40話 男、女性、英雄、お師匠様
街が、瞬きのうちに消えた。
それは否定しようのない事実で、ただ、少し付け加えるならば、その後のことも説明しなければいけない。
ーー街が生まれた。
無機質な灰色の、泥で作ったかのような奇妙で不気味な形の家々が、街が、生えてきたかのようだ。
あたいは頭を馬鹿みたいに左右に振る。この光景が信じられなくて、同じ場所を六回は見直した。
そして、その街の創造主は地面に降り立った。あたいの目の前だ。
「これは……報いだ。貴様ら、人間たちが、僕と妻にした仕打ちの、ほんの一部だ……!」
どんどん怒りの熱が籠る声。あたいはその時気づいた。彼の四肢にも、女性にあったような、痛々しい傷の痕がある。
きっと、彼はここまで耐えてきたのだろう。耐えて耐えて、だが耐えきれなかったんだ。
賢者であることよりも、妻の命を優先した男。
男が、元は広場だった場所の中心に横たわる女性のところへ向かう。
ーーその次の瞬間だった。
あたいの右側で、何かが爆ぜる大きな音がした。
あたいと男が首を同時にその方向へ向ける。灰色の家々は、瞬く間に残骸とかし、その破壊はあたいたちの方へ向かってきていた。
その元凶が、正体を表す。
「……うそ」
あたいは、自分の目を疑った。
だって、否定しようのない面影と、容貌をしているのだから。
「……魔法使いは、怖いか。ルトンよ」
見た目は六十ぐらいの、老いた傭兵は、白銀の剣を構え男を睨んでいた。
「怖くなどないわい」
ルトンさんが、そう呟いた。
「じゃがな、悪者は成敗せにゃならん。例えわしが望んでいなくとも、人々にとっては、望みなのじゃから」
「そうか。僕は、悪者か……」
男が、そう口の中で反復して空を仰いだ。空にはまだ赤い魔法陣の名残がある。
ゆっくりと朽ちていく魔法陣が、半分と少しまで消えた頃、男は呟いた。
「なら、悪者になりきろう。それが、僕のケジメだ」
「成敗っ!」
ルトンが声を置き去りにして男との間合いを詰める。そして、あたいが視認できない速さで右下から剣を切り上げた。
金属がぶつかる、耳に残る音。
男は、赤い紋章が入った青い剣で斬撃を受け止めた。
紋章が輝くーー
「むんっ!」
ルトンさんが、岩盤のような硬さの灰色の地面をつま先でえぐり、一枚の板を盾のように蹴りあげた。
炎は灰色の岩盤を包み込んだ。炎は消えることがなく燃え続ける。
それを認めて、ルトンさんは表情を引き締めた。
「魔法使い殺しは、とても善なことだ。だがな! 魔法使いにも誇りというものがある! 負けてなるものか! メロウジスタの英雄うううぅ!」
切っ先から、炎が激しくほとばしる。赤い軌跡がルトンさんのすぐそばを走る。その全てを、ルトンさんは避けて避けて避ける。
目まぐるしく戦いの場所を変える二者に、あたいはついて行くことができずに、広場の女性の横でただ呆然としていた。
真っ赤に燃えゆく街を見て、あたいはふと思う。
これは、なんの幻想なのだろう。誰の夢なんだろう。頭の端が、先程から焦がされているみたいにチリチリと気持ちが悪い。
あたいは、堪えきれずにしゃがみこんだ。その時、小さな声が聞こえた。
「……お、ねがい」
それは、ともすれば聴き逃してしまいそうな微かな声。倒れていた女性が、死の間際に発した言葉だ。
「ヒヨを、ヒヨを……!」
……え?
あたいは、女性の顔を見た。そのあたいに影がかかる。
「わかった」
その声は、なんだろう。久しぶりに聞いた声音だった。
あたいはゆっくりと首を回す。そして、目を見開いた。
「おし、しょうさま……?」
若き日のお師匠様は、険しい辛そうな顔で、女性の前に佇んでいた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「約束通り、わたしが全ての片をつけましょう。……あなたの最後の望みを」
その右手には、あたいの知らない真っ白な杖を握っていた。
お師匠様は屈んで、女性の力の無い手を取った。震える声で、こう言った。
「あなたの夫を殺し、そして、あなたの娘を……ヒヨを、きっと、立派な姿に……!」
その時、あたいには女性が微かに笑ったように見えた。
同時に、その女性はーーいいや、あたいのお母さんは、静かに息を引き取った。
お師匠様は、顔を俯かせて、
「あ"あ"あ"!!」
そう短く叫んで勢いよく立ち上がった。何もかもを捨て去り、覚悟を決めたような勇ましく悲痛な叫びだった。
「カルド! 今、行くぞ! わたしが……救ってやる!」