15話 あたいは起き上がる
……ああ、起きちゃった。
瞼を閉じたままの真っ暗な世界で、あたいは三度目の憂鬱を抱く。
起きたくない。あたいはお師匠様が起こしに来るまでここにいるんだ。そうじゃないと、そうじゃないとあのことが現実になってしまいそう。
あたいは信じたくないもの。あれはきっと悪い夢だったって、すぐに忘れてしまいなさいって言われるんだもん。
けれど、昨日も一昨日も起こしに来たのはお師匠様じゃない。
「ヒヨ」
ノックも無しに扉が開かれる。
ジャンは、無造作に部屋に踏み入り、そして布団の上から肩を揺する。
あたいの無言の返事をどう思ったのか、ジャンは淡々と告げた。
「そろそろ行かないと、時間に間に合わないって、じっちゃんが」
「……なんの」
あたいは分かりきったことを尋ねる。
それは、なんの時間なのかと。
「ーー賢者様の、処刑の時間に」
その言葉を聞いて、ようやく、あたいは時間が経ってしまったのだという常識を思い出す。
時間が、止まったままなら良かったのに。
あたいは、馴染みのない布団をかき寄せる。それと同時にもうひとつ、思い出すのだ。
ここは、あたいの家でもない、ルトンさんのお家でもない。
魔法使いの処刑が行われるアルミルティの街。その宿屋。
王国では魔法使い狩りが始められていた。アルミルテイは王国から近く、さらに過去に一度魔法使いにより焼き尽くされた街だと言うことも相まって、魔法使いの処刑場になっているそう。
そんなことを、あたいはルトンさんが借りてきた馬車の中で聞いた。
兵士は、まだあたいを捜しているみたいだった。
「行かないのか? もう、顔も見れなくなるんだぜ?」
困ったような口調でジャンがあたいに話しかける。
わかってる。わかってるけど、怖い。
顔だけじゃなく、お師匠様の“死”まで見てしまうことになるのだから。
あたいはさらにさらに体を縮こませた。
「……これはお前の問題だから、俺がとやかく言う権利は無いんだ。でも、最後に一つ聞いていいか?」
「うるさい!」
そう口をついて出た。
止めようとしても、一度出てきた思い、ここまでずっとせき止められてきた感情の激流は止められない。
「わかってるなら言わないで! そんなこと嫌だ! 知りたくない! 信じたくない! お師匠様が死ぬなんて知らない! あたいは! あたいは……!」
そこで、あたいの言葉は途切れた。涙が込み上げてくる。絶対に泣くまいと、そう決めていたのに。お師匠様は戻ってきて日常に戻るはずだから、泣く必要はないって、そう心に誓っていたのに。
窓の外のざわめきがガラス一枚を通過して耳障りに響く。嗚咽は遅れてあたいの中から鳴り出した。
ジャンがあたいの視線までしゃがむ。
「……お前が、後悔しないっていうなら、俺は、じっちゃんはヒヨを連れてかない。……一矢報いることも何もできないけど、さ。でも、俺は行くよ」
ジャンが悔しそうにそう言う。
あたいだって考えた。お師匠様を取り返すために、戦おうって。
でも、それは、違う。
お師匠様は喜んでくれない。お師匠様は、望んでない。だって、お師匠様は、人間が大好きだもん。
生活に余分なほどの薬草をまめに作って、薬を売りに行った時も、世間話はあたいを焦らすほどに長い時もあるし、人間を攻撃しては行けないって何度も何度も言われた。
だからお師匠様はきっと、何もせずに連れてかれてしまったのだ。
あたいの師匠であるために。
「……ジャン」
あたいはジャンに問いかける。
「あたい、後悔、するかな?」
泣いて、震える声で。
ジャンはきっぱりと答えた。
「ああ。しないわけがない」
……そう、だよね。
あたいは布団を抜け出し、立ち上がる。ジャンの安心したような、不安げな複雑な瞳を見つけた。
「行こう、ジャン」
「……必要なものは持ってっとけよ?」
「うん」
本のぎっしり詰まった重たいリュックを背負う。そういえば入れたままだった。でも、盗まれるのも嫌だから持ってこうかな。
ローブの内側には杖もある。あたいはポケットから髪ゴムを取り出して、髪を二つに括った。そして瑠璃色のツインテールの尾をきゅっと握る。
そうして自分に語りかけるのだ。
「お師匠様に、お別れするんだ」
望んでいなくとも、それがお師匠様の勇姿ならば、あたいは見届けよう。レーザの弟子として。