35話 帰り道
「……あいつはさ、すごかったらしいんだ」
曇天小雨の帰り道。ジャンは訥々と語り始めた。
「ルトンの息子っていう肩書き通りの実力、名誉、成果を出して、存分に力を発揮してた。場所を選ばずね」
含みを持たせてジャンが言って、寂しげに斜め上の空を見上げた。
「俺はそのとっちゃんを知らない。俺が知ってるのは、暴力的で自己中心的で気性の激しいクソ野郎だ。……だから、俺はあいつが嫌いだよ」
吐き捨てるように言って、ジャンは顔を俯かせた。
あたいは、何も言えなかった。
あたいには親がいない。お師匠様は父親のようなもので、家族ではあるけれど血は繋がっていない。それに、ジャンの話をよく想像できないから、あたいは下手に共感するのも酷いと思って黙っていた。
あたいたちの間を、気まずそうに蝶が通った。
思えばいつぶりだろう。ジャンとの間にこんな沈黙が降りたのは。
慣れない感覚に、あたいは遠くを見つめることしかできない。
そんなあたいを見かねてか、ジャンが一歩前に出て、あたいに向けて笑った。
「ま、これ以上あいつが何もしてこないってんなら、別にどうだっていいんだけどな!」
「……そっか」
あたいも力無い笑顔で返す。
ーーあたいのしたことは、失敗だったのかな。
あたいは、二人を会わせてさえすれば、何かが起こるんじゃないかって、良い方向に転ぶんじゃないかって勝手に信じてた。
けれど、現実はもっと複雑で、あたいの考えなんて到底及ばなくて。
あたいはちょっと後悔する。
「……それで、報酬はどうなるんだ?」
ジャンが、俯くあたいを下から覗き込むようにそう聞いてきた。
一瞬何を言われたのか気づかずにぼーっとしていると、ジャンが不満そうな顔で、
「こんな大仕事をしたんだ。見返りは期待しとくぜ?」
そう言ってから、にっと笑ってあたいの横に並んだ。
……すっかり忘れてたわ。
「ま、まあ期待しといて! ……それなりの、報酬、払えるかなぁ」
「なんで最後不安そうなんだよ。ま、大して期待してなかったからいいけどな。……待てよ」
ジャンが顎に手を当てて考え込む。
あたいは緊張してジャンの言葉を待った。冷や汗を拭いたい。
そしてジャンは答えにたどり着く。
「お前、あいつが来ることわかってたな?」
「…………さ、さぁ」
「バレバレだよ! 嘘を隠そうとする気もねぇな」
し、仕方ないじゃない! あたいだって進行形で後悔してるとこなんだから。
あたいは心の底から申し訳なく思って、ジャンに頭を下げた。
「本当にごめんなさい。……あたい、余計なことしちゃって」
「ん、いいよ。俺だってちょっとモヤモヤしてたんだ。ありがとうとは言えねぇけど、怒ってはないよ」
あたいの肩をジャンがポンと叩いた。あたいが顔を上げると、明るいジャンの笑顔。
あたいは救われた気がしてはにかんだ。こういう時に、ジャンが年上だということを思い出す。……いっつも空回りなのに、大事な時には大人になるんだから。
あたいは背筋を正して、ジャンの手をとった。
「さ、帰ろっ! お薬売らなきゃ!」
「そうだな。俺も、おじさんに剣を貰わないと。……って、まだ出来てないか。なあ、ヒヨ。今から俺は剣の修繕に必要な素材を取りに行こうと思うんだが、手伝ってくれないか?」
「えー。あたいもお薬の素材を採取しないとなんだけれど」
「報酬の分、手伝ってくれるよな?」
「うっ……。み、耳が痛い……」
空いた方の手で片耳を塞ぐジェスチャーをした。ジャンが笑って、今度はあたいの手が引っ張られる。
「ついでにどっか寄ってこうぜ。ぱーっとやりたい気分だ」
「なら、峡谷の向こうに渡ってみる?」
「おっ、それもいいな。じゃあそうするか!」
あたいたちは駆け出した。
雲の間から、明るい光が差し込み始めた。
―― ―― ―― ―― ――
「……橋を通るのに通行許可証なんているんだなぁ」
「まさかね……」
この日、あたいたちは結局向こう側へは渡れずに、職人街でぱーっとやったのだった。