お兄様に会いに行こう
一週間も過ぎれば私だって学園の事が分かってくる。
誰が私にとって友好的で、友好的どころか敵意を持つ者は誰か、そして私なんかどうでもいいと考えているその他大勢ね。
「敵地に行く兵士みたいにして、学園勢力図をノートに書く意味があるの?」
「ダニエル?人のノートを勝手に覗いてはいけません事よ?」
「覗くどころか目の前で書いていれば聞きたくもなるでしょう?で、ミラとその取り巻きはわかるけどさ、その隣に書いてある鼻がブタのクマみたいな奴は誰?いや、聞かなくとも、わかるか。」
「ええ、わたくしの天敵、アレン・ギャシー講師様よ。」
そう、一週間も経てば人となりなどわかるものだ。
あの爵位に転ぶ男は男爵令嬢の機嫌を取ることに夢中となり、しかしながら、伯爵令嬢の私にも抜け目なく近づいてくる。
ギャスケル伯爵と被るような名前ながら、精神的には伯爵の足元にも及ばない男であろう。
何が、互いの誤解を解き合うのはどうだろうか、だ。
私とミラの間には誤解は無い。
誤解するほど知り合ってもいない。
今の彼女が私に敵対して来るのは、アレン・ギャシー、あなたのその唯一のとりえであるご尊顔に夢中になったミラが、あなたが私に話しかけてくる事を嫉妬しての行動でしかないのよ?
お分かりになって?
「で、一応は男前だと思う、アレンの顔がこんな熊ブタなのはなぜ?」
「師匠は言いました。剣士たるもの、斬らねばならない相手に一瞬でも怯んだら負けだ、と。あなたは親兄弟と似た顔の人がいたら戦えますか?そんな時には、こうして考え出した敵マークを相手の顔に貼り付けてしまえばいいのです。」
「ねえ、そんな斬る相手まで言わなくても良いじゃない?ほら、相手はしがない講師だよ。で、お、俺から見るに、あの講師はリディと仲良くなりたいように俺には思えるんだけど?」
誰とでも仲良くなれて、誰かが嫌な思いをするのが嫌だという、悪戯っ子の中に騎士道精神を持っているダニエルには、私の狭量ともいえるアレンへの敵意を見ること自体がストレスなのかもしれない。
だが、人間には合う合わないがあるものなのだ。
「好まない相手から向けられる好意は苦痛でしか無いという事よ!苦痛から逃れるには、防御、そう、最大の防御は攻撃だわ。攻撃あるのみなのよ!」
「うわあ、歩み寄り思考ぜんぜん無いな!そんな考えもお師匠様からなの!」
「いいえ。お師匠様はとっても平和主義でお優しい方よ。どうしてあんな場所で道場を開いているのかって言うと、税金が払えなくて徴兵される人達はあの近辺に沢山いるわ。彼らが生きて帰って来られるようにと、そんな崇高なお考えで道場を開いていらっしゃるのよ。」
「いや、あの界隈じゃあ、徴兵じゃなくて用心棒希望の奴らじゃないか?下手な貴族よりもあいつらは金を持っているし。」
「まああああ!ダニエル!あなたは師匠に会った事が無いからそんな侮辱を言えるのよ!いいわ、今度のお休み、師匠に会いに行きましょう。わたくしこそシュウちゃんを師匠に紹介したかったから良い機会だわ。」
「いや、俺は、その。」
「わ、私も行ってもよろしいかしら!」
ジリアンが私達の会話に入って来た。
胸に押し付けている両手の指は祈りみたいにして絡めている。
その姿だけで彼女は必死この上なく、彼女はこれほどにまで思慕する兄に会いたかったのだとわかった。
私は彼女にもちろんよと言っていた。
「ああ、良かった。ようやく兄に会えますのね。」
一瞬で喜色満面となったジリアンは軽くぴょこんと小さくはね、その所作が小さなヒヨコみたいでとても可愛らしかった。
薄地でできた黄色のチュニックがひらっと舞ったから、尚更にヒヨコに見えたのだろうか。
「お前ちっちゃいからヒヨコみたいだぞ、飛ぶな。それからお前達が道場に行くのは駄目。」
「どうしてです!」
ジリアンは絶対に承服できないという風に、ぷくっと頬を膨らませた。
ダニエルは彼女の可愛らしさで、ぐぬっと変な声を出したが、すぐに大きく息を吸い、なんと、私とジリアンに兄か父の様な言い方で諭し始めたではないか。
「いいか、お前達の楽しみに水を差すようだが、駄目だ。認められない。ドラローシュ通りは危険な場所なんだから、女の子が行くのは駄目なんだよ!」
「もう!ダニエルったら!平気よ。あの界隈で私に手を出そうなんて不埒者はいない。シュウを誘拐した人は私を知らないから私を襲おうとしたの。」
「あんな場所!流れ者ばっかりがうじゃうじゃだわ。昨日も今日も、君のことを知らない人が毎日増えているだろうよ!危険だって。そんな所を無防備なシュウやジリアンを連れててくてく歩いて行くなんて、世間知らずもいいとこだよ!」
「あなたこそ世間知らずね。」
「君よりも知っていると思うよ。」
「そうかしら?道場の入り口まで馬車でいけばいいだけの話じゃ無いの。」
「あ。」
そこでダニエルは言葉を完全に失った。
そして彼が何かを言う代わりに、教室のドアを大仰に開けた男の子が、私にとっては僥倖な台詞を叫んだのである。
「次の授業は自習だってさ。ギャシー先生に急用ができたらしい。」
「まあ!では今から私達は自由時間ね。ギャシーの授業が最後の授業だもの。これからカシュレーン道場に行きましょうか。善は急げって言うでしょう?」
ジリアンは周囲に花が咲いたように、ぱあっと表情をさらに明るくした。
反対にダニエルは気難しい顔をした。
「自習でもさ。さぼらずに課題をやろうよ?」
「あなたはね。私はさぼる。頭が痛いの。」
「わ、私もさぼります!わあ!さぼるなんて、初めて!ええと、私は腹痛です!」
ダニエルは私達を数秒眇め見た後、わかったと、観念した声を出した。
「じゃあ、俺がシュウを連れてくるよ。俺も絶対に行くからな。」
「では、私は馬車の手配をしましょう。」




