62話 次の街は近い
「……とっちゃんが、負けるわけないよな」
「うん。ルガムさんが負けるわけないよ。だって、ジャンのお父さんなんでしょ?」
「ああ、そうだよ。俺の……親父だ」
土のかまくらの壁に寄りかかって、ジャンは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。ジャンは膝を抱えてその間に顔をうずめた。
あの古代魔法、きっとかなり強力なやつだと思う。あたいが使ったのよりは弱いけれど、それでも十分な威力がある。さすがのルガムさんでも無事では済まないだろう。
「……魔法使いがいたね」
あたいは無意識にそう口に出した。ジャンが顔を上げる。
「いたな。姿は見たのか?」
「うん。顔は見えなかったけどね。黒いローブに身を包んだ女の魔法使いだった。あたいを殺そうとしてた」
「殺す、か。捕まえるつもりは無いんだな」
「そうみたい。魔法使い狩り、だものね」
相変わらず魔法使いが魔法使いを狩るっていうのもおかしな話に思うけど。あたいは一人で苦笑した。
あたいは壁に頭を預けて眼をつむる。たいぶ疲れてるみたい。あの魔法は、あたいにはまだ早かったのね。魔力の回復が全然間に合っていない。
だから、ちょっとだけ休憩しようかな。
「ヒヨ、寝てていいぞ」
ジャンがあたいにそう言った。あたいは言葉を出さずにうなずいた。
「俺が、お前を守るから」
―― ―― ―― ―― ――
休憩は終わって、夜の道を進む。目が覚めたら夜で、朝まで待つ選択肢もあったけれどこれ以上進まないわけにもいかなかった。
「ジャンって、夜道はちゃんと見えるの?」
「まあな。眼が慣れれば走るのには困らないぐらいには見える」
便利な眼の作りをしてるのね。あたいはちょっと羨ましく思った。星の明かりが眩しく見えたりするのかなって思ったけど、別にそういうことではないよね。空を見上げて見ると、満天の星空が広がっていて、いつもよりも明るく見える。
あたいはジャンの腕の中で揺られながら、この先にあるものを思い浮かべた。
「あ、次ってひょっとしてエレちゃんのいる街?」
「ん? ああ、そういえばそうだったな。なんだっけ、り、りーらるの街?」
「違うよ。リューレルの街。リューリ教会があるおっきな湖の街でしょ」
「逆じゃねえか? リューリの街でリューレル教会だろ?」
「あれっ、そうだっけ?」
確かにそうだった気がする。何しろリューリの街を訪れたのは、もう二年ぐらい前のことなんだもの。覚えてるのはせいぜいエレちゃんと司教のお二人、それからチョコバナナぐらいのものね。さすがに食べる余裕はなさそう。
でも、ちょっとぐらい顔を出したいな。エレちゃんは旅を始めてからの初めてのお友達だからね。
そう考え始めると、あの楽しかった日々が自然と思い出された。ジャンも同じ理由かはわからないが黙ってしまった。ジャンが地面を蹴る音と、馬車の上に乗ってるような速さで視界から消えていく木々が、あたいを心地よくさせた。
突然ジャンがブレーキをかけた。
「きゃっ?!」
あたいは悲鳴を漏らす。それを気にもとめないで、ジャンは右に飛んだ。体が左に引っ張られる強い力を感じる。
「ちょっと、ジャ」
「静かに! それと、魔法で姿を消してくれ。一瞬でいい! すぐに移動して姿をくらますから」
「え? わ、わかったわ」
あたいはジャンに小言を言う前に、魔力を操作して姿を見えなくする魔法を発動させる。それからあたいは首をゆっくりと回した。
真夜中だというのに、兵士が見回りをしている。リリバの街の兵士と同じ鎧を着ているのを見るに、同じ王国の兵士なのだろう。
「気を付けないとね」
「だな」
その時のあたいは、どうしてそこに王国の兵士がいたのか、そして王国の兵士がいるということが何を表しているのかを考えもしなかった。
茂みに隠れながら、あたいたちは慎重に進む。ここまでの速度と比べてかなり遅くなったので、距離を詰められる焦りと、今ここで見つかるかもしれないという不安のジレンマがあたいたちの精神を削る。普通に辛いわ!
「あとちょっとで着くと思うわ」
「わかった。なら少しの辛抱だな」
あたいは小さくうなずく。そう、ここだけの辛抱だ。ここを抜ければ、どうにかなるはず。
その時、目の前の茂みがガサリと揺れた。あたいは杖を、ジャンは剣を鮮やかなスピードで抜いた。
茂みの奥から現れたのは、一人の青年。汚れた身なりを見るに、どうやら王国の兵士というわけではなさそうだ。そう思ってあたいは若干警戒を解く。
しかし、ジャンはまだ剣を握ったままだった。
「み、見つけた……」
その言葉にあたいは疑問を抱く。見つけた? それはあたいたちのこと? あたいたちは今、魔法で姿を消しているはずだ。だから、普通の人間があたいたちを見ることはできない。
できるとしたら、それはあたいたちの近くを浮遊している魔力が見える賢者、もしくは魔法使いだけ。
あたいは青年の目を見た。青年は、あたいの目を見ていた。
「……お前、誰だよ」
ジャンが威嚇するような声音でそう言う。
青年は少し残念そうな表情を浮かべた。それから、粗末な木の芯で作られた杖を懐から取り出す。あたいは少し驚いた。
青年は魔法を唱えた。
「ビジブル・トリサ。……さあ、これで会話をしても平気ですね」
青年はそう言ってあたいたちに笑いかける。あたいは頭のどこかで何かが引っかかっていた。この人、どこかで見たことがあるような気がする。でも、どこで見たのか、本当に思い出せない。
あたいは眉間に力を入れるほど青年を凝視する。青年は先に答えを言ってくれた。
「覚えていないのも仕方がありませんよ。俺はあの日、お二人をあの馬車に乗せられて幸運でした。いえ、決められた幸運、ですけれどね」
そこまで言われてはっとする。
「あの時の!」
「ええ、そうです。お久しぶりですね」
改めてお久しぶりと言われると、なるほど納得だ。あたいは尋ねる。
「賢者だったんですか?」
青年改めて御者さんは、ゆるゆると首を振る。
「いいえ。あの時は賢者ではありませんでした。でも、今は賢者の弟子を名乗っています。一応、師ができたもので。まあ、その話は後にしましょう。取り急ぎ、お二人にお願いがあるのです」
御者さんは、膝を突いて頭を下げた。
「どうか、大司教を、エレを助けてください!」