10.小さな進展
それから私は、日記に名が記されていたメグの被害者たちのもとを順に訪ね、ひたすらに頭を下げて回った。けれど三人が三人とも、まったく同じ反応を返してきた。
彼女たちはみな、私が訪ねてきた時点で警戒をあらわにしていた。礼儀正しい彼女たちの振る舞いも、その内に秘めたおびえを隠すことはできていなかった。
「まあマーガレット様、お話とは何でしょう」
「実は、謝りにきたのです。今まで私があなたに辛く当たってきた、そのことをわびたくて」
そうやって私が謝罪の言葉を述べると、彼女たちは信じられないものを見たと言わんばかりに、それでも行儀よく目を見開くのだ。そして判を押したように、同じ言葉を返してくる。
「いいえ、あなたが謝るようなことはありませんわ。どうか顔をお上げになってください」
うわべだけは優しくそう言う彼女たちの顔には、信じられない、とはっきりと書いてあった。取り澄ました笑顔の下からは、怒りのようなものさえ見えていた。
そうやって彼女たちの前を立ち去る旅に、私の胸の中には虚しさが降り積もっていった。
結局私は、一度もまともに謝罪を受け取ってもらうことができなかった。礼儀正しく拒否されて、それで終わりだった。
今までメグがしてきたことを思えば当然の事態だったが、それでも心は痛い。頑張って彼女の罪をつぐない、まっとうに生きると決めたものの、こんなことが続くとさすがにめげそうになる。せめてもう少し、手ごたえのようなものが欲しいと思ってしまうのはわがままなのだろうか。
三人目を訪ねていった帰りの馬車の中で、窓の外を眺めながらため息をつく。青く澄んだ空がまぶしくて、思わず涙ぐみそうになった。
「……あの、お嬢様」
今日も私の付き添いとして同行していたレベッカが、向かいの席から恐る恐る声をかけてきた。私と目が合うと、彼女はまたいつものようにおどおどと目をそらしかけたが、思いとどまったのかしっかりとこちらを見てくる。黒目がちの可愛らしい目に、いつになく強い光が一瞬だけ宿った。
「私などがこんなことを言うのはおこがましいと、そう思うのですが……」
何かを言おうとして、ためらっている。私は彼女の邪魔をしないように、ただじっと待った。
「お嬢様は、とても努力してらっしゃると思います。今回訪ねたご令嬢のみなさまは、まだお嬢様のことを信じておられないようでしたが……いつかきっと、お嬢様の思いは届くと、私は信じております」
あのレベッカが、こんなことを言って励ましてくれている。かつての彼女は私の前に出るだけでおびえ切って、ろくにものも言えなくなっていたというのに。
今度は私が、驚きに目を見張る番だった。レベッカは私のそんな様子に、うろたえながら首を横に振っている。
「あの、申し訳ありません、私などが出すぎた口をきいてしまって」
「そんなことないわ!」
私の努力は無駄ではなかった。そのことを教えてもらえたような気がして、喜びのあまり立ち上がってしまう。ちょうどその時、小石でも踏んだのか馬車がぐらりと揺れた。よろめいた私が倒れこんだ先は、なんとレベッカの膝の上だった。
レベッカが腕を伸ばし、私を器用に抱き留める。すらりと背が高く手足も長い彼女は、まったく動じることなく私の体を支えていた。見かけよりもずっと力が強い。
「大丈夫ですか、お嬢様」
「ありがとう、レベッカ。……あなた、意外と力が強いのね?」
彼女の手を借りて席に戻りながら、思わずそう尋ねていた。服越しに感じた彼女の体は、驚くほど固くしっかりとしていたのだ。こんなに筋肉がつくほど、メイドの仕事というのは重労働なのだろうか。
私の問いに、レベッカは顔を赤くすると横を向き、か細い声で答えた。
「実は、私の父は騎士なのです。それで私も、幼い頃から体を鍛えていました。父は私の憧れなので」
