76話 大魔法使いレーザ
「ウォーター・バレット・クノ!」
あたいの詠唱に共鳴して、九つの水の弾丸がお師匠様へと放たれた。
お師匠様は詠唱を何もせずに杖を振り、魔力を動かしただけで防壁を展開する。弾かれた水はぱしゃりと地面を濡らした。
まだまだここから!
「ウォーター・アース・ミクス!」
お師匠様の近くに撒かれた水に魔力を送る。水と地面の混合魔法で厄介なことをするつもり……だったんだけど。
魔法は一向に発動する気配がない。慌てて辺りを見渡せば、土属性を司る魔力がここにはいなかった。
「残念だったな」
お師匠様がそう言って笑う。あたいはうっと思考が止まり、体を固くする。
「こちらからいくぞ」
そう言ってお師匠様が杖を持ち上げる。あたいも慌てて唱えた。
「マジック・オーミ!」
「コメット・クノ」
全身を強化して急いで回避行動をとる。あたいの後ろで強烈な魔力の塊たちが次々と地面を抉る爆音に、あたいは恐怖を覚えた。
いきなり質量魔法だなんて! お師匠様も手加減がないわね!
あたいは考える。このだだっ広い空間でお師匠様と対等に戦うのは不可能だ。圧倒的な火力の差で押しつぶされちゃう。
そして、あたいとお師匠様の差は何か。
ーー身体能力と、若さ!
「◼️◼️●〇◽︎!」
地面が四角く切り取られ、黒い正方形の石柱たちが天井からあたいの背ぐらいの高さまでさまざまに伸びた。拡張空間の床はどこまでも広がっているらしい。
遮蔽物と足場が追加され、あたいも動きやすくなった。
お師匠様のペースになんてさせないんだから!
強化された身体であたいは柱の側面に足をかけ、先に魔法を用意しておく。そして飛び出したのと同時にお師匠様へ向けて魔法を放つ。
「ファイア!」
「ウォーター」
しかしお師匠様が放った魔法は未来を見たかように正確にあたいの魔法を打ち消した。炎が水を包み込むようにして相殺される。
「まだまだ!」
逃げ回るウサギのように跳び回り、獲物に狙いを定め舌を伸ばす蛙のように正確に魔法を放つ。
けれど、そのどれもがことごとく相殺されてお師匠様の元には届かない。いったいどんな仕掛けがあるのかしら。いくら実力者といえども、あまりにも魔法の扱いが繊細すぎる。いや、そもそも仕掛けなんか無くって、これが大賢者本来の実力……?
「……そろそろ進めようか」
お師匠様の周囲に大きな魔力が集まっていく。あたいはぞっとして、急いで柱の影に隠れる。
「〇●■□」
瞬間、轟音が室内を満たした。
音はどこにも逃げることなくあたいを四方八方から襲い、突然音が聞こえなくなった。あたいはその理由を理解する。
だから今しかチャンスは無いんだ!
水の魔力を三つ、風の魔力ひとつを爆風が吹き荒れる中で呼び寄せ唱える。
「チェンジ!」
魔力は魔法陣へと姿を変えてあたいの周りに漂う。爆風が収まった時にあたいは瓦礫の影から飛び出てお師匠様へと魔法を放つ。
魔法陣から発せられた魔法たちは、確実にお師匠様のすぐ近くへ迫ったがあっけなく消滅させられてしまった。
もう、どんな結界が張られてるわけ?!
あたいは歯噛みする。何しろ相手の手の内がわからないのだから焦れったくもなる。それに、柱がいくつか破壊されたせいで足場がガタガタ!
瓦礫に気をつけて攻撃をしながら、あたいは周囲を見渡す。土属性。あれさえあればどうにかなるのだ。
どんな結界でも関係ない。全属性での破封魔法が使えるのに……。
あたいの魔法陣から放たれた水属性魔法がお師匠様の決壊にばしゃりとぶつかった。
「……あれ?」
あたいは目を疑う。お師匠様のバリアの一部が濡れて染みになった。
そこではっとする。土属性は他属性よりもはるかに防御力が高い。そして土属性の無い空間。
まさか!
