00-08 通貨
「……まだまだ」
「うわっ、わあああ!」
56号と37号の訓練は相変わらず続けられていた。
「痛い痛い痛い!」
「そう思ったら、避けるなり受け流すなりすればいい」
今日の訓練内容は剣だった。
一応刃引きをした鉄の剣での打ち合いだ。
おそらく『達人』と言ってもいいレベルでの打ち合い。
とはいえ、10回に3回は身体に当てられているから、人間だったら何度負けているかわからないが。
「……もう少し、速くする」
「ちょ、これ以上!? わああああ!」
その訓練はそれからも5時間以上続いた。
「ぜえ、ぜえ……」
地面に伸びている56号。
「私たちが、息が上がるはずがない。気のせい」
「いや、精神的に息が切れたんだよ……」
「……それはわからなくもない、けど。……さあ、さっさと立って。今度はあなたの、番」
37号は、ぐったりした56号を抱え起こした。
「料理、教えて」
* * *
37号は『味覚』を覚えてからというもの、料理にも凝り出していたのである。
「ええと、『煮る』『焼く』『蒸す』『揚げる』というのが、基本になるのかな。要は食材を加熱する方法だな」
「うん、それは何度も聞いた。……なぜ、加熱する必要があるの?」
「そうだなあ……」
いくつか理由は考えられる、と56号は言った。
「まずは、安全性かな」
生の食材にはいろいろな雑菌が付いている可能性があるから、加熱することでそれらを退治する、と説明。
「雑菌? 何、それ? 妖精の小さいもの?」
「え? 雑菌は雑菌だよ。それより、気になる単語があったんだけど」
妖精って何だ? そんなのいるのか? と56号は素朴な疑問を持った。
「いる。……それはあとで教えてあげるから、雑菌のこと、教えて」
「ええー……まあ、いいか」
そこで56号は、少し前にハカセにも説明した概念を教えた。
「……そんな小さな生き物がいる……不思議」
「俺にしてみれば、魔法のあるこの世界の方が不思議だけどな」
それに、この世界にいる微生物が、自分の知るものと同じとは限らない、と56号は付け加えた。
「ええと、話が脱線したけど、加熱する理由その2は、食べやすくなることだな」
「確かに、硬い野菜も煮ると軟らかくなる」
ハカセは軟らかく煮込んだ野菜のスープが好きなようだった。
「それから、加熱するとうま味が増す場合がある」
「うま味?」
「そう、うま味」
甘味、塩味、酸味、苦味、旨味の5つが基本的な味である。
「加熱で味が変わるの?」
「そうさ。肉は焼くことで脂が溶けて美味しくなる」
「…………確かに」
最近の37号は、少しずつ食事の楽しさを理解しつつあるのだ。
「あとは、温かい方が美味しい、ってこともあるな」
「どういうこと?」
「寒い時は温かい食事は有り難いし、温めた料理は匂いも食欲をそそるだろう?」
「……確かに、温度が高い方が匂いも活性化する、みたい」
「だろう?」
こんな話を通じ、56号は37号に料理を教えていく。
……とはいっても、56号にできる料理は限られていたし、食材もそれほど多くはない。
というか、食材ってどうやって手に入れているんだろう? という疑問が、56号に生じた。
「え? 食料かい? そりゃあ、狩ってきたり、買ってきたりさね」
部屋にいたハカセに聞くと、わかりやすい答えが返ってきた。
「肉類はね、この研究所がある台地より2段下に、野牛やイノシシがいるから、狩ってきて干し肉にするんだよ」
「そ、そうなんですか」
「37号はそういうの、うまいんだよ。血抜きも済ませてきてくれるしね」
見かけによらない、と56号は37号をちらりと見た。
「?」
その視線の意味をはかりかね、小首を傾げる37号。
(そういえば、『念話』っていったっけ、声に出さないで話ができるこの能力、オンオフできるんだよな……まあオフできないとプライバシー筒抜けだからいいんだけどさ)
などと考えながら56号は、
「じゃあ、調味料は買うんですね?」
と聞いてみた。
「ああ、そうさ。買い出しに行くんだよ」
「ど、どこへですか?」