「まあ、そうだったの。だったらあなたも、剣を振ったりするの?」
うっかり口をついて出た素朴な疑問に、レベッカはさらに顔を赤くすると身じろぎをした。
「……はい。最初、父は反対していたのですが……子供の頃に、必死に頼み込みました。説得に一年ほどかかりましたが、最後には折れてくれました。今でも時折、手合わせに付き合ってくれます」
女性が剣のけいこをするのは珍しい。レベッカの親が渋るのも、無理はないことだった。きっと幼いレベッカは、それは必死に頼み込んだのだろう。
その光景を想像して微笑みながら、同時にうらやましさを感じていた。真似をしたくなるほど父に憧れることができるなんて、レベッカは幸せ者だ。
今の私が知る父は、到底憧れることなどできない人物だ。そんな思いを押し隠して、私はそっとレベッカに微笑みかけた。
屋敷に戻ると、何故か玄関前でエリックが私を待っていてくれた。こうして会うのは久しぶりだが、彼の人懐っこい笑顔は変わっていない。その笑顔に、胸がほわりと温かくなる。
レベッカに励ましてもらえて、エリックにも会えた。今日は思いのほか、いい日なのかもしれない。
「やっとあんたの親の許しが出たんで、会いにきた。元気にしてたか?」
「ええ、もちろんよ。でもどうしてこんなところで待っていたの?」
「ちょっと、な。……あんたの父親が、まだこの前のことを根に持っていて、俺の顔を見るなり説教を始めたんだ。それがあんまりしつこいんで、ちょっとここまで逃げてきた」
しれっと言ってのけるエリックに、私は笑いをこらえられなかった。声を殺して笑いながら、どうにか言葉を返す。
「うちの父がごめんなさい。でも来てくれて良かった。ずっとあなたに会いたかったから」
素直な思いを告げると、エリックは口を閉ざして目を見開いた。けれどそれも一瞬のことで、すぐに彼は戸惑ったように目をそらしてしまった。
私は何かいけないことを言ってしまったのだろうかと彼の顔をのぞきこむと、彼は優しい金緑の目でまっすぐにこちらを見かえし、しみじみとつぶやいた。
「……やっぱりあんた、前と全然違うんだな。そんな言葉をあんたの口から聞くことになるなんて、思いもしなかった」
「前の私はあなたのことを嫌っていたのかもしれないけど、私はあなたと仲良くしたいと思っているのよ。でなければ、友達になりたいなんて言わないわ」
「確かにそうだ。あんたが俺に会いたかったって言い出しても、何もおかしなところはないな。……俺たちは友達なんだから」
そんな言葉を交わしながら、私とエリックは明るく笑い合う。友達、という言葉に驚いたのか、レベッカがこっそりと目を丸くしていたのがちらりと見えた。
今までのことを聞いてもらおうと、私はエリックを誘って中庭に出ていた。長椅子に並んで腰かけて、前置きもそこそこに本題に入る。
ゲオルグへの支援が始まり、彼に感謝されたこと、かつて迷惑をかけていた令嬢たちに謝りにいったこと、レベッカから親の話を聞けたこと。話しているうちに熱が入ってしまったせいでどんどん前のめりになってしまったが、エリックは嫌な顔ひとつせずに最後まで話を聞いてくれた。
「そうか、短い間にずいぶん色々あったんだな。手伝ってやれなくて悪かった」
「いいえ、こうやって話を聞いてもらえるだけでも気が楽になるから。とても助かるわ」
それは掛け値のない本心だった。彼と話していると、独りぼっちではないのだと思える。彼がいなかったら、もっとずっと早くに私はくじけてしまっていただろう。彼と友達になれて、本当に良かった。
けれどそうやって私たちがのんびりと親交を温めていた時、目の前の茂みの向こうから父が姿を現した。楽しいお喋りの終わりを告げるかのように、その顔は厳しく引き締められていた。