31話 破けたような青空と黒いゴーレムと強い男
「……すごい」
最下層から上を見上げて、あたいはその深さを堪能する。
峡谷の最下層までは若干整備された道がある。けれど、どうやらそこは警備の人が頻繁に使っているようだったから、あたいはそこを避けて道無き道からどうにか降りた。
そしてやっとのことで地に足を着いたわけで、どれだけ降りたのかをわかってなかったあたいは、上を見上げて驚くのだ。
「すごい降りてきたのね。空が破けてるみたい」
岩壁の間から覗く空はまるで時空が破けたよう。暗い岩肌と青い空が微妙な調和を醸し出している。
あたいは頭を戻して今度は周りへ目線を向けた。
とても静かだけれど、時々魔物の鳴き声が聞こえる。なかなかに怖いところだ。体を潜めることのできる岩の凹凸に巣穴のようなものがそこら中にある。
ところどころの様々な色の鉱石が綺麗だが、それを差し引いても恐ろしい場所だ。
「集中しないとね」
あたいはきゅっとローブを握った。杖を構えて、警備の人達が居ないであろう方向へ足を進める。
その方向は、だんだんと陽の光が差し込まない暗い場所になっていった。あたいは魔法で光源を作り近くの地面へ打つ。
点々と灯りのともる峡谷の端。魔物っていうのは、大抵そういうところにーー
「いるよねっ! ロック!」
「ピギッ」
闇に紛れてあたいを攻撃しようとした黒ネズミへ、あたいは鋭い岩の針を撃ち込む。
あたいも大分成長したもので、属性を指定すれば簡単な形は詠唱せずとも造形出来るようになった。
けれど、これをほぼ無詠唱で発動できるまでにはまだ修行が必要だ。すごい難しいのよね。
なんて、ほか事を考えながら敵を倒せるぐらいにはあたいも成長した。すでにあたいの周りには黒ネズミの亡骸が十個は転がっている。
こんなものでいいだろう、とあたいは見切りをつけて、光源を生成し、暗闇を明るく照らした。暗い場所に住む魔物は光に弱いのだ。これで逃げていくことだろう。
案の定、ネズミたちは蜘蛛の子を散らすように、それぞれの巣穴へ引き返していった。あたいは悠々とネズミの亡骸をリュックに詰める。
五体ぐらいで一杯になったそれを、あたいは気合いを入れて背負う。今からまた来た道を戻るのだ。
かなりの重労働を覚悟して、暗闇に背を向けた、その時。
頭上から、パラリと岩の破片が落ちてきた。
あたいは振り向いた。その先。
「えっ」
巨大な、真っ黒なゴーレムが、こちらを見下ろしていた。
全身から冷や汗が流れ出る。
確実な、“死”を感じた。
息が自然と荒くなる。膝が笑い出す。リュックの重みを思い出した体が、為す術もなく重力に引かれ、あたいは尻もちをつく。
集中、集中、集中しなきゃーー
あたいは、座ったまま杖を向けた。
「◼️◼️●〇◽︎!!!」
淡い緑色を放つあたいの魔法は、あたいが唯一使える古代魔法は、
効かなかった。
「な、なんでっ……!」
あたいは呻く。どうしようもない。魔法は発動した。なのに、効かないんだから。
あたいはリュックを捨てて立ち上がり、ゴーレムに背を向けて駆け出した。逃げよう。それ以外手はない。
けれど、振り向いた先は黒い塊が床を埋めつくしていた。これを好機と見たのか、憎たらしく赤い瞳を爛々と輝かせて。
「◼️◼️●〇◽︎! マジック・レッグ!」
あたいは床を創造して、足に強化を掛けて登る、登る、登る。
警備に見つかるのがなんだ。あたいは生き延びなきゃいけない。それが、あたいの覚悟。あたいのーー
ズゴンと岩が砕ける音がして、その原因が思いつく前に、揺れた地面にバランスを崩され、慣性のままあたいの体は前方に投げ出された。
答えは簡単。ゴーレムが、あたいのかけ登っていた階段の一番下を真っ直ぐに叩いたのだ。
地面は遠い。しかも、着地したとしてそこは黒ネズミの群れの真ん中。
ネズミは怖い。彼らは獰猛で、何より肉食だから。
「誰か……!」
あたいは裂けた空に手を伸ばした。
空が、ぶれた。
瞬間、あたいは誰かに抱えられたのだと理解する。そう、かなりの高さのある場所だというのに、抱えられたのだ。
誰に?
「ーー大丈夫かな、お嬢さん」
それは、優しそうな顔の男性だった。
中年で、柔らかい顔をしている。あたいにはハッキリとはわからないが、おおよそ“良いお父さん”の顔というものだと思う。
髪は薄い緑色。優しく細められた眼が、あたいを見ていた。
男はあたいをそっと地面に下ろした。
「悪いけれど、ネズミまでは面倒を見てやれなくてね。お任せしても大丈夫かな?」
「は、はい! 大丈夫です!」
あたいは気を取り直して杖をもちなおす。命に関わるのだ。今は賢者だと隠している場合じゃない!
あたいの頷きに、男はまた優しそうな笑みで頷き返した。そして立ち上がる。
男は、中背だが屈強な体つきをしていた。顔の印象とは真反対の、まるでーーそう、敵を殺す体だ。
「じゃあ、久しぶりにやろっかな」
男は、剣を引き抜いた。
白銀の美しい剣だ。
そして、跳んだ。
「……うそ」
ただの人間が、たったひとっ飛びでネズミの上を飛び越してゴーレムの懐へ。着地点でネズミが押し潰され最期を向かえた。
その刹那。
「ーーうそでしょ」
あたいは思わず笑った。
男は、一撃で、屈強なゴーレムの頭を粉砕した。
刃ではなく剣を平べったく使って叩いたのだ。それだけで、ゴーレムは頭を失った。
頭を失ったゴーレムは、ガラガラと崩れ落ちて、足元のネズミがまた何体か下敷きになった。それを見て、ネズミは退散していった。
男は悠然と着地して、あたいの方に向かってきた。
「あ、ありがとう、ございます」
「いや、僕も久しぶりに楽しかったから大丈夫さ。この力は、あんまり使えないからね」
そう言って男は笑った。
あたいは半分恐怖を感じながらも、こう尋ねた。
「あの、お名前は」
男はにっこりと、
「僕かい? 僕の名前は、ルガム。そうだなぁ。……ふふっ、子供なら、これを自慢してもいいかな」
ルガムさんは、顎に手を当てて、得意げに言った。
「メロウジスタの英雄、ルトンの実の子さ」