74話 アルミルティの傭兵
アルミルティの街は、その原型を失ってなおそこに存在していた。
魔法……それも呪系の刻印が刻まれた真っ黒の外壁、ところどころに見える赤黒い血の痕、転がる骸骨。
だだっ広い街は森閑としていて、魔物が支配するダンジョンのように思えてくる。
そこから大きく口を広げている入口の前に立って、あたいたちは顔を見合わせた。準備は万端よ。
雰囲気に当てられて、静かに街を進む。二度破壊された街だからだろうか。支配されてなお佇まいに貫禄がある。
幅のある道の真ん中を進む。そしてこういう道の先に何があるのかを、あたいは経験的にわかっていた。
視界が開ける。整えられた足場と水の出ない噴水と、その奥。リューレル教会よりも小さくて、ルトンさんの家のようにボロボロな黒い城がそびえていた。
「……近づくまで気が付かなかった」
「魔法で隠してあるわ。なんのためだろう」
まあ、それは実際に会って聞いてみればいいのだ。
今にも崩れそうな扉の前に立つ。そして気がついた。ここにも魔法が張ってある。
「それ罠だから、触らないでね」
「ああ、頼む」
あたいは扉の前に立って、魔力を集めて魔法のつなぎ目を絶った。すると、砂の山が崩れるように扉が崩れていく。
その奥には、まだ暗く黒い空間が広がっている。
あたいとジャンは慎重にこれまた真っ黒なカーペットの上を進む。まったく、お師匠様ってそんなに黒色が好きだったのかしらね!
全てが黒い空間。松明の炎すら色味は黒くて、なのに明るさを持ってるからもうこんがらがっちゃいそう。
黒い甲冑の隣を通り過ぎる。そのまま階段を登っていくと、鉄の大きな扉があった。
「開けるよ」
「お願い」
緊張した声で、ジャンは扉を押し開けた。
あたいはその時、確信を得ていた。この先には、きっといる。だからそれをわかってジャンは扉を開けたのだ。
これまでのどこよりも広い部屋だ。なんの装飾も魔法の罠も無い。その中心にぽつんと一人。
「……やっときたんじゃの。わしゃ老けて死ぬかと思っとったわい。はっはっはっは!」
年老いたメロウジスタの英雄は、豪快に笑う。
ジャンはルトンさんに話しかけた。
「久しぶり、じっちゃん」
「おう、久しぶりじゃな。どうじゃ、旅は楽しかったかの?」
「うん、楽しかったよ。とっちゃんとも会えたし」
「ほう! そりゃわしも会いに行きたかったものじゃのう」
平静を装って喋るジャンだが、その両手には剣を持っている。それも力強く握った状態で。
「このまま通してくれる?」
ジャンが尋ねた。
「いいや、通すのはヒヨちゃんだけじゃ」
ルトンさんがそう答える。
「ならよかった」
そう微笑んで、ジャンはあたいの背中を押した。あたいは少しだけ反発する。
「どうしたんだよ、行かないのか?」
ふるふると首を振って、あたいはジャンの方向を向いて言った。
「温泉、行くんだからね」
それだけ言い残して、あたいは走ってルトンさんの隣を駆け抜けた。
背後で、愉快そうなルトンさんの笑い声がしっかりと聞こえてきた。
階段を駆け上がりながら思う。
ーー絶対もっといい言い方あったよね?!?! 恥ずかしい!
ーー ーー ーー ーー ーー
……ああ言われたら、頑張るしかねぇよなぁ。
俺そう思うと共に、両手にあらん限りの力を込めていることに気がついて、拳の力を緩めた。
笑っていたじっちゃんは、笑顔のまま俺に言う。
「惚れ込んだ女には尽くす。わしたちと同じじゃな。同じ血が流れとるわい」
かっと頬が熱くなる。まあ、わかってはいたけど、やっぱそういう気持ちだよな、これ……。てか、温泉かぁ。
なんて妄想を膨らませるのをどうにか打ち切って、俺も声を上げて笑った。じっちゃんの声は相変わらず大きくて、自分の声が聞こえてこない。
「俺、じっちゃんの孫でよかったよ!」
笑い声の向こうに届くように、そう大声で言う。じっちゃんが笑うのをやめて、俺をしっかりと見た。
「じっちゃんの孫だから、ヒヨと旅ができた。じっちゃんの孫だから、ヒヨを守れた。……もちろんとっちゃんにも感謝してるけど、先に!」
俺は剣を構える。
「爺孝行だぜ!」
俺の視線の先で、じっちゃんはニヤリと笑って立ち上がった。
「仕方がないのう。孫の思いやりは受け取らねば」
そして、右腕を外した。
俺はぎょっとして目を見開く。
「なんじゃ。傭兵に傷は付き物じゃからの。それを隠して戦うだなんてとんでもない」
左腕一本で身の丈以上の剣を持ち上げて、じっちゃんは昔のように構えて見せた。
俺は心の内が燃え上がってくるのを感じていた。強者との戦い。それが家族だとしても、その興奮には抗えない。
なぜなら、俺はじっちゃんの孫で、じっちゃんは俺のじいちゃんだからだ。
「かかってきなさい。わしを超えたことを証明してみろおおおおお!」
笑うメロウジスタの英雄に飛びかかる俺は、笑顔だったかもしれない。