68話 可哀想な賢者
あたいは手始めに大きな壁をあたいとベロを囲むようにして生み出した。兵士からの妨害を防ぐためだ。
ベロはその壁へは何もしなかった。あたいは皮肉交じりに言う。
「壊してくるかと思ったのに」
「誤射なんてされたくもないわ。それに、賢者の決闘に横槍を入れられても困るのよ」
背後では金属のぶつかる音が鳴り始めた。ジャンが戦いを始めたようだ。
それを聞きながらも、あたいは冷静に頭を働かせる。絶対に自分からは動いてあげない。まずは様子見をーー
「ファイア・ボール・ディエ」
ベロが先に動いた。あたいは杖を向ける。
「ウォーター・ウォール!」
十の火球はあたいの水の壁に当たって水を蒸発させる。余った水へと魔力をめぐらせた。
「カッター!」
襲い来る水の刃をベロは華麗な身のこなしで避けた。あるだけの水を打ち切ってから、あたいは杖を構える。
こんなことだってできるんだから!
「チェンジ!」
あたいの周りを浮かぶ中ぐらいの魔力が輝き、各々の色の魔法陣四つへと姿を変えた。
ベロは少し驚いた様子を見せつつも、冷静に無属性の魔力の弾丸でひとつの魔法陣を破壊した。
さすがね。けど、三つの魔法陣を甘く見てもらっちゃ困るわ! いっせいに三つの魔法陣へと魔力を流す。
「やるわね」
そうベロがこぼして、火と水と木の攻撃を躱しに躱す。ベロはどうやら体術にすぐているらしい。
ならばとあたいは地面に杖を向けた。
「ウォーター・ガイア・ミクシー!」
混合魔法が地面を内側から爆発させた。ほとばしる泥水を自分でも避けて、それから足場を魔法で治す。
水浸しのどろどろになった足場にベロは顔をしかめた。
「小賢しい!」
一際大きな赤い魔法陣がベロの背中に現れる。あたいは何をするかを察して魔法で空へ飛んだ。
「▲▲▲!!!」
詠唱とほぼ同時に、濡れていた地面がベロを中心にして燃え盛る。古代魔法の火力は簡単に泥をも焼いて見せた。
陶器のようにパキパキになった地面に着地する。あたいは煽るように口を開く。
「古代魔法は対人では禁術じゃ無かったの?」
「そうだったかね。今更そんなことを言われても、あたしには関係の無いことさ!」
ベロの杖に白の魔法陣がついた。あれは確か、魔法の威力を純粋に増幅させるという魔法のはず。
あたいはいよいよベロが自分を殺す気なのだということを理解する。
なんでだろう。
そう考える合間にも戦いは続く。一層強力になった攻撃を捌きながら、あたいは耐えかねて尋ねた。
「ねえ、なんであたいを殺そうとするの?」
ベロは「はっ!」と鼻で笑ってから言う。
「それがあたしの仕事で、仕事をこなさなきゃ安心して生きてけないからだよ!」
ベロからの攻撃を無詠唱の魔力の壁で弾く。ベロはわかっていたかのように頬を引き攣らせた。
「でも、賢者はみんな頑張って生きてる。そこまでして王国につく理由がわからないよ」
「ああ、お前にはわからないだろうな!」
ベロが叫ぶようにして言った。
「師匠を人間に殺されたあたしの気持ちなんて!」
あたいはピタリと魔力を操るのをやめた。ベロも杖を下ろして泣きそうな顔で続ける。
「あたしが賢者になった次の日だった! あたしの師匠は殺されたの! なんの罪もない善人だった! なのに……!」
あたいは表情を変えずに話を聞いていた。どこかで聞いたことのある話だ。いや、どこにでもある話だ。
再び魔力を動かし、怒りのままに杖を振りながらベロは続ける。
「あたしは人間を内側から潰してやるんだ。そのためにわざわざ人間に手を貸している!」
「お兄さんを賢者に殺されたテラロアと一緒に?」
「そうだ! なんの罪もない兄を殺されたテラロアと共にだ! あたしと同じ怒りを感じたあいつを使って、あたしはあたしの悲願を達成するんだ!」
何の罪もない、か。
向かって来る氷柱を炎で焼き尽くして、あたいは間を置いて告げる。
「ーー賢者を殺して回ったメガルハの弟を使って何をしようとしているの?」
その時、ベロの表情が凍りついた。
長い沈黙があたいたちの間を流れる。
あたいは杖を握る手を緩める。するとベロがようやく口を開く。
「……今、なんて言った?」
「テラロアのお兄さんは賢者を魔法使いだと勘違いした可哀想な魔法使い狩り。そのメガルハに殺されかけたのがあたいのお師匠様で、そのメガルハを殺したのが、あたいのお師匠様よ」
だらんと力なく両腕を垂らして、ベロは必死にあたいの言葉を噛み砕こうとしているようだ。けれど、受け入れられないのだろうか。頭をゆるゆると横に振った。