「行って!」
あたいが魔力にそう指示を出すと、お師匠様のバリアへと飛んでいく。しかしお師匠様はそうさせてはくれなかった。
「止めろ」
お師匠様の周りに土属性の魔力が突然発生して、あたいの水の魔力を打ち消した。
あたいは自分の考えがあっていたことにニヤリとした。
しかしこちらの水の魔力も数に限りがある。打ち消された魔力は自然をめぐって再び魔力となるが、それはすぐにではない。
けれど、土の魔力を打ち消せるのは水だけ……。
いや、そうじゃない。打ち消す必要なんてないんだ。
「もう一回!」
あたいはもう一度魔力を送る。するとさっきと同じで土の魔力が発生した。
そこで魔力の動きを止める。
「おいで!」
そして土の魔力へとそう声をかけた。すると、魔力はあっさりとお師匠様を裏切ってあたいの元へとやってきた。
「役得だな。賢者の」
お師匠様が恨めしそうにそう言った。
そして、あたいは全部の属性を集めて唱える。
「アンチ・マジック!」
魔力が集まって白い光となり、その場で爆発して四散した。これは生物には効果がないけれど、魔力たちの間の繋がりを断ち切ることが出来る光。
お師匠様の周りのバリアは茶色の魔力となって宙に解き放たれる。
お師匠様はそれを見てため息を吐いてからあたいを見た。その目が驚きに染まる。
「いつの間に……」
あたいの周りには、無数の水の魔力が漂っていた。この部屋全ての魔力だ。
「止めてみてください、お師匠様!」
あたいは杖をお師匠様へと向けた。
「ハイドロ・カッター!」
水の激流が刃となってお師匠様へと襲いかかる。
お師匠様はそれをその場で防ぐ。属性を関係なしに防壁を張って、あたいが壊して、張って、壊して。
あたいは無我夢中で魔法を生み出し続けた。けれどお師匠様のバリアは枯れない。
だからもう一押し! 賢者の特権を!
「む……」
お師匠様の周りから魔力がどんどんと離れていく。次第にバリアを張る速度が遅くなっていった。
「……そうか、お前はーー」
そして、あたいの魔法がお師匠様の右腕を断ち、腹を穿った。
あたいは、その瞬間になんだか取り返しのつかないことをした気持ちになった。空中で魔法が解けて、ばしゃりと地面に落ちる。
「お師匠様!」
あたいはお師匠様の元に駆け寄る。
お師匠様の腕は肩から切断されていて、腹の傷は臓物まで届いているようだった。どちらも血が止まらない。
「お師匠様……」
あたいはそう呼ぶことしかできなかった。そんなあたいを、お師匠様が見つめた。
「……なぜ、泣くのだ」
あたいは首を横に振る。だって悲しいもの。お師匠様は父親同然だから。
ここで泣かなくていつ泣けるのか。
「……お前は、私の知らない旅の中で、すでに、賢者となっていたのだな」
あたいは首をまた横に振ろうとして、けれど振り払って頷いた。
そう、あたいはすでに賢者となっていた。
「人間を助け、悪から守る、そんな賢者になっていたのだな……」
涙が止まらなかった。
「……ねぇ」
あたいは尋ねる。
「お師匠様、今の、本気じゃなかった、よね?」
お師匠様はなぜか笑う。
「ははは……そうさ。この空間を維持するのは、大変なんだ」
そう言った途端に、バキリと音が鳴って部屋の隅が崩れ始めた。
「だが、信じて欲しい。私は手を抜いていない」
「うん、それは知ってる。大人気ないよ。あんなに高速でバリア張って」
「ははは。すまないな」
あたいはおかしくなってしまって、泣きながらも笑った。お師匠様も笑った。
段々と空間が崩れていく。あと残っているのはお師匠様とあたいの周りだけで、それ以外は白い空間へと変化している。
その時背後で声がした。
「ヒヨ!」
それは紛れもないジャンの声だ。
ジャンがあたいの隣まで駆けてくる。
「少年……そうか。私の言葉を受け取ってくれたのか」
そう言うお師匠様の視線はジャンの持つ魔剣に向けられていた。
「少年、感謝する。弟子を守ってくれて、ありがとう」
バキリとあたいたちのいる地面にもヒビが入った。
「ヒヨ。お前はもう立派な賢者だ。……私は、お前のような弟子を持てて幸せだよ」
「あたいも、お師匠様が師匠で幸せでした」
「さあ、もう行くといい」
あたいは立ち上がる。そしてジャンに抱えられて部屋を出た。
あたいが振り返った時、部屋の入口は崩れてきた瓦礫で塞がってしまった。
お師匠様を呼びたい気持ちになったけど、それはいけない。これがあたいの修行なのだから。
白く作り変えられていく城は儚く崩れていく。
階層を降りた広間で、右の方に一人の人間が横たわっているのが見えた。あたいは腕の中からジャンの顔を伺う。
ジャンの目は涙で潤んでいた。
城を出る。
白くなった城は最後にその純白の容貌をあたいたちに示して、音もなくそこからいなくなったのだった。