64話 救い
「エレちゃんのお兄さん?!」
あたいは思わず叫んだ。情報がたくさんで軽いパニック状態だわ!
ガタンと荷台が大きく揺れて、あたいは「きゃっ!」と叫んで中を転がった。ジャンが止めてくれた。
あたいはアーチェさんの元にまた近づいて、ほとんど叫んでいるかのような声量で尋ねた。
「それ、本当?! エレちゃんは元気なの?!」
「本当です! しかし、私はもう司教ではございませんから、エレがどうしているかは見当もつきません。しかし、大変な状態にあることは確かです」
それもそうよね。だって、敵は人だけでなく魔法使いもいるんだもの。
「三ヶ月前からこうなの?」
「いえ、一ヶ月ほど前からです」
あの魔法使い、微妙に嘘を混じえてたわね。でも、ひと月もの間耐えているんだったら、エレちゃんや街の人達がすごいわ!
あたいはフラッシュバックのように思い出されたことを聞く。
「アーチェさん、ずっと気になってたのだけれど、エレちゃんの部屋にあるカーペットの魔法陣。あれは何? 魔力を流したら、何が起こるの?」
それはとても昔の記憶。あの部屋にはカーペットがあって、そこには魔法陣が描かれていた。あたいは知識が無かったから触れなかったけど、今なら……。
アーチェさんは言う。
「正直に申し上げますと、私にもあれが何かは全くわかりません。けれど、昔は賢者様がおられた教会です。悪い効果ではないでしょう」
そっか……。うーん、じゃあどうしよう。下手に触れないわ……。
「じゃあ、その魔法陣について記された本があるんじゃないのか?」
ジャンが横からそう言う。あたいはパチンと手を鳴らした。
「ジャンの言う通りね! アーチェさん、このまま教会まで行ける?」
「ええ! 人を轢いてでもたどり着いて見せますよ」
「い、良い意気込みだわ!」
過激だけどね!
アーチェさんが馬に鞭を打つ。ガタリと馬車が大きく揺れた。
あたいは外を眺める。
「もう来てる……!」
どこに潜んでいたのか大勢の兵士がこちらを狙っているようだ。しかし大して焦っている様子もない。
あたいは頭を回す。兵士はこっちを見てるだけ。それはなぜ? もっと急いで、先回りしてもいいはずなのに。
あたいは思い至った。急いで杖を引き抜く。
その時、一本の矢が荷台の布壁を貫通して床に突き刺さる。あたいは苦い顔をした。
「ガイア!」
そう唱えると同時に、五六本の矢が荷台に飛び込んでくる。あたいとジャンは身を低くして躱した。
すぐに御者台へ向かう。
「アーチェさん! だいじょ……う」
馬には、荷台に入ったよりもたくさんの矢が突き刺さっていて、ーーアーチェさんは、脇腹を矢に貫かれ、馬から落ちようとしていた。
ダンと後ろで床を蹴る音がした。
振り向けば、ジャンの姿はそこになく、刹那の間隔を置いて浮遊感がした。ジャンがあたいを抱えて馬車を飛び出る。
地面に落ちる寸前でジャンはアーチェさんを掴んだ。
「ヒヨ! 飛べ!」
「▲▲ー。。!」
背中に翼を生やしてあたいたちは空を飛ぶ。けれど思ったような高度と速度が出ない。
「ジャン! 重量がギリギリだわ!」
「なら俺が降りる! ヒヨ、エレの兄ちゃんを任せたぞ!」
「うん!」
あたいはアーチェさんの腕を掴んだ。それを確認して、ジャンが地面に降りていく。
速度をあげたあたいたちは一直線で街へと向かう。
「アーチェさん! 死なないでよ! エレちゃんに、会わないと!」
あたいの真下からは金属のぶつかる激しい音が聞こえる。
あたいの出せる最大の速度でリューレル教会へと向かう。
時間が遅く感じた。速さが足りない感じがした。
視界の端で見えたリューリの街は怖いほどにひっそりとしている。
あたいは杖をリューレル教会のもっとも高い位置にある大窓に向けて、魔力に呼びかける。
「開けて!」
窓が魔力によって開かれ、あたいたちが飛び込むのと同時にバンと音を立てて閉まった。
勢いはふかふかのクッションによって殺され、あたいは体勢を立て直してすぐにアーチェさんの傷口を見つける。
そこで、あたいはようやく顔を上げた。
「エレちゃん!」
「えっ、ひ、ヒヨ?! どうしてここに……いえ、その方は……」
