00-09 買い出し
ある日。
「ハカセ、行商人が来ている」
37号がそんなことを言い出した。
「おや、そうかい。それじゃあ、買い出しに行ってもらわないとねえ」
「了解。……56号、あなたも、行く?」
「買い出し……って、この前言っていた、200キルほど離れたカーン村に来ているっていう話だっけ?」
「そう」
「行ってみたいなあ」
56号の返事を聞いて、ハカセは微笑んだ。そして、
「うん、行っておいで。もし、何か欲しいものがあったら買ってきてもいいよ」
と言い、56号にも銀貨を5枚、お小遣いにくれたのである。
「支度とか道順とかは37号が知っているからね」
「わかりました。……37号、よろしく頼むよ」
「うん、任せて」
そう言って37号は56号を倉庫へと連れて行った。
「これを背負ってもらう」
大きなリュックサック……というより背嚢が差し出された。容量は100リルくらいもありそうだ。ちなみに1リルは、1辺が10セルの立方体の体積なので、ほぼ1リットル。
「でかいな」
「私たちなら、軽いもの」
そう言って、37号は同じ背嚢を背負った。
「あとは、交換用の素材を用意すれば、いい」
そちらは隣の倉庫だった。
「これと、これと、これを、あなたが背負って」
56号には価値はわからないので、何度も交換している37号に任せる。
「今回は、2人だから、たくさん買ってこられる。……お砂糖も」
「はは、なるほど」
『味覚』を覚えて以来、37号は砂糖に目がなくなっている。
(何か、お菓子でもあったらいいな)
と56号は思っていた。
* * *
そして出発だ。
「それじゃ、行ってきます」
「ああ、気をつけて行っておいで」
ハカセに見送られ、研究所のある台地を出た2人。
まず台地を下りるところからだ。
「私に、ついてきて」
「うん、わかった」
37号は、大きな背嚢を背負ったまま、断崖に見える場所をひょいと飛び降りた。
「お、おい!」
慌てた56号がおそるおそる下を覗き込むと、20メルほど下にある岩棚に37号は立っていた。
そして一言。
「来て」
「ええ……」
「早く」
それでも躊躇う56号に、
「来ないのなら、私一人で行ってくる」
と告げ、再び断崖に身を躍らせた。
「ええい、なるようになれ!」
女の子(に見える子)ができるのに、自分ができないわけはないと、56号は意を決して岩棚目掛けて飛び降りた。
「……ふう」
やってみれば、さしたることもなく。
56号は無事岩棚に着地していた。
「おっと、後を追わないと」
再び崖下を見て、37号のいる岩棚目掛け、ジャンプ。
「……っと」
37号の横に着地。
「来られた、でしょ?」
「あ、うん」
これまで37号と繰り広げていた格闘訓練に比べたら、遊園地のお遊びみたいなものだった。
「じゃ、行く」
「おう」
ひょいひょいと岩棚から岩棚へ飛び降りていく37号の後を追って、56号もぴょんぴょんと岩棚を下っていった。
50回ほどくり返すと、ようやく地上だった。
「いったい、どのくらいの高さなんだ……」
56号は、今下ってきた崖を見上げる。
がっしりとした、灰色の硬い岩。
斜度は60度から90度くらい、一部オーバーハングしている。
大きな樹木は生えておらず、背の低い灌木と乾燥に強い草がまばらに生えているだけ。
「1000メルくらいあるかな……」
1回の段差が20メルとして、それを50回分で1000メル。おおよそそんな感じだろうとあたりを付ける56号だった。
しかし、悠長なことはしていられない。
「行く。付いてきて」
37号は短く言うと、西目指して駆け出した。
「あ、待ってくれよ」
ワンテンポ遅れて56号も走り出す。
「これ、道じゃないだろ……」
確かに、障害物はほとんどなく、凹凸も周囲に比べたら緩やかだ。だが、細い。はっきりしない。
そんな、獣道か踏み跡程度のか細い道を、間違えることなく高速で走り続ける37号。
「すごいな……」
自分との経験の差が何年分あるのかわからないが、なんとなく56号は悔しい気持ちに襲われたのだった。
なので、無言のまま37号の後を付いていく。時速はおよそ100キル。もの凄い速さで左右の景色が後ろへと流れていく。
だが、56号の感覚には、周囲の障害物がちゃんと認識されていたし、それを察知して避けることもできていた。
まれに小さな虫が顔にぶつかることがあるが、それは羽毛が触ったくらいの感触しかもたらさず、56号の走りを邪魔するものではなかった。
野を越え、山裾を回り込み、20メルほどの幅がある川を飛び越え、牛のような魔獣を3匹屠り、2人は駆け続けた。
そして2時間。
「着いた」
37号が足を止めたそこが、『カーン村』だった。
「おお、ここが」
カーン村は北西側の背後に小高い岩山があり、北側には黒木の森、西には川と池。
そうした環境に囲まれた、戸数は50戸ほどの小さな村、それがカーン村であった。
南から街道が続いているようだが。それもこの村で終わりのようだ。つまり、人間の生存圏の端っこと言っていい。
「でも、あの丘の麓にある鉱山から、いろいろな宝石が採れるので、この村はそこそこ豊か」
「なるほど」
だからこそ、こんな辺境中の辺境に人族が暮らしているのか、と56号は悟った。
お金は、よきにつけ悪しきにつけ、いつの世も人を動かす原動力になるんだなあ、とも。
「ほら、あそこ」
そして37号の声にそちらを見やれば、村の南東にある広場に、荷馬車隊が並んで駐まっており、露店を開いていたのである。
「私たちは、東の森の中に住んでいることになっているから、話を合わせて」
「了解」
そんな短いやり取りの後、37号は露店に向かって歩き出した。56号もそれに続く。
「おやサンちゃん、久しぶりだね」
「こんちは」
37号をサンちゃんと呼んだのは、村人らしい恰幅のいいおばさんだった。
身長は37号より低いが、横幅は3倍くらいある……。
その時56号は、ハカセを含め、自分たちの誰も、名前を知らないことに気がついたのだった。
(帰ったら聞いてみよう……)
と心に誓って。
で、気が付くと37号は、荷馬車前の露店で買い物をしようとしていた。
「おやサンちゃん、今日はなんだい?」
行商人とは顔見知りのようだ、と56号は思った。
そして37号が買おうとしているものは……。
「砂糖。ありったけ」
おいおい、と56号は思い、慌てて駆け寄りかけ、
〈全部買ったら他の人が困るだろう?〉
と、久しぶりの念話で抑止した。
〈……むぅ。じゃあどうするの?〉
「済みません。ええと、砂糖の在庫はどのくらいあるんですか?」
「……壺で8つだね」
「それじゃあ半分の4つを買わせてもらいます」
「わかった。それでいい」
渋々頷いた37号はそう言って値段交渉に入るのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月24日(月)14:00の予定です。
20190624 修正
(旧)「……瓶で8つだね」
(新)「……壺で8つだね」
ビンじゃなくてかめですが、紛らわしいので。