熊と名付けられた男
昼休みは職員用の食堂に、俺は逃げるようにして入った。
生徒用の食堂にはリディアもシュウもいないのは確認済みだが、そこにユーリスの弟がいたのも確認済みであったからだ。
しかし、ダニエルはどこでも兄を見つけられる末っ子特有のスキルで俺の存在を感知し、俺を追いかけて職員用の食堂に入り込んできた。
こんなにも大型で目立つ少年であるのに、職員専用食堂に入っても誰にも見咎められないというのは、誰にでも愛される末っ子スキルというものであろうか。
そんなダニエルは俺の目の前に座るや、わかりやすく腹の音を聞かせてくれた。
俺は諦めの溜息をつくと、悪戯な義理の弟に、自分用の手付かずな昼飯プレートを差し出した。
「ありがとう!アレン!俺はあなたが兄の中では一番好きだよ。」
「ありがとう。俺も君が一番可愛い弟だよ。どうして君は軍学校の方に進まなかったんだ?そんなに目敏くて、どこにでも潜り込める才能は、軍隊に入った方が花開くのではないかな。」
「アレン義兄さん。軍隊には俺の意地悪兄ちゃんズがいるじゃない。末っ子な俺は虐められるのも、一番になれない場所にいるのも、もううんざりなんだよ。ユーリは辞めちゃったけどさ、俺の一番苦手なヘイリーが残ってんじゃん。」
「ハワードが君に厳しいのは、君がヘイリーなんて愛称を付けたからだろう?君のせいで彼にハワードという名前があった事をみんなが忘れている。」
「だってさ、ヘイリーはヘイリーだよ。俺への虐め方がねちっこくて女みたいだ。」
「ダニエル。そんな台詞をリディア嬢に聞かれたら、お前もこの熊男みたいにけちょんけちょんにされるぞ。」
俺の隣にユーリスが座った。
ダニエルはユーリスの台詞に吹き出し、俺は午前中の失態を思い出した。
丁度良いからと彼女に自己紹介をしようとしたのだが、彼女は俺が身分の高い人間に媚を売る人間だと勘違いしたのである。
俺は言葉を失ったが、特別扱いをしたからと怒り出す女性は初めてであり、胸の中には清涼な風が吹いた気がした。
それを台無しにしているヴァレリー兄弟であるが。
俺がユーリスを睨むと、彼は俺の為に持って来たらしきコーヒーの入ったカップを俺の方へと動かした。
真黒な液体には砂糖も何も入っていないが、ソーサーには分厚いチョコチップクッキーが乗っていた。
「ああ、すまん。」
「いや。俺の弟に食い物にされているのが遠くから見えたからね。」
「兄さん!俺もクッキーが欲しい。」
「お前の分なんかねえよ。欲しかったら自分で取ってこい。」
「ひどい!俺をこの学校に押し込んだ事も忘れていた癖に!」
「うるせえよ。三回も放校されて学校を変えたガキは黙ってろ!俺のなけなしの蓄財を無駄に使いやがって。」
「やられたらやり返せって教えたのは兄さんだろ!」
「バカ、お前。分んないようにやり返せだ。体罰校長の顔にコショウ袋ぶつけるとか、偉いさんのとこのガキ大将を人前で殴るとか、セクハラ教師が女学生を温室に連れ込んだそこでラッパ吹くとか、あからさまにやりやがって。馬鹿じゃ無いのか?奴らは痛くなって無いだろ?お前だけ悪者じゃないか。」
兄に叱られたダニエルは、見るからにしゅんと小さくなった。
俺は溜息を吐き、コーヒーのカップごとダニエルの方へと押し出した。
ダニエルが退学になる度に俺が彼を迎えに行って、彼の武勇伝に大笑いするだけで彼を一度も諫めなかった俺が悪い。
「全く。ダニエルに甘いな、お前は。こいつは甘やかすと際限がないぞ?」
「いいよ。可愛がりたい息子は俺を嫌っているんだ。俺に可愛がられて喜んでくれるダニエルを可愛がらせてくれ。」
ダニエルが、げげ、と不穏な声を上げた。
「嫌か?君まで俺を拒否するのか?」
「いや、だって。あなたとあからさまに仲良くするとリディアに嫌われるもん。」
「ああ、それな。俺もシュウもとりあえずお前から距離を取っていいか?」
俺は一瞬で俺と縁を切りだしたヴァレリー兄弟を見つめた。
ダニエルは真っ赤な顔で俺から顔を背け、ユーリスは仕方ないだろという風に俺に眉毛を上下させて見せた。
「……そんなにシュウは傷ついているのか。」
「シュウを追いかけていた男も焦げ茶色の髪をした熊男だったそうだ。」
「え?」
俺はユーリスをまじまじと見つめた。
すると、ユーリスが急に気さくそうな笑顔を俺に見せ、いや、俺を通り越して俺の後方にいる誰かに手を振ったのだ。
口元は笑顔で固定なのに、ユーリスは明瞭な言葉を俺に放った。
「席を移動してくれ。これからリディアを尋問する。」
「お手柔らかに頼むよ。」
「当たり前だ。五年後を考えたら優しくするさ。」
「おい。」
「いいからどけ、熊男。」
俺は後方にいるリディアに自分だと分からないようにして席を立つと身を屈め、情けないと思いながらも老人風に歩いてダニエルが座る椅子の真後ろの椅子へと移動した。
そのすぐ後に俺が座っていた席に人が座る気配を感じた。