取りあえず失敗した男
俺は頭が真っ白になった。
息子の無事を知り、一昼夜は爆睡してしまったのがいけないのか?
俺は目覚めた時には、それはもう百年先だって見通せるぐらいに、自分の思考がクリアになったと感じた。
いや、神のお告げを聞いたかのように、自分の方向性が見えていたのだ。
カーネリアン伯爵令嬢と結婚し、大事な息子を取り戻す。
こんなことを考えた事こそ、運命の神への冒涜だったのであろうか?
「さあ、出てお行きなさいな!」
俺の目の前で、月の女神が凶暴な右足を持ち上げた。
今度こそ俺の男の証を踏みつぶすわよ、という風に。
どうしてこうなった?
俺はカーネリアン伯爵令嬢に求婚をするために、彼女の部屋を訪ねただけでは無いのか?
いや、ちゃんと手順を踏んでいないか。
約束も無く押しかけたばかりか、息子の元気な笑い声が聞こえたからと何も考えずに、ノックもせずに女性の部屋のドアを開けてしまったのだ。
ああ、俺が悪い。
けれど、俺は令嬢に何の言葉も出てこなかった。
息子に拒絶されての胸の痛みもそうだが、カーネリアン伯爵令嬢が聞いていた話と全く違う外見なのだ。
何が美しくて有名だ。
瞳が焼け付くぐらいの絶世の美女だったじゃないか!
月の光に輝く淡い色の金髪に、天使のような水色の瞳、そして、そして、女の子にしては長身の体つきには無駄な肉が無い、という素晴らしき肢体。
そんな夢の女性が俺を踏みつぶそうとしている?
踏みつぶしてください。
俺の脳みそは勝手に懇願した。
おい、考えろ。
彼女が踏みつぶしたいのは、俺の股間だぞ!
俺は大きく息を吸うと、彼女にストップという風にして右の手の平を見せた。
「突然の乱入、すまなかった。私はこの寮の監督官も任ぜられた、ええと、学園の講師だ。幼すぎる子供の声に驚いてドアを開けてしまった。すまない。驚かせて済まない。」
俺を殺そうとしていた右足はそっと床に降ろされた。
その上、子供を抱いている女性が、俺に右手を差し出したのだ。
俺はその白く美しい手を握り、……意外と固い手だったが、その手に引っ張り上げられるようにして俺は立ち上がった。
「ありがとう。それから本当にすまなかった。」
「こちらも過剰反応したようで申し訳ありません。私はリディア・カーネリアンと申します。こちらの子は私の弟のシュウでございます。」
シュウはやはり俺に脅えていた。
俺の顔を見るどころか、俺に見られたくはないという風にして、さらにリディアに抱きついて彼女の腕の中で身を縮こせたのである。
「あ、あの。」
「ああ、ごめんあそばせ。この子は実の父親に酷い目に遭ったそうなの。それで私の弟になりましたのよ。大人の男の人が怖いようで、ええと、やっぱりすぐにでも出て行って下さる?」
「え、ええ、え?」
リディアは俺の前に一歩進み、俺は反射的に一歩下がった。
彼女は揺るがない笑顔を顔に浮かべたままもう一歩前に出て、俺はやっぱりもう一歩後ろに下がった。
かつん。
俺の靴底が立てた音は、そこが廊下の固い床だと言っていた。
「ごきげんよう。」
バタン。
俺の鼻先でドアは完全に閉められた。
で、俺は彼女に何て紹介しただろうか?
結婚してください、俺はギャスケル伯爵様です?
違うだろ。
なんてこった。
講師で寮監だと出まかせを言ってしまっていたじゃないか!
俺は額に手を当てて数秒だけ黄昏ると、自分の嘘の尻ぬぐいをしに学長室に向かう事に決めた。
ギャスケル家が裕福で良かったなと思いながら。