00-07 料理と味覚
環境が整っていることと、いい仕事ができることとは別物であった。
なんと37号は、水で戻した野菜と塩抜きをした肉をいっぺんに鍋に入れ、強火で煮始めたのである。
「おいおいおいおい」
「?」
こてん、と首を傾げる37号。
「そんな可愛らしく首を傾げても駄目だ。ちょっとどいてくれ」
「か、可愛……」
何やら呟き固まっている37号をそっと脇に避けて、56号は調理台の前に立った。
そして急いで肉を鍋から取り出す。
「……どうするの?」
「まず、野菜を煮るんだよ」
「なぜ?」
「元が乾燥野菜だから、火の通りが遅いだろう? だから肉と一緒に煮たら、野菜が軟らかくなる頃には、肉のうま味がみんな出切ってばさばさになっちまう」
「そういうもの?」
「そういうものだ。だから、野菜が軟らかくなってきたところで肉を入れれば十分なんだよ。そうすれば肉のうま味もほどよく出るし、肉もばさばさになりきらない」
「……なるほど。ためになった。それも56号の、知識?」
「え……」
56号はふと我に返った。
「そういえば……うーん、やっぱり、知識の一環なのかな?」
とはいっても、ハカセに話しているような、深い理解があるわけではなさそうだ、と56号は感じている。
そう、せいぜいが、『生活の中で培った技能』のような感じで。
それを37号に説明すると、
「そう」
とだけ、短く返事をし、鍋の中を見つめ続けていた。
「……野菜が軟らかくなった」
「え? よ、よし」
そこで56号は塩抜きした肉を鍋に入れた。
火は弱火に調整してある。
しばらく煮込んだあと、お玉でスープを掬って味見。
「……うん、思ったとおり、肉から出た塩味が出ている。味はこのままでいいかな」
薄味だが、ハカセは高齢なのでこのくらいでいいだろうと判断。
そんな56号を、37号は穴の空くほど見つめていた。
「な、何?」
その視線に気付いた56号は驚き尋ねた。
「……味、わかるの?」
「え?」
「……私は、味、よくわからない……」
「ええっ?」
56号は驚いた。
厨房内を見回してみる。
『シュガー』と書かれた紙が貼られた壺があった。
「……うん、砂糖だな」
56号はその壺から、少量の砂糖を小皿に取り分けた。そして自分でまず舐めてみる。
「……甘い、な」
やや赤みがかっていて、白砂糖というより三温糖のようだが、十分に甘い。
そこで56号はその小皿を37号に差し出した。
「これが『甘い』っていう味だ」
「……舌先が心地いい。これが、『甘い』……」
37号は、何度も何度も砂糖を指でつまんでは口に運んでいる。終いにそれがなくなると、上目遣いにじっと56号を見つめてきた。
「……もっと欲しいのか?」
「……うん」
「しょうがないな」
どういうわけか備蓄はたくさんあるようなので、もう一度砂糖を皿に載せてやると、37号は嬉しそうにそれをちびちび舐め始めたのだった。
一方、煮込んでいる野菜と肉のシチューが頃合いになったようなので、56号は火を止めた。
「できたけど、ハカセのところへ持っていくのか?」
「そう。あと、お水も」
「水だけ? お茶は?」
「お茶?」
まさかお茶も知らないのかと、56号は厨房の棚を探してみると、それらしい缶が見つかった。
開けてみると、間違いなくお茶の葉である。香りもいいので、古くなってはいないようだ。
急いでお湯を沸かす。
その間にポットか急須を探したが、茶漉ししか見つからなかったので、今回は仕方ないと茶漉しでお茶を淹れた。
「やっぱり紅茶だな」
色からして紅茶だったので、砂糖を入れるかどうするか迷った挙げ句、ハカセに聞いてからにしようと、砂糖を少し小皿にとってお盆に載せた。
鍋、小鉢、紅茶、砂糖、水、そしてスプーンをお盆に載せ、ハカセの部屋へ向かう。
37号は砂糖の小皿を舐めながら付いてきた。
(そんなに気に入ったのか……)
少々呆れた56号であった。
