37話 次の街へ
翌日。
「……せ、狭いわね」
「だ、な」
あたいたちは、想像以上に狭かった箱の中に入っていた。あたいは全力でジャンとの距離をとる。それでもやっぱり肌と肌が触れ合う。
なんだかいつもと違う感じがして、言葉にできない変な感じだ。
ジャンもあたいと同じことを意識しているのか、口数も少なく、視線もずっと箱の内壁に注いでいる。
あたいたちは横向きに寝っ転がっていて、あたいの目の前にはジャンの足が。反対に、ジャンの顔の前にはあたいの足がある。これを見越して、お互い足をしっかり洗ったのは正解だったわ。靴は外のリュックの中。
あたいがほう、と息を吐くと、ジャンの爪先がピクリと動いた。
しばらく黙っていると、馬車が動き始めた。ガタガタという振動と蹄の硬い音がちょっとだけ伝わってくる。
キタラさんは優しい人だ。何も言わずにこうしてあたいたちを手伝ってくれた。あと、メロンさんにも感謝はいっぱいだ。
ふとこれまでの旅を思い返すと、平和な旅だなぁ、なんて間抜けな感想を抱く。だって、お師匠様と一緒に森で修行してた時の方が、たくさんのハプニングがあったもの。
まあ、今回はジャンのお父さんとの遭遇っていうハプニングはあったけれど。
そこまで考えたところで、揺れが止まった。おそらく検問所に着いたのだろう。
荷物のチェックも一応はあるらしいから、あたいはローブの中の杖に手をかけた。もしもの時は魔法で誤魔化すつもり。
キタラさんが降りる揺れ。わずかに聞こえる靴の音。
その足音と話し声が荷台のすぐ近くにやってきた。あたいは息を殺して、ただ心の中で祈った。
あたいたちの隠れているところは、荷台の一番奥だから、余程の用心棒じゃないと、ここまではこないと思うけど……。
「それじゃ、ここまで見せてもらいますね」
男の声。箱の蓋に誰かが手をかけた。けれど、あたいは魔法を使うことを躊躇ってーー
「やぁ。……行ってらっしゃい」
ルガムさんは、そう笑って箱の蓋を閉じた。
ーー ーー ーー ーー ーー
「し、心臓が止まるかと思ったわ……」
リリバの街の商人街の郊外で、箱から出て開口一番にあたいはそう言った。
まあ、魔法を使うのを躊躇ったのはあたいだし、あれで何かしら処罰されててもおかしくなかっただろうから、見逃してくれて助かった。
あたいはローブの中の杖に触れた。……たぶん、魔法を使ってても見破られてたんだろうなぁ。
あたいは大きく深呼吸をして、それからジャンの顔を伺った。
ジャンは、また浮かない顔をしている。なんというか、納得してない、みたいな。
「ジャン」
「ん、わかってる。……あいつなりの、うーん、クソっ。言葉にしにくいな……」
もどかしさに頭の後ろをかくジャン。
でも、それがきっと正解。だって、家族にしか伝わらないものは絶対にあるもん。例え言葉に出来なくても、ジャンには伝わったんだ。
未だに唸っているジャンから視線を外して、今度は恩人へ頭を下げる。
「キタラさん、ありがとうございました! これであたいたちも旅を進められます!」
「例には及ばないぜ! 商人は助け合いと蹴落としあいの精神だからな!」
「け、蹴落としあい?!」
どうしよう、一気に嫌な予感が!
あからさまに怯えるあたいを見て、キタラさんは軽快に笑った。それで、あたいも冗談だとわかって笑う。あたいも緊張してたみたい。肩の力を抜く。
「それで、君たちはどこに行くんだ?」
「ええっと……」
あたいは新しいリュックから地図を取りだした。
「えっと、何個かの村を経由して、幻惑の森を通って、メレーバクの街までとりあえず行きます」
「幻惑の森? 幻惑の森を抜けるのか?」
「は、はい?」
急に心配そうな声音になって、キタラさんが身を乗り出した。あたいは困惑気味にジャンの方を振り向いた。
目が合ったジャンが、やれやれと首を横に振ってから語り始める。
「幻惑の森は有名だろ。迷い込んだ人にいろいろな幻を見せる奇怪な森だよ。……ま、大丈夫だろうと思って俺も何も言わなかったけどさ」
そう言って、ジャンが顔を別の方へ向けた。
なるほどね。そんな森だったんだ。なんだかおどろおどろしい名前の森だなぁ、なんて思ってたけどね。
でも、幻ねえ……。
ひょっとしたら、違う賢者さんでもいるのかもしれない。
なら、なおさら通らない訳にはいかない。
あたいはキタラさんに言った。
「大丈夫! こっちにはジャンがいるんだから、そんなところおちゃのこさいさいよ!」
「……ん?! あ、おう! 任せな!」
……なんでちょっと間が空いたのかしら?
あたいはじとーっとジャンへ粘ついた視線を送る。ジャンは苦笑いをしながら、またさっきと同じ方向へ顔の向きを変えた。
どうしたのかと声をかける前に、キタラさんは笑って、
「はっはっは! そりゃ心強い! 俺の旅路も安全だな!」
そんなことを言ったので、あたいは反射的に聞く。
「キタラさんもあたいたちと向かう方が一緒なの?」
「おう! 俺もメレーバクに用があるんだ! ちょいと、友人を助けに行かなくてはならなくてな。その用意さ!」
そっか。じゃあ、このままキタラさんについて行こう。メレーバクまでの道のりは複雑そうで、あんまり自信が無いから。
「じゃあ、これからしばらくよろしくお願いします!」
「こちらこそ! よろしくだ!」
キタラさんが差し出した右手を、あたいは力強く握った。
ーー ーー ーー ーー ーー
「心残りでもあるの?」
それから少しして、キタラさんが馬の世話に行ったのであたいはジャンの元へ。
ついにはある方向へ、つまり、リリバの街の方へ体を向けて座り込んだジャンの隣に、あたいも腰を下ろす。
「……ん、いや、まあ、な」
歯切れが悪そうに、複雑な心境を丸々映し出した表情で、ジャンはそう言った。
あたいも先程のことを思い出す。
あれはきっと、ジャンに向けられたものだったはずだ。だから、まあ、きっと、ジャンからしたら驚きだっただろう。
あたいは無言でジャンの隣にいた。ジャンも何も言わなかった。
沈黙を破ったのは、ジャンの独り言。
「……父親、か」
あたいはやっぱり何も言わなかった。