32話 英雄の子
ーーメロウジスタ戦争というものがある。
あまりにも有名過ぎる話だ。魔女が王として君臨した魔女国家、メロウジスタを、現王国が魔女狩りとして潰した、というのがあらすじである。
そう、人間は、魔女を殺せたのだ。
以来、魔法使い狩りは頻度を増したとも言われている。
けれど、メロウジスタの英雄って言ったら、おとぎ話のような、非現実的な能力を持つ神の使いのような人間のはずだ。
それが、あのルトンさん?
……にわかには信じられない。あたいは絶句したままルガムを見つめた。
「……うん、まあ、信じられないよね。あはは、冗談さ」
ルガムは罰が悪そうに肩を竦めた。そして顔をあたいから背ける。顔は笑みを称えたまま。
あたいの中でもうひとつの衝撃的な話が、ルトンさんの話の影から湧き上がってきた。
「……ジャン、の?」
思わず零れたあたいの言葉に、ルガムはピクリと口の端を引き攣らせた。
「……ジャンと、知り合いなのかい?」
「うん」
「そうか……」
ルガムは何かを忘れるように頭をかいて、あたいの方を向いた。そして告げる。
「ジャンくんは強いかい?」
「うん、すっごい強いよ」
「そうかそうか」
ルガムはニッコリと笑ったけれど、なんだか寂しそうだ。けれどそれを指摘する前に、ルガムはあたいに手を差し出した。
「さあ、危ないから、一緒に行こうか」
「はい、ありがとうございます」
あたいはおずおずとその手を取った。なぜかルガムへの警戒を解けないまま。
しかしその理由はすぐにわかる。
「ーーそんな玩具の杖じゃ、なんの役にも立たない」
ぞっと、背筋を氷が這い登ったような悪寒が走った。
「……そう、で、すね」
あたいは曖昧に笑って、その杖をローブの中に入れた。
これじゃ、足止めも出来そうにない。
ーー ーー ーー ーー ーー
リュックを下ろしていたのは僥倖だった。おかげでネズミを見られずに済んだ。
ルガムはあたいを単なる好奇心旺盛な少女と見たようで、それ以上魔法使いについて追求はしてこなかった。
代わりに、ジャンの話をすることになったのだけれど。
あたいは旅の話をした。もちろん、旅とは言わず、ちょっと遊びで潜った、と語った。
狼を突き刺したり、蜂を両断したりした話だ。
「そうかいそうかい。ジャンくんはそんなに勇敢になったんだねぇ」
懐かしむような口調で、ルガムは朗らかに笑った。ちょうど空から光が降り注いでいて、見上げるあたいには少し眩しい。
けれど、空は雲が疎らにかかっていた。
あたいは意を決して尋ねる。
「あの、なんで、ジャンのところから居なくなったんですか……?」
警戒か緊張か敬語になってしまった。
「簡単さ」
ルガムがそう語り出した。
空一面は雲に覆われていた。
「僕が、殺人者だからだよ」
ルガムは、笑顔でそう答えを述べた。
「僕は、親父ほど戦いに目的を持ってなくてね。戦いのためならなんでもしたよ。傭兵にもなった。山賊にもなった。衛兵の詰所を潰して回ったこともある」
話すルガムの顔は険しく、あたいは尋ねたことを後悔したほどだった。
その表情が、にわかに柔らかくなった。
「……けれど、妻を持ったんだ」
ルガムは空を見上げた。
「強い女性だよ。荒れていた僕を諭して、戦いの無益さを説いてくれた。あの凶暴だった頃に……。おかげで僕の悪行は絶えた。子もできた。それが、あのジャンだ」
ルガムが短い髪を撫で付けた。ジャンよりも淡い色の髪の毛が跳ねる。
その横顔に憂いが差した。
「でも、結局ダメだったなぁ。戦いを失った僕は、自分を抑えきれなくなって、妻にも暴力を奮ってしまった。酷い話だ。そして、我に返ったとき、僕は真っ先に家を飛び出した。愛剣だけを持ってね。そして、いろいろあって今はここにいる」
あたいたちは階段を登った。すれ違った警備の人にあたいは目もくれず、ただ俯いて、段差に気をつけて、ルガムの話を聞いていた。
「そんなことがあったから、僕はジャンくんの傍に居られないのさ」
「でも!」
あたいは声を荒らげる。
でも、それは違う。
「子どもなら、お父さんに、近くに居てもらいたいものなんですよ!」
だって、あたいはお師匠様を失ってこんなに悲しくて寂しかったから。
だから、ジャンだって同じなんだ。
あたいはルガムさんの目をじっと見つめた。
「……そういうもの、かな」
ルガムさんが最後の階段を登った。
空は晴れ切っていなくて、まだ白と青が混ざりあったような、モヤモヤした表情をしていた。
あたいは何も言わずにルガムの後ろから地上に出たのだった。