「おや、なんだい? 今日は56号が持ってきてくれたのかい」
ハカセの部屋へ食事を持っていくと、驚いた顔で迎えられた。
「今日は俺が作ってみました。お口に合えばいいんですが」
と言って、テーブルの上にお盆を置くと、
「おや、これは……紅茶だねえ。わざわざ淹れてくれたのかい」
と言って、ハカセは一口。
「あ、砂糖も持ってきたんでお好みで入れてください」
と56号が言うと、
「あたしは入れない方が好みだから、これでいいよ」
と言われた。
そして鍋から小鉢にシチューを移し、スプーンで一口。
「うん、これは美味しいね! 56号、あんたが作ったんだって?」
「あ、はい」
「野菜も軟らかいし、肉も美味しい。あんた、料理うまいね」
「そ、そうですか?」
「ああ、これは美味しいよ」
そう言いながらハカセは、ぱくぱくと瞬く間にシチューを平らげ、水を飲み、紅茶も全部飲んでしまった。
「ごちそうさま、だねえ。……ところで37号は、何をしてるんだい?」
ハカセに言われて、56号が斜め後ろを振り返ると、小皿の上の砂糖を、ちょうど食べ終わったところだった。
「ああ、えっと……」
そこで56号は、37号に砂糖の味を教えたことを説明した。
するとハカセは興味深そうにそれを聞き、
「ふうん、なるほどね。『味覚』……か。確かに、あんたたちは食事をする必要はないけど、ものを食べられないわけじゃない。56号、あんたは最初から味覚があったんだね?」
「え、あ、そうですね」
「37号にはものを食べることを教えなかったから、味覚が未発達なんだろうと思う」
「ああ、そういうことはあるかもしれませんね」
『甘い』という味は、赤ん坊が初めて覚える味だ、という知識が56号の頭に浮かぶ。それが正しいのか間違っているのか判断が付かないが。
なにしろ、『赤ん坊』の反応なので、想像するしかないからだ。
……という知識を披露する56号。
「ふうん。……とすると、37号に塩味、酸味、苦味も教えてやれるのかねえ?」
ハカセは興味を持ったようだった。
「37号も、まだまだ成長できそうだね。56号、ありがとうよ」
偶然によるものだったが、『人造生命の味覚』という、未知の題材が見つかり、ハカセは俄然やる気を見せていた。
「……教わるばかりだったけど、これについては俺が教えてあげられると思うよ」
と56号が言えば、
「うん、いろいろ、教えて」
と、素直に頷いた37号であった。その37号は、ハカセが使わなかった砂糖をなめていた。
口元に付いた砂糖を、舌で舐め取るその仕草が妙に色っぽくてどきっとしたことは胸の中に収め、
「それじゃあ、台所へ行ってみよう」
と37号を促す。するとハカセも、
「お待ち、あたしも行くよ」
と言って立ち上がったのだった。
「それじゃあ、塩味」
と言って56号は、塩をひとつまみ小皿に取った。
まず自分で舐めてみる。
「……しょっぱい」
それを確認したあと、小皿を37号へ。
「これが、塩味……」
興味深そうに舐める37号、そしてそれを興味深そうに観察するハカセ。
同じことを酸味と苦味でも行ったが、酸味は2度ほど舐めたあと顔を顰めて、
「……もういい」
と言った37号。
そして苦味は1度目で何とも言えない顔をしたあと、小皿を56号に突っ返した。
「……甘味が、いい」
「まあ、そりゃあなあ……」
少しだけ砂糖を小皿に取って渡すと、嬉しそうにそれを舐める37号が。
それを見たハカセは、
「はあ、あの37号があんな顔をするなんてねえ。長生きはするもんだねえ」
と言って感心したのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は6月17日(月)14;00の予定です。
20190924 修正
(誤)そこれ56号はその小皿を37号に差し出した。
(正)そこで56号はその小皿を37号に差し出した。