きく見劣りする。もっとも、気さくなエリックにはこちらの方が似合っていると言えなくもなかったが。


 私たちの顔を見るなり、エリックはそれは嬉しそうな笑顔を向けてきた。やっぱり、あのしかめっ面の父親とは少しも似ていない。


「昨日はあまり話せなかったから、こうして来てしまったのだけど……あなたがこんなところにいるとは思わなかったわ」


「ここの方が気が楽なんだよ。母屋にいると、息が詰まる」


 そう答えたエリックの顔には、今までに見たことのない陰がくっきりと落ちていた。いつもと違う陰鬱なその表情に、思わず胸を押さえた。


「おい、なんて顔してるんだ。大したことじゃない、単に父とそりが合わないだけだよ」


「お父様……さっき会ったわ。立派な方だと思ったけれど」


「俺と似ていなくて、びっくりしただろう?」


 どこか自嘲するような口調で、エリックが笑う。図星を指された私があわてて口をつぐむと、エリックは愉快そうに笑った。


「跡継ぎの兄は、これまたびっくりするくらい父に似てるんだ。俺は母親似でな」


 彼の言葉には、ひどく重たい何かがこめられているようだった。それを知りたいと思いながらも、不用意に踏み込めないものを感じていた。


 きっと彼にも、様々な事情があるのだろう。そして彼は、まだそのことについて心の整理がついていない。そんな気がした。


 何でもいい、彼を元気づけたかった。いつも私の力になってくれる彼を、どうにかして励ましたい。そう思いながら、必死で言葉を探す。


「エリック、その……私で力になれることがあったら、いつでも言ってね」


 けれど努力も空しく、口をついて出たのはそんな平凡な言葉だけだった。悔しさに歯噛みしている私を見ながらエリックは目を細め、ゆっくりと笑顔を浮かべた。まるで今にも泣きだしてしまうのではないか、そう思えるような笑顔だった。


「ああ、ありがとう。……あんたがそうやって俺のことを気にかけてくれるってだけでも、十分助けられてるよ。だから、これからもよろしく頼む」


「ええ、こちらこそよろしくね」


 それでようやっといつもの調子を取り戻した私たちは、とりとめもない普段の話を始めることにした。なじみ深くてほっとする、穏やかな時間が戻ってきていた。


 けれど私の頭の中には、エリックとその父のことがずっと引っかかっていた。私とその両親とはまるで違う、けれどきっと同じようにいびつな関係。そのことがまるでとげのように、私の胸にちくちくと刺さっていた。

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