ヴァレリー家の兄弟たち
コーヒーを片手に何の気なしに窓からドラローシュ通りに連なる道を眺め、俺はそこでコーヒーを吹き出した。
馬一頭立ての客室二人乗りの二輪軽量馬車が駆け抜けただけなのであるが、その一台の真後ろを猫みたいな黒ブチがある馬に乗ったダニエルが追いかけていたのである。
「どうした?」
「いや。見間違いならいいんだけどね。たった今、軽量馬車を追いかける馬に乗ったダニエルを見た気がするんだ。」
「あいつは馬なんか乗れたか?」
「俺が教えた。いい乗り手だよ。」
ユーリスも戸口にやって来て、すでに馬車の影も形もない、商店街が連なる小奇麗な通りを見下ろした。
俺達はこの貴族の子弟が多くいる瀟洒な区域に隠れ家を一つ作り、ジョージの情報の収集と出現した場合の監視をしているのだ。
ヴァレリー家の三男、ハワードを使って。
俺の伯爵位と金を使って休暇を無理矢理取らされた彼は物凄く不機嫌ではあるが、その不機嫌を俺やユーリスではなく次男のエヴァレットの看病とジョージへの監視に向けてくれるのでありがたい事だ。
ハワードがジョージを見つければ、俺達の許可なく勝手に動いて、ジョージをこの世のものでは無いものにしてくれるだろうと確信している。
そして俺は、その行為を責めるつもりも止める気持ちも一切ない。
殺された執事のフレデリックは、俺には第二の親父の様な存在だったのだ。
「で、ダニエルはどこで馬を調達したんだ?学園の近くに貸し馬屋があったか?」
「俺達の馬を学園の厩舎に入れる時に、俺が前にあの子に買ってやったジュリアも入れておいた。年に数回しか乗れないんじゃ、馬もダニエルも可哀想じゃないか。」
「おい、馬なんて初耳だぞ。いつ買ってやったんだ。」
「十五歳の誕生日。自分の馬を持つにはいい歳だろ?ダニエルは馬に優しいし、馬選びも上手だからさ、馬市場に一緒に行った日は楽しかったよ。」
「厩舎にいたあの雌馬は、間抜けな見た目に走れそうもない体つきじゃ無かったか。」
「我慢強くて心優しい子だよ。売主に鞭で相当叩かれていてね、ダニエルがそいつを殴っちゃったからさ、その日から彼女はダニエルの馬になったのさ。」
「お前が裏でそいつの口に金貨を捻じ込んでダニエルの暴力は黙らせたんだな。ああ、もう、だからあいつは向こう見ずな所が直らないんだ。全く。実際の養育責任者に何の相談も無くポンポンと学校を転校させたりと、お前は!俺のなけなしの蓄えを何だと思っているんだ!」
「学費ぐらい俺が出すって言っているじゃ無いの。俺の弟でもあるのだし。」
「煩い。ここは俺の譲れない長兄としての意地なんだよ。そこぐらい俺に配慮してな、学費という無駄使いを俺にさせるなよ。」
「そこは謝るけどね、ハハハ、ダニエルの快進撃には笑わせられるじゃないか。シーナの言う通りだよ。一日一回はダニエルが笑わせてくれるってさ。」
「――で、その笑える俺達の弟はどっち方向に向かった?」
俺はユーリスに分かるようにして、馬車の向かった先、ドラローシュ通りへの方角を指し示した。
ユーリスはちぃっと舌打ちをした。
「あのお嬢が恩師の道場に向かってしまったって奴か。」
「俺達も向かうか?」
ユーリスは軽く首を回すと、部屋の奥の弟に声を掛けた。
「エヴァレット、勝手に動くなよ。ベッドから出たら今度こそ殺すからな。」
ベッドには両手両足をベッドの支柱に縛られて仰向けのエヴァレットがおり、猿轡も嵌められている彼は涙目で何度も頷いた。
これは麻薬を抜くための荒療治ではない。
エヴァレットは淫蕩に染まってしまっているからか、体が回復すれば享楽を求めてふらふらと部屋を抜け出て行こうとするのだ。
さらに、ハワードはこの界隈で気になる女性が出来たようで、その彼女を見つけるとエヴァレットもジョージの監視も放って消えてしまう。
いや、俺達に「今後は十四時から十七時までは自由時間。」と今朝急に俺にメモを送って来たという事は、責任感は強いいい男と見るべきか。
エヴァレットを一人残して平気な俺達よりも。




