57話 息子と父
「話は兵士からいろいろ聞いてるよ。大変そうだね。ヒヨくん、ジャンくん」
ジャンが拳を強く握ったのが尻目に見えた。あたいはそれからルガムさんを見る。
ルガムさんは、完全な武装状態だった。剣はもちろん、鎧すらも身につけている。しかし自信のなさそうな曖昧な笑みだけは変わらない。
ジャンが話しかける。
「……何が、大変だって?」
「それは、アルミルティの街の魔法使いと関係があるっていうことがだよ。特にそこのヒヨくんはね」
あたいは荒く呼吸をする。なぜだか震えが止まらない。このルガムという男から、逃げ出したくてたまらない。
ルガムは異様な殺気を放っている。それに動じずに、ジャンは口を開いて一歩踏み出した。
「見逃すわけには行かない、ってか?」
「うん。それはその通り。僕にも容疑がかかっているんだ。魔法使いの逃亡を手助けしたんじゃないかってね」
「ヒヨは魔法使いじゃねえよ!」
ジャンがそう叫びを上げて、剣を引き抜いた。その目線はルガムさんを射抜かんとするほどだった。
しかし、ルガムさんは剣の柄にも手をかけず、淡々と言葉を発する。
「ああ、確かにヒヨくんは賢者だろうね。だけどね、だからと見逃してくれるほど王都は正常じゃないんだよ」
ルガムさんは諦めたような笑顔で言った。
「やつらは狂ってる」
あたいはなぜか、その時のルガムさんを“大人”だと思った。それも、あたいのよく知らない人間の大人だ。
社会に拘束され、自分の望まないことをやらなければならない。自分の気持ちじゃないものを尊重しないといけない、人間の大人の顔だ。
「わかってるなら、止めてくれるなよ。俺たちはアルミルティにさえ行ければいいんだ」
「止めるよ。君たちは確実に無事でいられない」
「端から俺はそんなつもりはねぇよ!」
ジャンは叫ぶ。そよ風すら吹いていないリリバの街を、あたいには不気味に思った。
その時、あたいは異変に気がついた。魔力たちが忙しなく宙を行き来している。それも、ジャンとルガムさんを避けるように。
ルガムさんは、やる気だ。
「早く通してくれ。後ろから追っ手が来てるんだ」
「おや、そうだったんだね」
そう口では言いながらも、ルガムさんの手は剣の柄に伸びた。
ジャンは諦めたように唇を噛んだ。そして、地面を踏み込んでーー
「ああ、本当にそんな覚悟があるんだね……」
二本の剣を悠々と受け止めたルガムさんは、そう寂しげに呟いた。
ジャンは悔しげに呻く。ルガムさんは、片手で持った剣で受け止めていた。あたいは驚く。ルガムさんはそんなにも強いのかと。
鍔迫り合いが続く。すると、どんどんとジャンが押していくのがわかった。ルガムさんが空けていた左手も加えて剣を押し返す。
「ジャン……本当に良いんだな?」
「何回言えばわかるんだよ! 俺たちはアルミルティに行く。絶対にそれは曲げねぇよ!」
ついにジャンが押し勝った。ルガムさんは後方に飛ばされて、どっかりと尻もちを着く。
そして、やれやれと首を振り、座ったまま剣を地面へ突き立てた。
「わかった。通すよ、二人とも」
あたいはもとより、ジャンが目を見開くほど驚いた。だが、すぐにその横顔は悲痛に歪んだ。
「……なんでだよ」
「僕には君たちを止める理由が無くなったからだ」
「そんなわけねぇだろ。いっぱいあるだろ……」
「ううん、無くなったんだよ」
ルガムさんは、手に何も持たないままジャンの前まで歩み寄った。ジャンはずっと俯いたままだ。
「ジャンくん。最低な父で、ごめんね」
その時、ジャンははっと顔を上げた。そして何かを言おうとして、けれどそれはついぞ言葉にならなかった。
ジャンがしゃくりあげる音が、そよ風の上に流れる。
どうしたら良いのかわからないような雰囲気で、ルガムさんは肩を竦めた。しかしその顔はとても穏やかで優しい顔だ。
それからルガムさんはあたいの方へ来て言った。
「この街にも、たくさんの兵士がいる。けれどみんな弱いから、君たちは姿を隠して進むだけでいい。ここを通った時のようにね」
「やっぱり、バレてたんですね」
「うん、僕、目も良いんだ」
やっぱりジャンの一家はみんな凄すぎる。絶対に目だけじゃないよね。耳だっていいはずだ。
「それよりも面倒なのはゴーレムだ。やつら、どこから手に入れたのかたくさんのゴーレムを持ってる。気をつけてね」
ゴーレム……。いつぞやのゴーレムを思い出した。今はあたいの杖の素材にはなっているけれど、強かったもんね。
「それと、メロンという男が捕まったって聞いた。おそらく君たち関係だろうね」
「っ! メロンさんが……」
薄々予感してはいたけれど、改めて突きつけられると心にダメージが来る。無視はできない。
あたいはこの後やることを決めた。ジャンの元へ向かいながらルガムさんへ尋ねる。
「どこにいるんですか?」
「最も大きい峡谷の検問所だよ。ひと目ですぐにわかる。そっちはよろしく頼むね。実は、僕の数少ない大切な友人だからさ」
へー、そうだったんだ。まあ、ルトンさんとジャンの知り合いなんだから、ルガムさんもそうだよね。
あたいは一人で納得する。それからジャンに声をかけた。
「ほら、ジャン。メロンさんを助けに行こう」
ジャンは何も言わずにこくりと頷いた。それから、あたいに手を引かれて歩いていく。
ルガムさんにすれ違いざまに声をかけた。
「無理、しないでくださいね」
「うん? ああ、大丈夫。ただの趣味だ」
ルガムさんはそう言いながら、地面に突き刺さった剣を引き抜いた。
街に入ろうとしたところで、ジャンがあたいの手を振りほどいて振り返った。
「ーー俺も、母ちゃんも、あんたが大嫌いじゃないから!」
思わず止めたしまいたくなるような声量で、ジャンは続ける。
「だから、だから、また三人で、飯を囲むんだ! なあーー親父!!」
ルガムさんは振り返ることは無かった。
けれど、光を跳ね返して輝く鎧のその背中は、何処かたくましかった。