16話 青空に緋色の髪
あたいは重たいリュックを持ってジャンとともに宿を出た。ジャンは背中にお師匠様の部屋の剣を、腰に自分の剣を身につけている奇妙な風体だ。
あたいはそんな格好で大丈夫なのかと尋ねると、親指を立てて「カッコイイだろ?」と返してきた。男の子はよくわかんないや。
「そういえばルトンさんは?」
「さあ? じっちゃんはどっか行っちゃったよ。……大事な時なのに、俺らのことほっぽり出しっちまったけど、まあ戻ってくるさ」
そっか……。少し不安だけれど、最後まで面倒を見てもらうほどあたいも子供でいられない。
「わかった」
あたいはそう頷いた。
アルミルティの街は存外賑わっていた。宿屋は五六軒あるし、どれも大きい。馬車の往来も盛んでその先の大通りの両脇は商店で埋め尽くされていた。
そしてその大通りの先の広場に、魔法使いの処刑台がある。
あたいたちは大通りの隅っこを進んだ。ローブのフードで顔を隠しながら。
何度も人とぶつかりながらも、黙々とあたいは進んだ。顔を俯かせるあたいの姿は貧しくも見られそう。
そうやって地面に顔を向けていたというのに、あたいはレンガの出っ張りにつまづいて転ぶ。
「……同様してるな」
そのあたいに、ジャンは手を差し伸べてくれた。あたいはその手をとって立ち上がる。そのまま、ジャンに左手を引かれてあたいは進んだ。
誰ともぶつからなかったし、転ばなかった。
そして、視界が開けたーー。
「……間に合っちまったな」
アルミルティの街、その広場。ギロチンが噴水よろしく中央に我が物顔でそびえ立ち、その周りを餌に群がる鶏のように民衆が取り囲んでいた。
そしてそのギロチンの上に、メガルハとお師匠様の姿があった。
あたいは目を見開いて息を飲む。
覚悟はしてきたつもりだったのだ。けれど、余りにもそれは、あたいには既に残酷な景色だった。
お師匠様の頭はギロチンに囚われ、眠っているかのように瞼を閉じていた。その隣には、人間が魔法を研究して作ったのだという拡声器を携えているメガルハが、残虐な笑みのまま悠然と立っていた。
あたいはすぐに顔を伏せた。そして目を固く瞑った。固く、固く。
ジャンがあたいの手をさらに強く握る。
心のうちは、怒りでいっぱいだ。だけど、お師匠様の姿を視界に入れると、途端に悲しくてしょうがなくなる。
そんな悲憤に翻弄される、あたいが情けなくなってくる。
何も出来ない自分が、情けなくなってくる。
『さあ、今から魔法使い、ザーレの処刑を始める』
はっと、顔を上げた。
メガルハは、お師匠様のことをザーレなんて呼んでビックリしたからだ。でも、そっか。
偽名すら、見破られなかったんだ、彼は。
「……バカね」
ふっと嘲笑する。メガルハに届かなくとも、少しぐらいは慰めになった。雀の涙の慰めだ。だから、もう別に俯かなくたっていい。
人々は固唾を飲んでか、物珍しさか、それとも魔法使いの存在への困惑か静かに見守っている。
それがなんだか嬉しい。
メガルハは反応が薄いのがお気に召さないのか、苛立ちげに拡声器に舌打ちをした。
『……まあいい。じゃ、なんか遺言はあるか? 魔法使い』
メガルハはお師匠様の口の前に拡声器を当てた。
『……遺言ならあるぞ』
レーザお師匠様がそう口を開いた。
『ああ、聞いてやろうじゃねえの。死者の最後の言葉を聞くのが大好きでなぁ』
そして、メガルハが拡声器をお師匠様の前に置いて、数歩後ろに下がった。
あたいはじっとお師匠様を見つめる。お師匠様は目を伏せたままだ。その唇が動く。
『……ああ、変人の独り言だと思って聞いてくれ』
そう、不器用な言葉から始まるお師匠様の最後の言葉を、あたいは一語一句聞き逃すまいと耳をすませる。
