39話 夢の世界、知らない世界
目を開けたとき、あたいは見慣れない街の、石畳の道の真ん中に座り込んでいた。
まるで、夢から覚めたみたいな感覚であたいは立ち上がる。いいや、これはきっと逆。あたいは今、夢の中に入り込んだんだ。まだぼんやりとする頭を起こすため、あたいはぴしゃりと額を叩いた。意外と痛い。
はっきりとした頭で改めてあたいは周りを見渡した。
そこは、あたいが今まで立ちよって来たどんな街よりも栄えていた。リューリの街だって、ここまでは栄えていないだろう。道の両脇を埋め尽くす三階建て以上の家々。その向こうに見える、さらに高い塔の数々。そしてさらに高い、巨大な城。
あたいがいるのは、その全てが同時に見える大きな広場。豪華な噴水の音だけが、あたいの記憶と一致した。
『皆の衆!!』
突然の、耳をつんざくような大声に、あたいは反射的に目をつぶる。目を開けると、あたかもあたいが居たときからそこにあったように、たくさんの人々が現れて広場を詰め尽くした。
人々の表情は、何かもやがかっていてよく見えない。だが、その群衆の視線はただひとつを向いていて、あたいもそれを追って、顔を動かす。
その光景に、あたいは口を押さえた。
吐き気を催した。目を背けたかった。
でも、そんなことはできなかった。
石造りの街並みに似合わない断頭台のような木製の台。その上にある十字架に、一人の女性がはりつけられている。
布に隠されていない四肢は、無惨な罰を受けた血の跡と痣、傷痕が生々しく残っている。長いこと手入れされていない青色の髪は輝きを失って、女性の顔を覆い隠していた。
その十字架の隣で、ひとりの男が高々と語り始める。
『こやつは、この街を祟り! 我々を地獄へ突き落とそうとした、忌々しい魔女、そのモノである! 我々は、こやつを処さねばならぬ! なぜなら! こやつは我々とは違う、恐ろしく! 強く! 忌むべき存在だからだ!』
同調するように、周囲の人々が腕を突き上げ、口を動かした。しかし不気味なことに音がない。
彼らの声は、あたいまでは届かない。
それからまた、台上の男のうるさい声が何かを言っている。けれど今のあたいには、右から左へと流れるだけだった。
あたいの目線と意識は、全て磔にされた、青髪の女性にあったから。
『ーーでは、刑を実行する』
その言葉で我に返った。男の手にはナイフ。
『魔女よ。まだ息のある魔女よ! 今から、わたしはお前の脚の健を断ち切り! また血管も断ち切り、十字架から下ろそう。お前が生を願う魔女ならば、いとも容易く治癒するはずだ』
ニタリと嫌味ったらしく口を歪め、男がナイフを女の足首と太ももに突き刺し、柔らかい肌を引き裂いた。
あたいは顔を背け、地面を見つめて嘔吐く。残酷だ。女が十字架から落とされる重い音が微かに聞こえた。
あたいには、ショックが大きすぎる。だって、あの日のことが思い出されてしまうのだもの。
お師匠様を失った、あの日のことを。
「私は……!」
台上から、女の声。
「私は、魔法使いにはならない!」
はっとして、顔を上げた。
男の顔はぼんやりとしていて、あまりハッキリ見えない。なのに、その女性の顔は、くっきりと見えた。
勇ましい輝きを放つ、髪よりも蒼い双眸。固く結ばれた唇。顔はやつれていても端正に整っていて、その両手は力強く倒れる体を支えている。
脚から流れる赤い血は、台の柱を伝っている。
そしてーー
バタリと気を失って、力なく倒れた。
それを見て、男はまた、高らかにゲスな笑い声を響かせた。
『はっはっは! 皆の衆! これにて魔女は処された! 人間の勝利だ!』
諸手を掲げて、顎を天に突き出して、男はその状態のまま笑っていた。
ーー観衆の違和感に気づかずに。
やがて男も気づいたのだろう。その違和感に。そして、視線を広場へと戻した時、男は驚愕し、後ずさった。
なぜなら、あたいの周りの人々が、一瞬にして消えたから。
男はその元凶を探して視線を巡らせる。だが、そこへ視線が向くことはなかった。
「……あぁ、愛する我妻よ……」
男のすぐ隣。女性が倒れていた場所に、黒髪の若く細い男がいつの間にかいた。男は優しく女性を抱き起こし、その青い唇に、キスを。
『な、なんだ、お前は?!』
喚く男は、指を細い男へ向け、唾を撒き散らすほどの勢いで何かをがなりたてた。けれど、細い男はうっとおしそうに左手を上げーー
「ーーーーーー」
瞬間、男が消えた。
あたいの聞こえる最後の音が消えて、世界は完全な形を取り戻したみたいだった。
誰もいない広場。愛し合う悲劇の夫婦。その正体は、魔法使い。
「君には、生きていて欲しかった。賢者として生きた、気高き妻よ。……誇りを捨てた僕を、そして今からの行いを、どうか許しておくれ」
男はゆらりと立ち上がり、そして天へ登っていく。夜空の星と同じ大きさに見えるようになったところで、男が何かをした。
ーー真っ赤で広大な魔法陣が、街の上空に現れた。
その赤は、悲劇的なほど輝いていて、怒り狂ったようにどす黒い。
次の瞬間。
街は、消えていた。