44話 ありがとう
「ん、うう……」
あたいは眠りから覚めたような心地で、仰向けに寝ていた体を起こした。手のひらに土のじゃりっとした感覚がする。
ただ、今のは夢じゃないから、ほとんど全てのことを覚えている。平和な日常、最悪の終末。覚えていられる。
あたいはキョロキョロと周囲を見渡した。
緑の木々の生い茂る森だ。それはあたいたちがここに足を踏み入れた時から変わらない。まあ、だいたい森ってこんなものよね。
けれどその中に、緑に似合わない色がひとつ。
ピンクゴールドの綺麗なロングヘアが、茶色の木の後ろから覗いていた。
あたいはなるべく足音をたてないように、ゆっくりとその木へ近づく。
「……どうしよう……逃げなきゃ……でも、私と同じぐらいの女の子……魔法使い……」
「ねえねえ!」
「ひゃあっ?!」
ごちん。
またおでこに衝撃。ゆ、夢の中と変わらない痛みだ……。
額を押さえてうずくまる。それはあの少女も同じだったようで、木の裏で尻もちまでついて痛がっている。さっきもそうだったけど、音に吸い寄せられる癖でもあるのかな?
あたいは痛いのを我慢して立ち上がって、少女の正面へ回った。そして、右手を差し出す。
「ごめんね。痛かったでしょ?」
そのあたいの行動と言葉のどこに疑問を抱いたのかはわからないけれど、少女が首を傾げた。
そのまま呆然とあたいの手を見ているものだから、あたいも困ってしまって頬をかく。うーん、どうしようかな。
でも、とりあえずあれは伝えなきゃ。
あたいは今度は少女と同じ目の高さまでしゃがんで、
「ありがと!」
そう言った。
今度こそ少女は完全に困惑したみたいだ。あたいの顔を見る目の瞼が、パチパチとすごいスピードで瞬いている。
「あなたのおかげで、あたいが今まで無意識に目を逸らしてたことを思い出せた。まあ、辛い思い出もあったけれど、でも、思い出せずに一生を過ごすのは、絶対嫌だって思えたから」
上手く言葉がまとまらない。あたいの頭は軽いパニック状態だ。
「だから、ありがとう」
……上手く伝わったかな。
あたいは恐る恐る少女の顔を覗う。今度は大きく目を見開いている。驚いてるのだろうか。表情が豊かなのね。
じっとあたいが見つめ返していると、少女の口がわずかに動き出した。
「……そんなこと」
とても小さな震えた声だった。
「言われたこと、ない……」
少女の瞳に涙が溢れた。
少女は俯いて、込み上げてくるものを堪えようとしている。途切れ途切れの嗚咽を漏らしている。
あたいの右手は無意識に少女の頭の上に乗せられていた。なぜか、そうしたかったのだ。子どもの頃のことを思い出したのかもしれない。
少女はあたいの手のひらが頭の上にあるまま、ただ泣いていた。
どれほどそうしていただろうか。少女はもう涙を止めて、あたいを見上げた。
黄金色の綺麗な目をしていた。あたいよりも背が小さくて幼い。けれど、どこか得体の知れない不思議な雰囲気を醸し出している。
「もういいの?」
「……うん」
「そっか」
少女の顔から緊張が消え、安堵が見られるようになった。
「じゃあ、あたいはあとの二人を探さないと行けないの。……一緒に来る?」
「……うん。場所、わかるよ」
「ほんと? それじゃ、案内してくれる?」
「……こっち」
少女に手を引かれて、あたいは森の中を行く。しばらく無言の時間があったけれど、あたいはどうしても話しかけたくなった。
「ずっとこの森に住んでるの?」
「うん」
「ご飯は?」
「夢を見せて、逃げてった人から、貰ってた」
「魔法が使えるのね」
「うん」
「誰から教わったの?」
「……お母さん」
「……お母さんは?」
なんとなく予想がついていたことではあったけれど、その問いかけに少女は表情を曇らせた。
そして、苦々しい口振りで、
「……いなくなった」
そう言い放った。
言葉は続く。
「私が、もう少し幼い時。いつの間にか、消えた。あとは知らない」
そう語る表情に起伏はなかった。ただ、平坦に、無表情に言葉を並べた。
「でも、よく今まで人間に捕まらなかったね」
「うん。だって、お父さんの魔法が、残ってたから」
「お父さんの魔法?」
そんなのもあるんだ。あたいは関心して、けれど少女が無言でこちらを見つめてきたので驚いた。
少女は言った。
「幻にリアリティを持たせるとか言ってた。たぶん、あっちに」
少女が指をさした方向で、何かが赤色に輝いた。
それが何かは想像に固くない。
「ドラゴンたち。あと、人間が二人」
青い炎がチリチリと木々を燃やしていた。