26話 まさかの素材
「いやぁ、それにしても恐ろしかったな。ドククライの中にあんな寄生虫が居たとは……」
「あたいトラウマものなんだけれど……」
「いったいどんなものが……」
「大司教様は知らない方がよろしいかと」
エレちゃんの部屋に戻ってきて、あたいはベッドの上に飛び込んだ。あ、一応これは司教さんが持ってきてくれた簡易ベッドよ!
ジャンも深くソファに腰かけて、頭が落ちるんじゃないかっていうぐらいにうなだれている。
それもそうだ。あの体の中から、これまたグロテスクなミミズみたいな……いや、やめよう。
「こういう時はチョコバナナに限るわ……。あ、エレちゃんもいる?」
「いただきます!」
「俺の分は?」
「無いよ?」
「さも当然かのように言い切りやがって……」
ジャンはため息を吐いて、今度はソファの背もたれに頭を預けた。こんなことを言っているが、実はジャンは帰りに唐揚げをしっかり食べているのだ。
しかし今ここにはエレちゃんがいる。
「ジャン。一口いりますか?」
「いいのか? なら、遠慮なく」
ジャンがエレちゃんに差し出されたチョコバナナを貰って、口に運んだ。
「美味い! やっぱ肉より甘いものの方がいいなぁ」
「エレちゃん! あいつを甘やかしたらダメよ!」
「えっ、ええっ?」
一気に満足気な顔になって、明るい雰囲気をまとい始めたジャンに、あたいは白い目を向けた。
……まあ、あたいと同じぐらい今日は頑張ってたし、許してあげなくもないけど。
「それで、素材は揃ったのですか?」
「うん。ドククライの肝臓は手に入ったから、あとは……」
あたいは魔導書を手に取って、パラパラと捲った。
「ここ。この部分」
『巨大蜂の毒○○○...』
変に字が薄れたその部分。かなり長い空白だけれど、果たしてここに何が入るのか。それとも何も入らないのか。
けれど、間違いなく『巨大蜂の毒』を使うことなんてないはずなので、ここで行き詰まることになると思う。
あたいが指したところを、エレちゃんが覗き込んだ。
「はぁ……。やはり私には読めませんね。なんと書かれているのですか?」
「巨大蜂の毒……なんだけど、絶対違うでしょ?」
「なるほど。確かにそれはおかしいですね。巨大蜂の毒を使った薬など聞いたこともありませんし」
エレちゃんもうんうんと頷いた。
「……しかし、一度作ってみるのも手だ。万が一のこともある」
「うん。そうね」
グローブの言い分にも一理ある。
とりあえず、まずはその手前まで作ろう!
ーー ーー ーー ーー ーー
「う〜ん。これもダメ、かぁ……」
あたいは黒く変色した粉末をゴミ箱へ捨てた。本によれば完成した粉末の色は赤色になるはずだから、この時点でおしまい。
とは言っても、この行為はすでに調合の最終段階。材料をなんだかんだして全部を粉末状にして、そこに例の液体の『巨大蜂の毒○○○...』を混ぜて捏ねて、お団子みたいにするのだ。
けれど、何をしてもハズレだ。巨大蜂の毒自体も、毒が含まれた血液も、薄めても濃くしてもなしの礫。今回も土台の粉末の方が少なくなってきた。
もう調合に取り掛かってから十四日。まったくの手探り。
「ヒヨ。休憩しますか?」
「うん、そうするよ」
あたいは残っている粉末の入った鉄のカップに布を被せてエレちゃんの方へ。
「今日こそは勝たせていただきますよ!」
エレちゃんの向かいの椅子に座る。その机の上には白と黒の縦横八マスの盤。“シェス”というボードゲームだ。キングが取られたら負け。取った駒は盤に戻してよし!
「ふっふっふ。手加減はしないよー?」
「望むところです!」
ちなみに今日までの戦績はあたいが六勝三敗四引き分け。この引き分けは夜遅くでヴェールさんたちに怒られたやつ。
あたいは怪しげな笑みを浮かべて、いつも通りポーンを出した。
そうしてしばらくコトコトと駒を打ち合っていると、バタバタと開きっぱなしの扉からジャンが左手首を抑えて駆け込んできた。
「どうしたの?」
「いてて……ひ、昼飯の用意してたらざっくりいっちゃったんだよ。薬、薬……」
「もう、薬もただじゃない……って、ちょっと?!」
あたいが自分の手を打ってからジャンの方を向くとーージャンが先程鉄のカップにかけた布を、真っ赤な手で触っていた。
もちろん布には赤い血が滲む。
「あ、これ違ぇや」
しかもなんと、それをそのまま戻したのだ! 血に濡れた布を! ガサツ過ぎない?!
あたいはいきり立ってジャンの方へ詰め寄った。
「ちょっと! それ大事な材料なのわかってる?!」
「ん? あ、やべっ。ごめんごめん! 間違えて……いや、俺も久しぶりに自分の血を見て焦っちゃったんだよ!」
「それで薬がダメになったらどうするつもりなの?! ほら、こんなに滲ん……で……」
そう言って布を捲ったその裏。
粉末が赤みを帯びて固まっていた。
「……嘘」
あたいは信じられないものをみた気持ちで、その塊を手に取った。それとジャンとを交互に見る。
「……結果オーライ?」
「うぅ、結果はね……。でも、どうして」
と、そこであたいはふと思い出した。
「……ジャンって、お師匠様に巨大蜂の毒を治してもらってた、よね?」
「まあ、そうだな。いや、あの時はほんとに悪いことしたよ……」
「そ、そうじゃなくて!」
ジャンの血で完成したってことはーー
「『巨大蜂の毒“から生き延びた生物の血”』ってこと?!」
あたいは魔導書をバラバラと捲った。ああ、行き過ぎた! 丁寧に戻して目当てのページに。
ちょうどだ。巨大蜂の毒の抗体を持つ血。空白にちょうど魔法言語で当てはまる。
あたいは興奮に飛び跳ねた。
「ジャン、お手柄!」
「おう! やったぜ! ……で、薬貰っていか?」
「その前に待って!!」
あたいは急いで道具置き場から試験管を取ってきた。
「……おい、まさか」
「ここにたっぷりお願い!!」
あたいが満面の笑みずいっと顔を近づけた先、対照的にジャンは顔をひきつらせた。
エレちゃんはその間もずっと次の手を考えていた。