ちゅっを求めて
俺は無作法だろうが祖母の前で急いで服を纏い、息子の後を追いかけるべく部屋を飛び出そうとしたが、ドアは開かなかった。
「おい。」
「わたくしがあなたにお話があるって言っているでしょう。この館の主人はわたくしよ。」
「シュウが。」
「この館に召使がいない場所など無いわ。安全この上なく、目指す場所にシュウは辿り着けるでしょう。」
俺は祖母に振り向き、そしていかにも面倒だという風に前髪をかき上げながらドアに寄りかかった。
アレイラは俺の貴族然としない振る舞いに眉をピクリと動かしたが、俺をだらしないとくどくど叱るどころか、彼女は女王のように顎をあげた。
「レティシア・オズワルド男爵令嬢との結婚は認めましょう。」
「へ?」
「オズワルド家の内情は知っています。付添い人も雇えない火の車どころか、婚約破棄があった今、確実に婚約破棄が無いように妹だけを付けて送り出したという恥も外聞も捨ててしまった緊急性もね。」
機械的に語るアレイラの口調の中に、この馬鹿孫、という彼女の俺への罵りも見えた気がした。
俺は馬鹿孫として、彼女が期待するように彼女に面倒を掛ける事にした。
「ああ。だがそこはお婆ちゃんの力で何とかなるかなって俺は期待している。伝説の女伯爵と文通をしていたレティシアは、心の傷をあなたに吐露してしまう。優しいあなたが心を癒せる場所として自宅に招くのはよくあること、でしょう?俺はあなたに頼まれて、大事な友人をここまで運んできました。」
「最初の手紙通りって事なのね。」
「ええ。俺が再婚相手に選んだのはリディア・カーネリアンです。オズワルド姉妹は事情があって同行させることになりました。」
「そう、カーネリアンね。そこは考え直しなさい。あれは駄目です。」
「ちょっと。」
「オズワルド男爵令嬢についてはわかりました。そのように計らいましょう。行って良し。」
「へ?」
ドアは勝手に開き、俺は仰向けに倒れていた。
ドアを開けた召使はすました顔をしているが、吹き出しそうになった口元は隠せていない。
「シュウはどっちに逃げた?」
仰向けのまま尋ねると、左側はとうとう吹き出して笑い、右側の召使は笑いを堪えながらすっと指を差した。
「ありがとう。」
俺は立ち上がるやシュウの後を追いかけるべく走り出した。
ところどころにいる召使がシュウの行き先の方向を指で示してくれたが、だったら捕まえておいてよ、と思いながらシュウを追いかけた。
追いかけながら気が付いたが、シュウも召使達の誘導を受けていたらしい。
俺は館の客用の棟に辿り着いており、もしかしたらとリディアがいるだろう部屋へと一直線に走った。
リディアの部屋の前には、小さいくせに俺を完全に撒いたシュウがぴょんぴょんと跳ねていて、そのドアはシュウの来襲を知ったからと開いた。
「リーディーアー!」
金色に輝く少女はシュウの為にしゃがみ込み、シュウに両腕を伸ばした。
シュウは当たり前のようにしてリディアに抱きつき、リディアも当り前のようにしてシュウを抱き上げて立ち上がった。
「リディ、おようふくきたの。チュッして。」
「まあ、お利口さんね。いいわよ。」
リディアはシュウの頬にチュっとキスをした。
俺はそれは自分へのものでないのに、背骨の腰のあたりにビリっと何かが走ったような感覚を受けた。
「パパもお洋服きたの。チュッしてあげて!」
俺はシュウの言葉にぎょっと驚き、リディアも同じだったのだろう。
彼女はシュウの言葉に目を丸くしたまま俺を見返した。
俺はその顔が面白くてもっと揶揄ってしまいたい気持ちになった。
右手の人差し指で自分の右頬を差し、ここだという風に軽く叩いた。
「ご褒美が貰えるって聞いたから走って来たよ。」
「まああ!」
驚くリディアの前に俺がずいっと一歩前に出ると、リディアは俺を見つめたままシュウをぎゅうと抱き直し、俺から目を離しはしないが一歩だけ下がった。
まるで俺を部屋に引き入れようとするかのように。
これは彼女からの誘惑か?
いや、彼女は俺を意識して真っ赤になっているだけじゃないか!
俺はリディアの顎に軽く指先を添えた。
「さあ、ご褒美のちゅうを――。」
俺はリディアの後ろの四つの目玉と目が合った。
ダニエルとジリアンが同じ表情で俺を見ていた、のである。
この家は人の目が多すぎる!