「じゃあ、待て。あたしは、話を誤解して、とんでもないやつと手を組んでいるのか?」
はぁ、とあたいはため息を吐く。
「今更気づいたの?」
ベロは口を開かなかった。あたいは再びため息を吐く。
可哀想な人。賢者なのに、賢者たり得ない哀れな魔法の使い手。直視することさえ躊躇われる、怒りで視野が狭まった賢き者の末路。
あたいはポツポツと話し始める。
「あたいはね、お師匠様が死んだと思ってずっと旅をしてた。お父さんとお母さんが人間に殺されていたっていうのを知ったのも記憶に新しい。でもね? だからって、人間を憎んじゃいけないの。だって、あたいたちは賢者なんだよ? ……あたいはまだ賢者じゃないけどさ、それでも、賢者っていうのは普通じゃないの」
魔法を使えるし、いろんな薬を作れるし、死んじゃいそうな人も助けられるし、ゴーレムだって動かせる。
「普通じゃない力を困ってる誰かに使ってあげる。それが、賢者の役割じゃないの?」
ベロは俯いたまま何も言わなかった。空はどんよりと曇り、生暖かい風が吹いている。ジャンはまだ戦っている。
じっとベロを見つめる。ベロはわなわなと震え出した。
「どうして、あなたはそんなに幼いのに、賢いのかしら?」
「さぁ。いろんな人と出会ったからかもね」
たくさんの町や村を訪れた。数え切れないほどの出会いがあった。それがきっと、あたいを強くしてくれたんだと思う。
そしてそれも、全部全部お師匠様のおかげ。最後にあたいに道を標してくれた、お師匠様のおかげ。
あたいはベロに近寄って、その隣にしゃがみこんだ。
「あなたはまだ賢者なんでしょ? なら、まだやり直せる。まだ引き返せるよ」
下から覗き込むと、ベロは泣きそうな顔をしていた。あたいよりも年上の人がこんな顔をしていると、無性に心配になる。
しかし、突然はっとして顔を上げた。
「なら、あたしはとんでもないことを……」
「え?」
「禁術……悪魔を……いや……待てタイムリミットは……」
ベロがぶつぶつと一人で呟く。あたいはどういうことか理解するために頭を動かしたが声が小さくて聞き取れない。
いや、聞き取れないのは声が小さいためじゃない。
ーー無数の悲鳴が聞こえる。
「ダメだ、ダメだ。あたしのせいだ。あたしのせいで……」
「どうしたの? ねぇ、どうしたのってば! 何が起きてるの?!」
あたいよりも高いところにある肩を掴んでガクガクとベロを揺するが、うわ言のようにそう繰り返すだけ。
「ねぇーーきゃっ?!」
突然、ベロがあたいを突き飛ばした。
あたいは杖を引き抜いた。気がおかしくなってしまったのかもしれない。戦うしかーー
「え?」
衝撃的な絵面だった。
ベロは腕を突き出したまま。だけど、頭が無い。
そしてベロ後ろにいるのは、涙を流す、テラロア。お腹が歪に裂けていて、もう、人間ではないようなーー
「ちがう『コロス』ちがう『コロシテヤル』ちがうんだ『コロシテクッテヤル!!!』」
テラロアには両腕が無く、テラロアの口とお腹の裂け目とが別々に言葉を発している。
呆然とその様を見ていると、テラロアが悲痛な顔であたいを見た。
「ベロさんを、助けてくれ……ベロさんを……」
腹の裂け目から手が伸びて、ベロの上半身をがしりと掴んだ。
はっとして叫ぶ。
「ガイア・カッター!」
腕の真下から土の刃が生み出された。が、
「硬い?!」
傷も残さずに弾かれ砕かれる。
間に合わなくても弾かれてもいい! ただ、あたいは自分の出来ることを!
「〇●■□ーー」
「お返しだ!」
「ーーカッター!」
すんでのところでジャンの剣が腕を叩き、動きが鈍った所へあたいの魔力の刃が突き刺さり、その腕を切り落とした。
「ナイス、ジャン!」
「おうよ!」
ボロボロのジャンがあたいの隣に着地する。テラロアはベロの亡骸に背を向けた。
「どういうこと?!」
「わかんねぇ。わかんねぇけど、そこら中の兵士をあの腹で平らげたんだ。ーーこの周りに生きてる兵士はいねぇ」
あたいはぞっとして再びその姿を見た。すると、今度はあたいたちの方を見ている。
その魔力のあまりのおぞましさに、あたいは絶句した。
ああ、これもおとぎ話で聞いたことがある。昔は賢者の使い魔だったのに、身を悪に堕とし、ありとあらゆるものを喰らい尽くして回ったと言われる伝説の悪魔だ。
「化け物、多すぎ!」
思わずそう叫んだ。
「で、あいつはなんなんだ」
あたいはごくりと唾を飲み込んでから告げる。
「七つの感情の悪魔が一人、『憤怒のリグル』よ」