「エレちゃん! おつかいお願いできる?!」
驚愕の色を浮かべたエレちゃんが、倒れたアーチェさんの脇腹の傷に気がついて表情を引き締めた。
「グローブ! ヴェール! 何も言わずにヒヨの言葉に従って!」
黒衣を纏った二人の司祭が現れる。二人はアーチェさんを見て驚いたようだった。それを気にもとめずにあたいは早口で言う。
「青と緑の薬草、黒の魔草、赤い鳥の卵とエルダータートルの肝臓の粉末をお願い! すぐに!」
「かしこまりました」
ヴェールさんがマントを翻して部屋を出て行く。グローブはアーチェさんを気にしながらも、ヴェールさんを追いかけて行った。
あたいは杖を傷口に向ける。
「ごめん、エレちゃん。ちょっと集中する」
「はい」
優しい魔力を呼び寄せて、傷口の周りに配置した。
「ヒール」
温かい緑の光が傷口を隠す。
「ううっ……」
「アーチェさん、大丈夫、死なないわ。意識を強く保って」
「あぁ……、あ? ここは……」
「ダメ、顔も上げないで。本当に、ギリギリだから」
じんわりと額に汗が浮かぶ。傷口は狭いが深い。奥に魔法の力が及ぶように働きかける。
「アーチェ……? ねえ、兄さん、なの?」
エレちゃんが信じられないというように声を発して、アーチェさんの隣に座り込んだ。アーチェさんが口を動かす。が、
「ごはっ……はぁ……」
言葉の代わりに血を吐いて、力なく頭を床に置いた。
あたいは焦る。血は止まらない。臓器は複雑だ。回復も間に合わない。このままじゃ、あたいの目の前で人が死んじゃう!
「もう、いい、よ……」
アーチェさんが起き上がった。
「ダメよ! 安静にして! 絶対に治る、絶対に治すから!」
「いや、いい……。やぁ、エレ。久し、ぶりだ……ごほっ!」
「そんな……兄さん……」
エレちゃんがアーチェさんの手を握ってポロポロと涙を流す。アーチェさんはなおも言葉を発した。
「今まで……一人にして、ごめん、な。私は、どうしても、出ていかなければ……」
エレちゃんは泣きながら言う。
「いいの。兄さんが何も考えずに出て行くわけないって、わたしわかってたから」
「そうか……ふふ」
アーチェさんはエレちゃんの頬に手を当てる。
「大人に、なったな。たくましい、大司教様だ」
「……」
あたいは、息を吐き出した。
「アーチェさん、ちょっと我慢してね」
傷口に杖を当てる。
「ファイア」
皮膚が焼かれて傷口を塞ぐ。貫通した先はヒールで塞がってたから、これで血は止まった。
あたいは静かに立ち上がって、扉へと向かった。
「賢者、様」
足を止める。
「本当に、ありがとう、ございまし、た……」
あたいは振り返って言う。
「どういたしまして」
ーー ーー ーー ーー ーー
グローブさんとヴェールさんが戻ってきた。あたいは目元を拭う。二人は何かを察したようにあたいの前で立ち止まった。
グローブさんが口を開く。
「……あいつは、アーチェだったのか?」
あたいはこくりと頷いた。湿ったため息を二人は吐き出したようだった。
辛い沈黙が降りる。
「アーチェは不思議な夢を見るとよく話していました。彼によると、夢の中に我々の信仰対象である賢者様が現れるのだそうです」
ヴェールさんがそう話し出す。
「私たちの前を離れる時、彼はその話をしてくださいました。だから、ひょっとすると、彼はこうなることを知っていたのかもしれません」
そう慰めてくれていることが、ヴェールの優しい口ぶりから感じられる。しかし、あたいは何も言えなかった。
だって、救えなかったのはあたいで、あたいに力があれば救えたんだから。全部あたいのせい。あたいが、未熟なせいだわ。
ああ、こんなことなら魔法使いになってでも、あの禁術を――
「あ……」
そっか、そういうことなのね。
あたいははっと気づいた。
魔法使いになる人は、みんなこんな気持ちになるのね。
あたいの後ろで扉が静かな音を立てて開いた。
「ヒヨ様」
エレちゃんの落ち着いた声がやけに響く。
「どうか、この街を、お救いください」
震えの無い力強い声音で、大司教エレはあたいに言った。その眼は強い光と決意に満ちあふれていた。