70話 出発の時
澄み渡った晴天の下で、片腕を粉砕されたゴーレムが街の外に静かに佇むのを、教会の三階から眺めながらあたいはほぅと息を吐いた。
あれから七日。街は多少の活気を取り戻し、商人の大きな声が所々からあがっていた。
他の街の信者からの援助などもあって、復興はそこまで時間がかからなそうだ。
あたいは一人で螺旋階段を降りて、教会の中を巡った。見覚えのあるものもあれば、新しくなった展示品があったり、あとは……。
「あ……」
通路の行き止まり。一面に描かれた壁画の前に、ジャンは立っていた。あたいの声に気がついて、ジャンがこちらを振り向く。
「おう」
「やっぱりここにいたんだ」
「なんとなく、な」
あたいはジャンの隣に並んで、その絵を見渡した。
『賢者と魔法使い』という直接的な題名の絵。
灰色と緑の丘が二分されて、灰色の方には黒いローブを纏った賢者が一人、緑の方には白いローブを纏った賢者と、武装したたくさんの兵士たちがいる。
「やっぱりそうだったわね」
「何がだ?」
あたいは黒い賢者を指さす。
「あれが賢者で」
白い魔法使いへと指先を動かした。
「あっちが魔法使いだったってこと」
「ああ、確かにな」
ジャンも納得したらしく、小さく息を吐き出した。
多少の差異はあれども、間違いなくこの絵画は事実を写したものであったわけだ。これを描いた人、すごい人なのかなぁ。
「今なら黒い方に、ジャンとでっかいゴーレムがかけるわね」
「そうだな。ああ、あとエレとこの街の人たちも描いていいかもしれない」
「いいねそれ!」
はっとして口を押さえる。ちょっと大きな声出しちゃった。キョロキョロと辺りを見渡した。
でも、それもいいなぁ。
「まさに歴史に残る大勝負だったわね!」
「本当だな。生きてることが奇跡だぜ?」
「ね! ジャンがいなかったらすぐ死んじゃってたわ!」
「さすがだろ?」
「うん!」
はっきりとそう言うと、ジャンは少し嬉しそうにそっぽを向いた。照れてるのが丸わかり。
「じゃ、そろそろ行こっか」
「おう」
あたいは最後にぐるりと壁画を見渡した。
「あれ?」
と、不思議なことに気がつく。
「ねぇ、ジャン」
「ん? ……おいおい」
壁画の灰色の丘の方に、剣を持った男と、司教のような身なりをした女性と、たくさんの人々が描かれていた。
そして題名も変わっている。
『未熟な賢者と英雄と神官』
あまりにも直接的で、思わず吹き出してしまった。
この絵、すごい賢者が描いたらしいわ。
ーー ーー ーー ーー ーー
「やっと時間が取れました」
あたいたちを部屋に呼んだエレちゃんは、そう言って疲れた様子でソファに沈みこんだ。
あたいはエレちゃんの隣に座る。
「お疲れ様! もう立派な大司教様ね」
「まだまだですよ。私の力だけではどうにもならないことが多すぎて」
「そういうもんだよ。結局一人でできることは少ねぇんだ」
「と、一人で最上級悪魔と張り合ってたジャンが何か言ってるわ」
カーペットの上でジャンがむっとすると、あたいとエレちゃんは揃って笑い声を上げた。
特段前触れもなくあたいはエレちゃんに横から抱きつく。引き剥がそうともしないで、エレちゃんはあたいの頭を優しく撫でてくれる。心地が良い。
「お二人はゆっくり休めましたか?」
「もちろん!」
「七日もあればな」
ここ最近にはなかった静かな日々を送れたわ。ここにはあたいたちを縛り付ける魅惑魔法でもあるのかしら?
そんなことはともかく、休めたのは事実だ。色んな人を助けたりもしたけど、そんなの大した疲れにもならない。ジャンは大人の男の人とご飯ばっか食べてたわ。
そう思ったら、ジャンのお腹に目がいくようになってしまった。
「……ジャン、太った?」
「なっ、……いや、まあ、太った、かな」
気まずそうに歯切れ悪く言ってから、こちらに背を向けてお腹を確認している。
それがおかしくって、また笑っちゃった。
「ーーそれで、お二人の旅でどんなことがあったのですか?」
そう切り出してきたエレちゃんに、あたいたちは交互にいろいろなことを話した。この教会を出たあとのこと、賢者の聖地についてからの修行、そして、あたいたちがこっちへ戻ってきている理由。
最後にそれを話すと、エレちゃんは目を見開いた。
「ヒヨは師を殺しに行くのですか?」
「うん」
結構ズバッと言うなぁ、なんてあたいは苦笑いをする。まあ、あやふやな単語で気持ちを誤魔化してたのはあたいだし。
エレちゃんは苦しそうに床を見つめた。そして顔をあげる。
「覚悟はできているのですね?」
「うん。もう何回も聞かれたし。その分、覚悟はできてる」
あたいの気持ちは揺るがない。そして何より、お師匠様を他の誰かになんて殺されたくない。
あたいの成長を見せつけるんだ。
「ジャンも、おじいさんを?」
「んー、俺はまだ、実感がないな」
ジャンはそう呟いてカーペットの毛をいじる。
「じっちゃんは大好きだ。けど、本当に俺の前に立ちはだかった時に、俺は本気で戦えるかわからない。……悪いな、ヒヨ。俺はまだ覚悟ができてないみたいだ」
