13話 思い出のお家
あたいはリュックを、ジャンは愛剣を手にルトンさんの家を出た。
あたいたちは兵士の目を盗んで、まずは森に入ることに成功した。どうやら兵士たちは街の中にあたいが潜んでいることなんて夢にも思っていないらしい。
だけど、森に入ってから途端に緊張感は増した。
耳をすませば鎧が揺れる金属音が、自然の中で異質に響くし、土がむき出しの地面には足跡が魔物のものと混在している。
それにしては森は静かで、あたいたちを取り込んでいるような……いや、あたいとジャンを覆い隠しているような、そんは雄大さが今さらになって感じられる。
なんだかんだ、あたいにも長く住んだこの森に愛着があるんだね。
あたいはジャンの前に立って、ジャンを案内しながら森の中を進む。ここはあたいの庭同然。四方八方どこから足を踏み入れたってお家にたどり着ける。
あの壁にツタの這う、寂れたあたいたちのお家に。
しばらく、それも兵士に会わずに静かに歩いて、あたいはジャンとコンタクトをとる。
「行くよ!」
「おう!」
あたいの頭の中の地図では、もうお家までは残りわずか。あとは駆け抜けよう!
あたいは体をかがめたまま、できるかぎりの速さで持って走る。が、
「ぐえっ」
木の根に足を取られて大きく転倒した。
「いったぁ〜……」
膝を擦ってしまい、赤い液体が膝小僧から滲み出た。あたいはジャンに助けを求めーー
「おらぁ!」
あたいの左肩のすぐ上を、ジャンの剣が通り過ぎた。あたいは石像のように固まる。
しかし、地面についた左手が生暖かい液体に取り囲まれていく感覚にその意味をさとる。
獰猛な狐が、脳天を貫かれて絶命していた。
「わ、悪い。こうするしかなかったもんだから……」
ジャンは、微かに声をふるわせ、あらい息を吐いて俯いていた。
そして顔を上げて、
「こ、今回は失敗しなくてよかった……。俺がいてよかった、だろ?!」
誇らしげにそう言って笑った。けれどあたいは口をパクパクと金魚のようにしていることしかできない。
未だに驚いて動けないでいるあたいに、ジャンは少し息を吐いて、右手を差し出す。
「ほら、行くぞ」
あたいはコクリと頷いて、その手を取った。
「それで、たぶんお前の家には少なくとも見張りぐらいいると思うんだが、どうするつもりなんだ?」
「あー……確かにそうね」
あたいは唸って思案する。どうしようか。
人間を攻撃……なんてことは検討外だ。音を魔法で消してどうにかしようかな……? でも、まだ光を屈折さして姿を消すような魔法は覚えてないから、見られたらバレちゃう。
でも、攻撃はダメでも、眠らせるのは?
「……眠らせる。それで、すぐに必要なものを持って、逃げる、かな」
多少の不安は残るものの、これぐらいしか今のあたいにはできない。
「ならそれでいこう。出来るだけ素早く、な」
あたいは頷く。わかってるよ、そんなこと。
あたいは茂みから顔を僅かに出して、兵士の人数を確認する。ジャンにもあたいから見えないところの兵士たちを見に行ってもらった。
結果、あたいの見えてる範囲に二人、その裏に三人。家の中には、警戒してるのか一人もいない。
それぐらいなら、御茶の子さいさい!
「スリープ・シード」
五つに指定された睡眠の魔法が、あたいの新品の杖の先でピンクの光を放って発動する。そのすぐ後。
あたいの視界に入っている二人が膝から崩れ落ちた。
「いま! 行こっ、ジャン!」
「おう!」
あたいたちは全力で駆ける。遮る物のない家の周り、つい昨日まで腰掛けていた切り株を飛び越え、玄関をガチャと開いて滑り込むように入った。
そして、意味もなく音を立てないようにして、あたいたちは顔を見合わせて神妙な顔で頷き合う。
あたいはまず本棚へ向かった。あたいにこれから必要なもの。いつか使えるもの。お師匠様に貴重なものと知らされているもの。詰め込める限りを引っ張り出した。
そして自分の部屋に向かって、特に忘れ物がないことを確認する。でも、よくよく考えたらどうせお師匠様が無事に帰ってきたらまたここに住むのだから、別に今全部持ち出す必要もないだろう。
ひと通り持ち出せる限りの物をかき集めて、あたいはジャンを探した。
ジャンは、あたいでも滅多に入ったことの無い、お師匠様の部屋にいた。
「ジャン?」
それも、あたいの声に気づかずに、ただじっと、一振の鈍色の片手剣を一点に見つめている。
「ジャン!」
「ーーお、おう、悪い! 今行く!」
焦ったように早口で、その剣を持ってジャンはお師匠様の部屋を出た。
「よし、もういいか?」
「うん」
「なら、出よう。一刻も早く」
あたいはそれを否定する必要もなかったので、一目散に玄関へ近づきーー
「んがっ? ……寝ちまってたな」
そんな兵士の声に気づいて、心臓が飛び上がるほどに驚いた。
そして咄嗟に唱える。
「ビジブル・ダブル」
あたいたちの一切の音が消えた。
しかしこの魔法には欠点があって、二人以上にかけるとお互いの音も聞こえなくなるのだ。
あたいは無言ーーと言っても声は出してるつもりだけどーーで身振り手振りで伝える。
『あっちから出よう』
『わかった』
あたいは裏口へ向かう。幸い、裏口の方の兵士はまだ起きていなかった。
裏口を静かに開き、そしてあたい達は猛ダッシュ。強化魔法を忘れても、恐ろしいほどのスピードで森の茂みへ。
そしてあたいは少し奥まったところで魔法を解く。
「あ、危なかった……!」
「さすがに俺も肝を冷やしたぜ」
お互い動いた汗と変な冷や汗でベタベタだ。
さあ、ルトンさんの家へ一旦戻ろうかな。
「待てっ!」
「うげっ」
そう思って立ち上がろうとしたあたいの頭を、ジャンが抑えて、あたいはカエルのように地面へ伸びた。
「ちょ、ジャーー」
「しっ!」
抗議の声をあげようとするも、ジャンに今度は口を塞がれる。
ギロりと睨むあたいの顔を、ジャンはーー
「いいな、絶対に、俺だけを見ていろ」
突然そんな、変なことを言ってきた。
あたいは頭が真っ白になった。え? なんか、あたいが読んだことのある本に、そんな告白のシーンがあったようなーー
「ーーやれ」
そんな声が、あたいを現実に引き戻した。
それはもちろんジャンではない。あたいでもない。じゃあ、いったい、どこの誰?
振り向こうとするあたいの頭は、しかしジャンに強く胸に抱かれ動かせない。けれどーー
パチパチと、火の爆ぜる音と、風に乗った熱風と木が焼ける臭いは、あたいに何が起こっているかを想像させるには十分だった。
「やめて」
あたいは冷ややかに、ジャンに言う。
しかしジャンは、あたいが目線だけで見上げる先で、ゆるゆると首を横に振った。
やめてよ。
そんなの、意味ないよ。
そんな優しさ、いらない。
いらない、いらない、いらない。あたいは、今すぐにでも、あいつらをーー
ただただ孤独に死を待つ我が家を、あたいたちだけが、あたいとジャンが最後まで見届けた。
灰色の空は燃え盛る夕焼けとその向こうからやってくる藍色の空を必死に隠していた。