のけ者感
「俺はリディは一本筋があって、それに沿って生きているんだと思っていたんだけどさ、兄貴の言う通りに脊髄反射で生きて来ただけ?」
私は並走するダニエルを馬から蹴り落としたくなった。
今朝の出立に、私は馬車に乗らなかった。
いや、乗せてもらえなかった。
それは仕方がない。
私がまた馬車に乗ったらすぐに馬車酔いし、それこそいつまでたってもハーゲン地方になんか辿り着けないであろう。
だから馬を使う様にとのユーリスの薦めは受け入れたし、彼の馬に乗せてもらえるのだろうと予想もした。
そこにミラが口を挟んで、私に使命を思い出させることを言い出したのだ。
「伯爵様はお馬に乗られないのですか?昨日は女の子ばかりでお辛かったでしょう?今日は解放して差し上げますわよ。」
私はそこですぐに、乗せて頂けますか、と伯爵にお願いするべきだったのだろう。
だが、私は一人で馬に乗りたかった。
ほんの一瞬葛藤し、けれども、伯爵と一緒に乗ったら、一人乗りもさせて貰えますかと、機会を見て図々しいお願いが出来るかもと気がついたのである。
ほら考えて、伯爵所有の馬はあの魅力的な黒馬じゃないの。
あの馬に乗れるかもなのよ?
少しワクワクしながら伯爵を見上げたのだが、なぜか伯爵は目があった途端に私からついっと視線を逸らした。
それから彼は自分の腕の中にいる、朝から彼にしがみ付いて離れなくなったシュウを嬉しそうに持ち上げた。
「私は今日も馬車の中を選びますよ。息子が馬車の中で危険なでんぐり返しをしようとするのを阻止せねばなりませんので。」
伯爵に両脇を掴まれてぶら下る形となっているシュウは、自分で体をブランコみたいに動かしてきゃあと嬉しそうな声をあげた。
私はシュウの幸せそうな姿に胸がきゅっとなった。
馬車に乗れない私は、シュウと離れ離れになってしまうと気が付いたのだ。
「で、では、わたくしも馬車に乗ります。」
「いや、君は馬に乗りなさい。」
殆ど命令口調の言葉には、きっと、今日は君の面倒は見てあげられないから、が続くに違いない。
「わかりました。馬に乗ります。わたくしは馬を持ってきてはおりませんので、伯爵様の黒馬をお借りしますね!」
「ダメに決まっているでしょう!あれは簡単に乗れる馬じゃない。」
半分慌てた声になっていたが、話し方は子供に対するそれでしかなかった。
私はむっとしながらも顎をあげ、伯爵の前に一歩進み出た。
伯爵は少々びくっとして、シュウを胸に抱き直した。
ああ、私がシュウを奪うと勘違いしたのか。
私がシュウの幸せを壊そうとするはずなど無いのに。
「では、馬が無いのでわたくしは馬車に乗ります。」
「いや、だから君は馬車酔いが大変でしょう!他の馬はどうだ?」
「では、ユーリスの赤馬。あれは足が速そうだわ。」
「どうして君は嫌がらせのように危険な馬ばっかり選ぶんだ!」
「あなたはどうしてそんなにも私をお認めにならないの!」
どうしてシュウから私をそんなにも追い払おうとなさるの!
私はつま先立ちで伯爵に顔を突き出して叫んでおり、伯爵だって体を前にできない代わりに私にずいっと顔を向けていた。
「ふぇ。」
シュウの泣き声で私達は一瞬で自分達の姿に気が付いた。
いかにもいがみ合っているように、互いに顔を突き合わせていたなんて。
こんな人前で!
「すまなかった。君に良さそうな馬をすぐに見繕うから。」
「いいえ。こちらこそ我儘を申し上げました。馬は何でもいいです。」
「せっかくの旅なのに、それではリディアが可哀想ですよ、アレン。」
私の真後ろに、レティシアの前で親交を深めたくないハワードその人が立っていて、まるで私が彼のもののように、後ろから私の両肩に手を添えた。
「ハワード、リディアに。」
「ええ、俺に任せてください。俺が御しますからあの馬でも大丈夫でしょう。」
伯爵は頬に赤味を浮き立たせたが、しかし、ハワードに返した言葉はそっけなさすぎるものだった。
「君に頼むしかないかな。」
面倒な人間を押し付ける様な言い方!
そして私は伯爵の馬にハワードと二人乗りすることになったが、ダニエルはその結果と過程について、くどくどと揶揄ってくるのである。
「ジリアンに二人乗りを断られたからって煩いわよ。」
「ジリアンは君の為に居残ったの。全く。君は感情のまま突っ走るから。今日の君はその黒馬さんに乗りたかった。それだけでしょう。」
「違いま――。」
「ダニエル、失礼な事を言うな。」
彼はダニエルに言い放つと、手綱を持つ自分の腕をいかにも私とダニエルの障壁のようにして持ち上げ、そのままダニエルから馬を離した。
馬の速度が上がり、私の背中にハワードの胸板が当たった。
「そのまま動かないで。もう少しスピードをあげます。アレンの目を振り切らねば。あなたも少しぐらい自分で馬を御してみたいでしょう。」
「ええ、その通りだわ!まあ!ありがとうハワード!」
私は脊髄反射的にハワードに答えていた。
若々しい男性の心地よい笑い声が迸った。
ああ、ダニエルの言う通り、私は考え無しなのかもしれない。
だけど、ぐんぐんと黒馬をハワードが先へと駆けさせてくれることで、新鮮な風が私を打ち付けてくるのだ。
馬車に酔った体で見張り台に出た時に感じた、あの解放感。
「大丈夫ですか?」
耳元で囁かれたハワードの声も低くて優しいものだったが、しかし伯爵よりもトーンの明るいさらっとしたものだった。
私はハワードに大丈夫だと笑顔で答えていたが、どうして伯爵の声と比べてしまったのかはわからなかった。
伯爵の声の方が好きだな、なんて、私が失礼な事をなぜ考えてしまったのかも。