「謝ることじゃないよ。だって、ジャンはルトンさんを倒す理由がないもの。あたいだったら、覚悟なんてできないわ」
「そうか……」
考え込むようにカーペットに視線を落として、何も言わずに手を動かす。
あたいはパチンと手を鳴らした。
「ねえねえ! 明るいお話しようよ! それと、美味しいもの食べよ! チョコバナナとか!」
「あー、そういやそんなのもあったな」
「忘れてたの?」
「お恥ずかしながら」
あたいがそう話を切り替えると、ようやく部屋の中に明るい雰囲気が膨らんでいく。
食べたいね、そうだね、あれとかもいいね、なんて話していると、部屋の扉が開いた。
「こんにちは。ヒヨ様、ジャン様」
入ってきたのは、ヴェールとグローブ。あともう一人が、ヴェールの腕の中に。
「ひょっとして……」
「ええ。私たちの子です」
「去年の秋に生まれたんだ。まだ、名前もない」
あたいたちは三人とも立ち上がって、我が物顔でヴェールの腕の中で寝息を立てる赤ちゃんを囲んだ。
腕も首も足もぷにぷにでむちむちで、可愛らしくて堪らないわ。あたいもジャンもエレちゃんも、みんなその体をつついていた。
賢者と英雄と大司教の三人につつかれても起きないんだから、きっとこの子は将来大物になるわね。
「……ところで、ヒヨ様。いや、ヒヨ様、ジャン様、大司教様にお願いがあるんだ」
「何?」
グローブがヴェールと顔を見合わせてこくりと頷く。
「よければ、この子の名前を決めて欲しい」
「この街を救った英雄様に名付けて貰えたら、これ以上の喜びはございません」
今度はあたいたちが顔を見合せた。名前、か。
「どうする?」
「俺はいいけど、名前かぁ……」
「私は構いませんよ。日常茶飯事ですので」
「じゃ、決めよっか。外で待っててもらう?」
「そうしましょう」
グローブとヴェールが出ていって、あたいたちは輪になって話し合う。シンプルなのがいいかな。好きな言葉からとろう。いやでもやっぱり……。
と、なんやかんやあって太陽は大きく傾いた。これはあと一日はここにいることになりそう。
「入ってきていいよ!」
呼びかけると、三人が入ってきた。そして、あたいが名前を伝える。
「ヒレン。ヒレンっていう名前はどう? あたいとエレちゃんとジャンの名前からとったシンプルなものだけど、賢者の使う言葉で『未来』って意味があるの」
「ああ、とてもいい名前だ」
「ええ、本当に……」
二人は嬉しそうにあたいたちの考えた名前を口の中で繰り返している。それが嬉しくって、あたいも笑みがこぼれた。
三人とも合図もなしに赤ちゃんを囲んで、その額に人差し指が三本。
「ヒレン。あなたの名前はヒレンよ。あなたの人生に賢者と神と英雄の加護がありますように」
あたいたちは目を瞑って、祈りを込める。
目を開けた時、ヒレンは目をつぶったままだったけど、笑顔を浮かべていた。
ーー ーー ーー ーー ーー
翌日。
「それじゃ、そろそろ行くわ」
長い滞在に別れを告げるため、あたいたちはエレちゃんにそう切り出した。
「はい。わかりました。……やっぱり、二人がいるとこの部屋も格別に楽しくなりますね」
「本当ね! あたいも楽しかったわ!」
ぎゅーっとエレちゃんに抱きつく。黒い髪に顔を埋めて、しっかりとエレちゃん成分を吸収しておくのだ!
「俺も楽しかったよ。ありがとうな」
「ええ。ジャンも、負けないように」
「当たり前だ」
ジャンが不適な笑顔でエレちゃんと握手を交わす。
「ヒヨも、負けないで、また会いましょう?」
「うん! 当たり前だよ! ぜーーーっっったいに、またエレちゃんに会いに来るから!」
「楽しみです」
最後にまたハグを交わして、あたいたちは荷物を持って扉の前へ。
「またね! エレちゃん!」
「またな!」
「ええ! ヒヨ!」
エレちゃんが大きな声で言う。
「ずっと友達だよ!」
エレちゃんの腕輪がきらりと光って、優しい風があたいたちを包んだ。そんなに使いこなしてたんだ。
「うん!」
手を振りながら部屋を出る。
重たそうな大扉は静かに穏やかに閉まった。
「さあ! 行くわよジャン!」
「おう! いやぁ、追われない旅ってのは楽だな!」
「ね!」
軽やかな足取りでトンネルへの道を進む。ほんと、このまま空を飛べそう!
後ろからは何も来ないし、ここからアルミルティの街までの時間は覚えてる。日数にしておよそ七十日。飛んだらもっと早いし、ジャンが走ればさらに早く着くだろう。
「ね、ゆっくり歩いていこうよ」
でも、あたいはジャンにそう提案した。
「ああ、そうしよう」
ジャンもそう頷いた。
あたいたちはトンネルに差し掛かった。少し前までは兵隊しか通っていなかったらしいここも、今や前のようにたくさんの行商人が行き来している。
トンネルの横幅ギリギリの大きさの馬車を壁に張り付くように避けて、またクスリと笑いあった。
薄暗くて狭いこのトンネルも、どこかあたいたちを歓迎しているような気がする。
「暗くて狭いとこは苦手?」
あたいはからかうようにジャンに聞く。
「いいや、全然」
上擦った声で言うジャンに、あたいは笑い声を隠せなかった。