この研究所は最果ての地にあると聞いたような聞かないような……と56号は思っていた。
「この台地の麓から200キルくらい西に行ったところに、『カーン』っていう小さな村があってね。そこに行商人が来るんだよ。その時に買うのさね」
「200キル……」
この世界での『キル』は、現代地球での単位キロメートルに近い。ちなみに『メル』という単位もあり、こちらはほぼメートルだ。その下には『セル』という単位もあって、こちらはセンチメートルにあたる。そしてその下が『ミル』で、こちらはミリメートルに相当する。
また、時間は秒、分、時が使われている。自分の知る単位と同じ長さであるかどうかはわからないが、単位系が混乱しないだけ助かる、と56号は思っていた。
さらに付け加えると、この世界の人間も指が10本のためか、数字は10進法が使われている。
「お前たちなら200キルくらい、2時間で着いてしまうからね。ここから『遠眼鏡』で村を見て、行商人が来ていたら買いに行くんだよ」
「遠眼鏡?」
「そうさ、56号が教えてくれた『望遠鏡』みたいな魔導具さね」
200キロというと、東京から富士山までの倍くらいだ。
天気がいい時に、遠くから富士山を望める、という話からすると、200キルを見通せる望遠鏡も、その距離を2時間で踏破する人造生命も凄い。
「ええと、お金はどうしているんです?」
「このあたりだと物々交換が多いねえ。辺境じゃお金より現物だからね。……で、交換用には魔物の皮や骨、牙なんかを持っていくね」
身体能力の確認のためや、研究用素材にするため、また安全のため、周囲の魔物を狩っているので、そうした素材は豊富にあるのだという。
「なるほど、それなら安心ですね」
「お金も、少しはあるよ。ほら」
ハカセは机の引き出しを開けると、無造作に貨幣を掴み上げた。
それを机の上に並べていくハカセ。
「ほら、これが金貨。こっちは銀貨、これが銅貨だよ」
それらは、直径4セル(cm)、厚さ4ミル(mm)程もある、大きめの硬貨だった。
「ははあ……」
よく見ると、金貨と銀貨には穴が空いているものがある。
「穴の空いているのが半硬貨っていって、半分の値打ちがあるのさ」
つまり、高価な順に、金貨・半金貨・銀貨・半銀貨・銅貨、となるらしい。
「銅貨には半銅貨ってないんですか?」
と聞くと、
「ああ。銅貨は最安の硬貨だからね」
という答えが返ってきた。
「お金の単位は何ですか?」
「ゴルだよ。銅貨が1ゴル、半銀貨が50ゴル、銀貨が100ゴル、半金貨が5000ゴル、金貨が1万ゴルさ」
「……銀貨と半金貨の差が大きいですね」
1000ゴルくらいの貨幣はないのか、と56号は疑問に思った。
「ああ、そういえば、最近そんな貨幣ができたらしいね。風の噂に聞いたような気がするよ」
やはり、使いにくいと考えた者がいたようだ、と56号は思った。
「あたしは持っていないけどね」
そのうち見る機会もあるさね、と言ってハカセは笑った。
「そういえば、咳が出なくなりましたね」
最近のハカセは体調がよさそうだ。
「ああ、56号が教えてくれた栄養学だったっけ? それを少し守るようにしたら、調子がよくなったみたいだよ」
「それはよかったです」
おそらくビタミン、ミネラルなどの栄養バランスが改善されたからではないかと56号は思った。
「長生きしてくださいよ」
「ああ、そうだね。ありがとうよ」
56号は、このハカセや37号との生活が楽しくなってきていたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月19日(水)14:00の予定です。
20201003 修正
(旧)
うま味、と言うが、これは甘味、塩味、酸味、苦味とは別で、うま味を感じる器官があるわけではないらしい。
「そんなあやふやなもの?」
「そうさ。でも、肉は焼くことで脂が溶けて美味しくなる」
(新)
甘味、塩味、酸味、苦味、旨味の5つが基本的な味である。
「加熱で味が変わるの?」
「そうさ。肉は焼くことで脂が溶けて美味しくなる」