72話 魔法使いの親友
「久しぶりですね! お元気でしたか?」
「ああ、うん。そりゃ元気だったさ! 友達のお手伝いもできてるしね! ……ところで、さ」
あたいが駆け寄ろうとすると、キタラさんは表情に少し怯えを孕ませて、あたいに杖を向けた。
その意味がわからなくて、あたいは怪訝な顔をして立ち止まる。そのあたいに言う。
「そんなに悠長にしていていいのか? 逃げなくて、いいのか?」
……なんの話をしているのだろう。
一瞬そう思って、しかし思い至る。
「なんで追われていたことを知っているの?」
キタラさんは、並んで歩いていた時には見せたこともないような絶望ともとれる表情になった。唇を噛み、眉間に皺を寄せ、口角が不自然に釣り上がる歪んだ顔。
「いや、そりゃ耳に入るだろ?! 魔法使いが追われてるなんて話、聞かないわけが無い」
ジャンが一歩前に出る。
「あの二人なら死んだぜ。女は悪魔に食われ、男は悪魔に呑まれた」
「死んだ?! 悪魔……ああ、そういうことか」
驚愕したキタラさんが顔の半分を空いた左手で隠して空を仰いだ。空には鳥一匹飛んでいない。
あたいはそっと自分の杖に手をかけた。深い意味は無い。無いんだけど……。
「ねえ、知り合いだったの?」
あたいがそう尋ねると、キタラさんは間を空けずに言う。
「まあ、な。……そうか、あいつらは失敗したんだな」
失敗? 失敗ってどういうことだろう。あたいは疑り深くなって、じっとキタラさんを見つめた。キタラさんが何か言葉を発するのを待つ。
隣でジャンの剣を構える音がして、キタラさんはようやく話し始めた。
「あの二人にお前たちを倒すように指示したんだ」
ぎょっとしてあたいは目を見開く。
「どうして? どうしてキタラさんがそんなこと……」
「レーザに弟子を殺す苦しみを味わって欲しくなかったからだよ。レーザは親友だ。あいつが、師の苦しみに悶える姿は見てられなかった。なのに、弟子まで手にかけるだなんて……。そんなことをしたら、あいつは……」
なるほど、あの時言っていた友達というのはお師匠様のことだったのだ。あたいの名前を聞いた時点でわかったのだろう。
キタラさんの持つ杖の先は震え、目は怯えている。
果たしてそこまでする必要があったんだろうか。あの二人をけしかけて、あたいたち以外にも被害を出すような手を使う必要はあったんだろうか。
あたいがじっとキタラさんの瞳を見つめると、バツが悪くなったのか目を逸らした。
「あの時、あたいたちと旅をしていた時、何を思ってたの?」
「……二人の実力を測っていた。そしたら思いのほか強かったから、若干焦っていたね。だからこそ、あの二人に協力して貰ったのに」
そう語りながら、目線はジャンに向けられている。そうね。ジャンは強いもの。誰にも悪魔にも負けないぐらい。
あたいはキタラさんに言う。
「あたいたちを、止めるの?」
その質問に、キタラさんは唇をぐっと噛んだ。とても悔しそうで悲しそうな表情のまま、ただ立っているだけ。
それでも耐えきれなくなったのか、キタラさんは膝から地面へと崩れ落ちた。
「……不可能に、決まってるじゃないか」
大粒の涙をとめどなく流して、杖を落とす。
「あの二人を止めた君たちに、たかが一介の賢者である俺が適うわけがない。平凡で普通でなんの力もない俺が止められるわけがないじゃないか……」
嗚咽が木の葉のさざめきの間を縫って鼓膜を震わせる。もう、あたいたちは武器に触れていなかった。
キタラさんは賢者だ。あたいよりも大人で、あたいよりも賢い。もし、あたいがキタラさんの立場だったら、きっと力の差なんて考えずに突っ込んでいただろう。
でも、キタラさんはそうしなかった。
あたいはキタラさんの隣にしゃがみこむ。
「大丈夫。お師匠様は、弱くないわ」
あたいは見てきた。日常の中のお師匠様、お師匠様としてのお師匠様、弟子だった頃のお師匠様、師匠を失った時のお師匠様。たっくさん見てきた。
だからこそ思うのだ。大賢者レーザは、強い人だって。強くて賢くて優しい人なんだって。
「きっと、あたいが来たことを喜んでくれると思う。だってあたいは、お師匠様の弟子なんだから」
キタラさんがはっと顔をあげた。そしてあたいを見て、震える声を発する。
「そうかぁ、そうだよな……。レーザは、師匠なんだもんな。ああ、そうか、俺は、酷いことを……」
キタラさんは腕に顔を埋めて泣いた。あたいの隣にジャンがやって来る。
「さあ、行こうぜ」
「……このまま置いていっても、悪い気がするけど」
「男は一人で立ち直れるさ」
納得してあたいは立ち上がった。キタラさんにも、きっと懺悔することがあるものね。そっとしておこう。
背後からずっと聞こえるかと思えた声は、いつの間にか音を殺すようになる。振り返った時、キタラさんの背中が森に消えて行くのが見えた。