婚約に祝福無し
「キスはされたの!」
翌日のジリアンは朝食の席で私の婚約成立を聞くや大喜びで、朝食の後はティールームに私を引っ張り込むと、伯爵からプロポーズを受けたその場面を詳しく事細かに聞きたがった。
その時のレティシアは裏切られたようにして小さな悲鳴を上げ、そのまま朝食の席を立って部屋に戻ってしまった。
もちろんミラは私を侮蔑する目で見下して姉の後を追い、ハワードもはっきりと、認められない、と言ってから席を立った。
アレイラは、よく考えなさい、だったかしら。
「ねえ、リディア?」
ジリアンはニコニコと微笑んで私を見つめている。
私は彼女に微笑み返した。
朝のそんな一幕があったからこそ、ジリアンがこうして色々と尋ねてくれることで私は心が救われているのかもしれない。
私だって伯爵にプロポーズされた事がとても嬉しくて、思っていた以上に浮かれているのだもの。
それなのに、それが誰かを悲しませ、認められないと言われただけなのが悲しかったのだ。
レイがディークの告白を受けて変わったのも頷ける。
好きだと思った人に好きって言われるのは、こんなにも嬉しいものなのね。
そして、ジリアンに認められてあの二人がとっても幸せになった気持ちも。
「さあ、洗いざらい話して貰いますわよ。さあ、今一度、尋ねますわ。キスはされたの?」
ジリアンはお行儀悪く立ち上がり、丸いティーテーブルに両手をついて私の方へと身を乗り出した。
いや、あなたの祝いの気持ちはありがたいけど、あれ、もしかしてジリアンは私と伯爵の恋愛話を聞きたいだけ、だった?
「いやキスは。」
私は昨夜の場面を思い返してはっとした。
軽々しく人前で語れる場面では無いなと気が付いたのである。
馬で崖下りをした私をやっぱり崖下りをして追いかけてくれた伯爵。
崖上で武装集団と戦っていたからか、伯爵のシャツは泥と血で汚れている。
ここまでは劇的で素晴らしいかもしれない。
そう、伯爵一人がその格好であるならば、それは女性がうっとりしそうな男性の姿で場面となるかもしれないが、対する私の格好がドレスどころか流れ者の小汚い格好だったのである。
「……キスは無かった。出来ていたら伯爵の神経を疑うかも。だって、わたくしは盗賊団みたいな恰好でしたもの。それに、伯爵は紳士よ?」
「まあ!婚約にキスはつきものですのに!」
「ジルはダニエルと結婚するの?」
私達の足元に小さな紳士がやって来ていて、私の結婚ではなくジリアンの結婚と勘違いしていた。
時々私と結婚すると言ってくれたこの可愛い息子だが、私が結婚する相手が自分の父親だと知ったら傷つくかしら、と急に心配になった。
「ちゅ、してたよね。ジル。」
私はジリアンを見返した。
ジリアンはすとんと自分の席に座り直したが、顔は真っ赤になっていた。
「リディアだってするじゃない!そ、そういうキスよ!」
「いや。私はダニエルにキスした事なんかないわよ。」
「ち、違う!シュウに!そ、そう!シュウにするみたいなチュッをしただけよ!」
シュウは、きょほっ、と変な声を出してぴょんぴょん跳ねだした。
「じゃあ僕はリディアのおむこさんだ!」
まあ!どうしよう!違うって言ったらこの可愛い子が泣いちゃうわ!
私がどうしたらいいのかわからなくなったその時、シュウは思いっ切り床を蹴ってびょーんと跳ね上がった。
私は自分の方に飛んで来た子供を抱きとめようと手を伸ばしたが、その子供は空中で動きを止めた。
シュウの胴体を大きな手ががっしりと掴んでいた。
「リディアはパパのお嫁さんになるんだよ。リディアはずっとシュウのママだ。」
はっ!
私は低くて滑らかな声の主を見返した。
朝食用の衣服を脱いで、単なるシャツにズボンだけのラフな格好となっており、朝のぱりっと整えていた髪の毛だって今は無造作に流している。
私はこの姿の彼の方が好きだと思った。
好き?まあああ!
私は彼の全体でなく、彼の顔をまじまじと見つめてしまった。
緑色の瞳は悪戯そうに私を見つめており、私に見つめ返されたことが嬉しいという風にきらりと煌いた。
私はその煌きだけで、まるでキスをされたみたいに感じて恥ずかしくなった。
どうして?
第五章です
この章で終わる予定です。