『あなたは、賢者と魔法使いの違いを知っているか?』
そう問いかけるお師匠様の落ち着いた声。
『それはな、人間を傷つけたか否かだ』
『魔法使いというのは、賢者の中でも忌まれる存在。尊敬すべき人間を傷つけ、殺して、強奪や強姦を繰り返す卑劣な輩だ。だが、賢者は違う』
『賢者というのは、人間とーー助け合う存在である。賢者とて、万能ではない。野菜は枯らすし、仲間を助け遅れるし、ーードジもする』
はっと、あたいは顔を上げる。
『だから、私たちは人間を頼る。金が無い代わりに薬を渡し、野菜を貰う。紅茶を出す代わりにーー人間と会話する』
小さく息を呑む声が、隣から聞こえてきた。
『それが、賢者だ。だが、忘れてはならない。賢者とは、人間と助け合う存在にあると』
そして、大きく息を吸い込む音が聞こえた。
『行け! 我が青髪の弟子よ! お前のーー両親のことは、あの里に! そこに真実がある!』
お師匠様に背を向けてあたいは走り出した。
「ヒヨ!」
ジャンの声が聞こえた。けれどあたいは振り返らない。
『今までありがとう! 弟子よ! 私はお前をーー愛している!』
振り返らない。振り返らない。振り返らない。
涙を堪えて走った。涙を流すと、不自然に思われるだろうから。
ただ、俯いて、地面を見て、人を避けて、走る。
無我夢中で。ただ、あたいの感情が続く限り。
ーーどれほど走っただろうか。
あたいは草原の真ん中に立っていた。遠くには天を貫く山があり、空は真っ青で、けれどお日様はもう降りる準備をしている。
背後から、はぁはぁと息切れのする音がして、ジャンは着いてきてくれたのだとわかる。
「……ジャン」
「はぁ、はぁ……なんだ?」
あたいはジャンの方に振り返る。
「あたい、知ってるの。お師匠様の言っていた、里のこと」
一度だけ聞いたことがある。
私たちには無縁だ、なんて言っていた、賢者たるものたちの聖地。
「あたい、行く。どんなことがあっても、たどり着いてみせる」
あたいの目じりから頬を生温かい雫が伝った。あたいは拭わずに、ぼやけた視界の中でジャンの顔を見つめる。
ジャンは、あたいの両肩に手を置いた。
「俺も、手伝ってやる。お前一人じゃ、心細いだろ? 俺たちはまだガキだけどさ。……成し遂げよう。絶対に」
ーーその手の温もりが、言葉の重みが、優しいジャンの眼差しが、温かくて嬉しくてしょうがない。
ああ、この涙は、当分止まらない。
「うん」
温かい風が吹いた。悲しみを包んでくれるような、温かくて強い風だ。
そして、緋色の髪が、青い空の絵画の中に待った。
「……え?」
それが一瞬何かわからずに、思わず手に取る。
それは、あたいの髪だった。
瑠璃色から、緋色に。
「……お師匠様?」
なんで、いきなり駆け出したあたいを誰も追わなかったのか。
お師匠様が、わからないように、変えてくれた……? きっとそう。
これで、あたいは追われない。
きっとあたいはたどり着ける。
「ありがとう。お師匠様。レーザお師匠様。あたいーー行くよ」
そして、立ち上がる。
空が、眩しかった。
お師匠様はきっとそこにいるだろう。
あたいは、大きく大きく息を吸って、叫ぶ。
「お師匠様!」
「あたい、賢者になるっ!」
これにて第一部は完結となります。お師匠様の元で健気に弟子としての生活した日々でした。
第二部では打って変わって、聖地への長い長い旅となります。どんな人間とどんな景色と出会うのか、ぜひ楽しみにしていただけると幸いです。
尚、完結とは言ったものの、十六.五話をまた本日二十一時に投稿致します。
これからもヒヨの旅をよろしくお願いします! あと評価などしていただけるとモチベがかなりアップするのでよければそちらも。