ジリアンの兄さんと私の師匠
私はシュウを抱いてカシュレーン道場の扉を叩いた。
私とシュウだけで道場の中に入ったのは、私がディークに心構えをするように伝える必要があるからだ。
いや、違うか。
外で待つジリアンは、兄の幸せを壊したくないと言っていた。
ジリアンは兄が幸せならば兄の恋を認めると言っており、だが、彼女達を捨てた結果となっている以上、ディークがジリアンに会ってくれないかも、という彼女にとっては恐ろしい結果への不安だ。
ダニエルは、自分がジリアンについているから、と私に請け合った。
「馬がいるからいざとなったら俺はジリアン連れて逃げるから、君はその場合は徒歩で逃げるんだよ。でも大丈夫だよね。この界隈で、リディ様を襲う馬鹿はいないってお話でしたもんね。」
ダニエルは楽しい人だ。
おまけに頼りになる。
私はジリアンに待っていてねと言い、そうしてカシュレーン道場の扉を叩いているのである。
なんで道場ががらんどうなの!
私は大きく右手を扉に打ち付けた!
「たのも~!出てこないと看板を盗むわよ!」
扉は開かず、しかし、住宅の方の勝手口が開いた。
「しばらくお休みだって言ってんだろうが!」
野太いカシュレーンの声があたりに響き、私の腕の中のシュウがびくっとその声に脅えて私にしがみ付いた。
けれども、それは一瞬だった。
カシュレーンが私が聞いた事も無い声音で喋り始めたのである。
「あら!リディア!まあ!きゃあ!その可愛い子が噂のシュウちゃんなのね!さあ!私がレイよ。さあ、私の方へいらっしゃい!」
私は様変わりしていた師匠の下へと、自分の強張った顔が無表情になっているなと考えながら歩いて行った。
「さあ、さあ、抱っこさせて!」
カシュレーンは、いや、もう、レイでいいだろう。
かって知ったるレイ・カシュレーンは、灰色の長い髪は後ろで縛り、長身で筋肉質だが骨ばっても見える細身という、見るからに流浪の剣士という格好の良い男性だった。
それが、こんなに変わるのか!
ディークと恋仲になって以来、日々レイが肥えていくことに私は気が付いていたが、会えなかった一か月近くでこんなにも面変わりしていたとは思わなかった。
筋張った所は消え、コケていた頬など艶やかでふくよかだ。
鋭かった眼光は目尻が顎に届きそうなぐらいに下がり、頑固そうで引き締まった口元だって幸せでにやけっぱなしだ。
そんな彼は私の来訪を喜んで以前とは違って母親みたいに出迎えてくれた上に、私のシュウをまるで自分の孫みたいにして抱きしめ可愛がり始めてたのだ。
恩師よ。
「シュウ君が人見知りしないことにジェラシー?」
戸口のレイの横にひょいっと姿を現わしたのは、私の師匠を単なるレイに変えてしまったディークであった。
彼の美貌に遜色が無いのは一体どういうことか。
日に焼けた小麦色の肌にはジリアンよりも薄い色合いというプラチナブロンドが輝き、影が出来そうなほどに彫りの深い目元にはジリアンと同じすみれ色の瞳が輝いて、人懐っこそうな笑みを作っている。
この笑顔を消したくないとジリアンが思うのも無理ないわね。
確かにディークの微笑みは神様みたいに素晴らしい。
「どうしたの?リディア?情けない兄だが、悩み事があるなら相談に乗るよ?」
「ありがとう。ディーク。ええと、わたくしはあなたの本当の妹であるジリアンと親友になったの。それで、ジリアンはあなたに会いたいって。」
ディークの笑みはカチッと固まった。
それから彼は自分の顔から輝きを全部消した。
「……会いたいが、どう、どう説明したらいいのか。」
うわ、ディークがドアを閉めてこようとした。
私はそのドアを閉められないように足で押さえた。
「ま、待って!それなら心配いらないわ!全部バレているから!じ、ジリアンはぜんぜん構わないって言っていた。ただディークに会いたいだけですって。ねえ、ここに彼女を呼んでいいかしら?ねえ、レイ?」
あ、レイの顔がカシュレーンに戻った。
顎をきゅっと引き締めて、これから戦場に行く覚悟を決めた様な顔付きとなったのである。
直球過ぎたから?
ジリアンがディークに会いたいと希望している事を告げた途端にレイは硬質化し、今まで煌いていた瞳の輝きを一瞬で消した。
そして瞳に暗い陰りを滲ませた彼は、ディークの肩にそっと自分の手を乗せた。
「私はいつだって君を愛しているし、君の幸せを望んでいる。君が家族の元に戻れるのならば、それに越したことは無い。」
ディークは自分の肩にあるレイの手をそっと掴み、その手を自分の口元に持って行った。
「あなたと共にいられるならば、僕は全てを捨てても良いと誓いました。だから、僕の家族に僕が再会することであなたが傷つくのならば、僕は一生家族に再会できなくとも構わないのです。僕があなたを手放すことは絶対にありません。」
「いや、駄目だ。私だって君の幸せが一番なんだ。君が家族と会えるならば、私はどんな誹りだって受けようと思う。」
私は自分が伯爵令嬢だからと、目の前で続くくどくどしい彼らのやり取りの邪魔をするべきでは無いと自分を宥めていたが、目の前で展開される二人の甘い関係や、何よりも、ジリアンがカシュレーンを傷つけるかもという前提で二人が話し合っている事に気が付くや脳みそのどこかがぷつーんとした。
「いい加減になさいませ!くどくどと!ジリアンがあなた方を詰る?そんな事をする人だと思ってらっしゃるの?ジリアンはお二方を認めると言っているのです!あなた方は、結婚を認めてもらえるカップルのようにして、ジリアンを持て成し受け入れればいいのです!良いですね!」
レイとディークは無表情な顔で抱き合い、その人形みたいになった顔で私に何度も頷いて見せた。
「その頷きは、ジリアンに会って下さるという事ですね。」
二人は壊れた人形のように首を動かした。
レイの腕の中のシュウまでも、同じようにして首を動かしている。
その可愛らしさで私はほっと気が緩み、また、ジリアンを呼び寄せられると馬止めに隠れるようにしてこちらを窺っているだろう親友達を見返した。
「まあ!何てこと!囲まれているわ。」




